野獣王子のモブ幼なじみですが、王国の未来のため、にんじんをぶら下げて完璧王子になっていただきます。
「エルビン様! 今日こそ貴族名鑑をすべて覚えますわよ!」
「えっ、いやだよ。剣の修行をするんだ」
振り返った、金髪碧眼の王子様は、そう言うやいなや、窓枠に足をかけた。
ここ三階なんですけど……。
そのまま、深紅のマントがひらりと広がるのを見つめる私。
本当にエルビン様は、剣以外に興味がない。
品行方正な第二王子殿下に比べ、マナーや貴族との人間関係、教養に興味がないエルビン第一王子殿下は、陰で野獣王子と呼ばれていることを私は知っている……。
……どうしてこうなった。
小説の中に生まれたことに気がついた幼い日。
けれど、私の配役は、悪役令嬢でもなければ、もちろんヒロインでもなかった。
少年時代にほんの少しだけ登場する、モブの幼なじみ。
それが私、ステラ・リングバード公爵家令嬢だ。
「今日は逃がしませんわよ」
私が手にしてるのは、苦労して手に入れた巻物。
そこには、転移魔方陣が書き込まれている。
だから、これを使えば……。
「はいっ! 一緒にお勉強しましょう? エルビン様」
「な、なんで目の前に」
「魔法院のロナウド様のもとに通いつめて、転移スクロールを作っていただいたのです」
「えっ、そうそうお会いできるお方じゃないだろう?」
確かに。でも、小説の中でロナウド様が手に入れたい、と渇望されていた素材をお届けしたら、すぐにお会いできたわ!
エルビン様の、首根っこをつかむ。
私のことを不敬だという人間は誰もいない。
だって、隣国と戦争が終われば、妃という名前の人質として嫁ぐ大事な駒なのだもの。
それに、私はこの国の未婚の女性の中で、なんと一番位が高いのだ。
「さぁ……。解放されたいのでしたら、とりあえずこの中の上位100人を暗記してくださいませ」
「げぇ……。ステラ、全員俺より下の人間だ。覚える必要あるのか?」
「――――その理論によると、エルビン様はご両親以外の誰一人として名前を覚える必要がないということになりますわね。それなら、本日から私のことも名前ではなく公爵令嬢とお呼びください」
「……そうか。……覚える」
意外にも素直に、貴族名鑑を開いたエルビン様。
エルビン様は、メインヒーローなだけあって、ものすごく頭がいい。
何でもすぐできてしまうから、もしかするとこういった地道な努力をしたがらないのかもしれないけれど……。
でも、このまま野獣王子のままでは、ヒロインが現れたときに困ってしまう。
小説の中に現れるエルビン・レグルスは、完璧な王子として登場する。
すべてにおいて完璧なエルビンは、人のことを寄せ付けないオーラを持つが、ヒロインと出会うことで安らぎと愛を知っていくのだ。
私は二人のほんわかした幸せが、とても好きだった。
でも、このままでは乱暴で、剣術だけを身につけた野獣王子ができあがってしまいそうだ。
おかしい、小説の中では少年の頃から寡黙で、努力家で、もちろん剣の腕も一流だったけれど、むしろ大人びた少年として描かれていたはず。
隣国の姫であるヒロインは、長きにわたって続いていた戦争が終わると同時に、妃として、そして同時に人質としてこの国に来る。
ちなみに、私はそのときに逆に隣国に妃そして人質として送り出されるのだ。
そのあと、二人の幸せな恋物語とともに、平和は保たれていく。
でも、このまま野獣王子として育ってしまったら、隣国との和平は。
人質として隣国に渡る私の運命は……。
「もう、覚えた……」
「え? もうですか? まさか」
パラパラとめくっただけなのに、すでに覚えたというエルビン様。
「エラン・ゲール侯爵、ビエラス・テンダー侯爵、フィラン・ディルトール伯爵……」
疑う私の前で、エルビン様は100人の貴族を一文字も間違えることなく諳んじてみせる。
「素晴らしいです。エルビン様は、さすがですね!」
「そ、そうか?」
「――――このままいけば、王国の輝ける太陽になれるのに、どうして逃げるのですか?」
「……剣の修行をしたいから」
すでに、エルビン様の剣の実力は騎士団長の折り紙付きだ。
それなのに、さらに高みを目指そうなんて……。
王子様なのに、騎士団に押しかけては実戦訓練にまで参加しているエルビン様の腕は、傷だらけだ。
背中にも大きな傷がある。それは、私のことを守ろうとしたときにできた傷だ……。
「どうして、そんなに強くなりたいのですか? エルビン様は王位継承者です。最前線で戦う必要などないではありませんか」
「俺は、隣国との戦いで圧倒的な勝利を手中にする」
「――――え? どうしてですか。和平でいいではないですか」
それが、小説の物語だ。だから、エルビン様は、自分とヒロインを最低限守れるだけの力さえ持っていればいいはずなのに……?
