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死者と生者と恋煩い  作者: 葛生雪人
僕らに恋は必要か
15/34

3.

     ***


 噴水を取り囲む三組の恋人たちは、輪舞曲を踊るような優雅さで時計回りに移動して、まずはじめの一組が噴水の正面に当たる場所で立ち止まった。

 手を取り顔を見合わせる。微笑みの中に少しの緊張が混じっていた。

 深呼吸をする間くらい与えてやれば良かったのかもしれない。しかしそう思った時には動いてしまっていた。

 『それ』は大袈裟な身振りを伴って二人の前に歩み出た。

 何から何までもが真っ黒な出で立ちだった。

 ケープ付きの外套はつや消しの黒。つま先がコロンとまるい革の編み上げ靴は藍が混じったような深い黒。髪も瞳も、光があたればなおさら黒さが際立つ黒の風合いで。その中で肌だけが陶器のように白いのだが、美しいというよりは不気味さを連れてくる肌色だった。祝いの席においては明らかに異様な姿だというのに、そのことに気を向けるものはいない。

 出窓に下げられた飾りのひとつかのように思われているのかもしれない。不格好だろうが安っぽい物だろうが、祝いの景色に当然のように紛れ込んでしまえば、案外気にならなくなるのだろう。

 それでも、なんとなく居心地が悪い気がして、『それ』は高くなっている襟の内で首をすくめた。

 不意に吹き寄せた風に乗って、ため息が届く。

 誰のものとわかっているせいか。なんとなく感じたヤニ臭さと、ため息に込められた意味とが『それ』を憂鬱にさせた。

「トーテ」

 ため息と同じ息の量でうしろから名を呼びかける。トーテというのが『それ』の名前だった。

 ため息の主は言葉と同時にトーテの背中の真ん中あたりを指でつついた。その動作だけですべてを伝えようとするのだが、その物ぐさな彼の行動はしばしばトーテを苛立たせる。

 トーテは振り返りもせず「わかっているよ」と答えた。こちらもため息をこぼさずにはいられなかった。

 いつだって、この瞬間は気が重くなる。

 目の前でトーテの言葉を待ちわびる恋人たちは、これからいっそうの幸せを授けられるのだろうと信じて疑わない――そんな目で鍵士ハイラートを見つめている。

 自分が執り行う儀式は彼らの期待に応えるものなのか、それとも裏切るものなのか。

 けっして答えにたどり着くことのない難問に蓋をして、トーテは恋人たちと向き合った。

 すっと両手を前に差し出す。二人を向け入れるような形に見えた。

「夫婦の幸福が永久とこしえに続くことを願う」

 言うと、首から提げていた鍵を掴んで彼らの前に垂らした。

「死が二人を分かつまで、恋慕の再開を禁ず」

 続く言葉は、今はもう失われた古の言語。歌のように耳に心地よく届くが誰もその意味を知らない。なんて言ってるのかしらなどとヒソヒソ話す声が聞こえてくる。

 トーテはそれらをなるべく耳に入れないようにしながら、古い言葉で新たな夫婦の未来を祝福した。

 銀の鎖の先でゆらゆらと揺れていた鍵が、祝福のことばの終わりを待ってピタリと止まった。磨かれた金属のものとは異なる淡い輝きが鍵の表面に宿る。

 その光に共鳴するかのように、目の前の二人のうち女の方の胸元が光った。婚礼の衣装の奥、控え目な厚さの胸のさらに奥。そこから光は放たれているようだった。

 銀の鎖にたるみができた。

 その先にぶら下がっていたはずの鍵が、空中に固定されたかのように、浮いている。

 いや、浮いていると言うよりは、目に見えぬ何者かがその鍵を手にしていると言った方が相応しいかもしれない。鍵穴に差し込みぐるっと回すような動作へと移る。

 カチャリと音がしたような気がした。

 本当はそんな音など存在しないはずなのに、トーテの耳にはいつもそんな風に聞こえてしまう。

 それは恋人たちが見せる変化のせいか。

 鍵が回ったそのときに、女の体がびくんと跳ねた。小さな動きだった。彼女を注視していなければ簡単に見逃してしまうような動きだった。

 わずかに跳ねた体。

 それと同時に、瞳から輝きが失せた。

 直前まで、溶けてしまいそうな笑顔を浮かべ隣りに立つ男と談笑していたというのに、一瞬の間をおいて、その顔は極めて穏やかなものとなる。

 少女のはつらつとしたものが消え、落ち着いた大人の女性へと変わったようだった。

 男の方にも鍵を向けてみれば、同じように変化する。青年らしい何かを失い、まわりの大人たちが持つ落ち着きを得る。

 男自身も変化を感じ取ったのか、胸の辺りをそっと押さえて見せたが、すぐに関心は隣りにいる恋人へと向かう。

 互いに顔を見合わせれば変わらず笑顔が溢れるというのに、どうだろう、先程までの熱量は感じられなくなっていた。

 こういうことを起こすものであるから、トーテはこの結婚のための儀式が苦手だった。

 自らの手で行っていながら不快にしかならないシロモノで、祝福という体で授けられる呪いなのだとトーテは思っていた。

 しかし目の前の恋人たちが満たされた顔で礼を言うものだからどんな顔をして言葉をかければいいのかわからなくなる。

 だから困惑があまりにひどいときには、最後の役目を立会役のエフネンに丸投げした。

 今日も、横目でエフネンの気配を探った。ヤニ臭いため息を吐いたあの男だ。白髪交じりの短髪をくしゃくしゃと掻き回しながら必死にあくびをかみ殺しているところだった。

 視線が合ったわけではない。

 しかしエフネンはほんの少し空いた間からトーテが気乗りしない様子であるのを察したようで、ゴホンと咳払いをしたのち、よそいきの音域でトーテの代わりを果たす。

「これで各人の『恋慕の情』は閉じた。これより互いを愛し慈しみ、共に育んだ家族を拠とし天命を全うされよ」

 夫婦となった男女はいっそう穏やかな顔つきとなった。

「また『腑に落ちない』って顔してるぜ」

 少しは人の目をきにしろよとエフネンが耳打ちする。

 どの口が言うのかと思ったが、トーテはそれを飲み込み「そういうわけじゃないけど」と言い訳の言葉をこぼした。

「じゃあなんだ」

 エフネンは言いながら、顔では村人たちに愛想を振りまいている。

「あの顔が嫌いなんだ。せっかくキラキラしてたっていうのにさ」

 トーテは村人たちに祝福される三組の夫婦を眺めた。



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