「わからないのか?」
「エルビン様?」
そういえば十五歳になったエルビン様は、最近大人びた表情をすることが多くなってきたように思う。
そう、こんなふうに……。
「ステラは子どもだな?」
「な、なな!」
同い年ですし、しかも中身は転生した大人ですし!
確かに、恋愛経験はありませんけどね?!
「……そのうち、わからせてみせる」
うわぁ。野獣というか、俺様王子に育ちつつあるのだろうか。
どこで、育て方を間違ってしまったのだろう。調教しなくては、と思ってきたのに逆に調教されそうだ。
だって、長きにわたって続く隣国との戦いが、あと三年で和平により終わることを私は知っている。
その戦争に行ったエルビン様は、無事に帰還して隣国から来たヒロイン、王女サンドラと出会い恋に落ちるのだから……。
「では、今度は覚えた貴族の領地の特産物と事業を諳んじられるようにしましょうね?」
「約束が違うぞ?」
「力だけでは、守りたいものも守れないのですよ?」
その瞬間、不満げな表情をしていたエルビン様が急に表情を改める。
そして、ものすごい勢いで用意していた資料をめくり始めた。
どうして、急にやる気スイッチが入ったのかはわからないけれど、この作戦はまた使えそうだ。
飴と鞭を使い分けなければ、猛獣をおとなしくすることなどできないに違いない。
「――――三時間以内に覚える。そうしたら、褒美をくれるか?」
「……? 三時間なんて難しいと思いますが、いいですよ? 先日、気に入ったとおっしゃっていたケーキを焼きましょうか?」
「そうだな……。まあ、ステラが作るものなら何でもいい」
「そうですか?」
それなら、エルビン様がお嫌いなにんじんをたくさん入れたキャロットケーキを作ろう。
お気に入りみたいだけれど、にんじんが入っていることを伝えたら、どんな顔をするかしら?
この機会に、ヒロインにあきれられないように、にんじんをお皿の端によける癖をやめさせたいわ。
そして、まったく言葉を発することなくゾーンに入ってしまったらしいエルビン様。
話しかけたら、邪魔になってしまうわね……。
尊敬しながら、私も隣国の歴史が書かれた本を読み始める。
隣国は、海に接しているせいか、海産物が豊富だという。
もしかすると、魚介料理が毎日食べられるかもしれない。そこだけは、楽しみだ。
――――お別れするまでに、ヒロインとうまくいくように、小説の中のエルビン様みたいに、なってくださいね?
なぜが胸が痛くなってしまったけれど、そのことに気がつかないように私は本に没頭しているふりをした。
***
そして、一年の歳月が過ぎて、エルビン様は隣国との戦の陣頭指揮を執るために旅立つことになった。
本当は、第一王子殿下が前線に行く必要なんてないのに、エルビン様は行くといってどうしても私の言葉を聞き入れてはくれなかった。
「――――帰ってくるから、にんじんケーキでも作って待っていろ」
「え……」
いつの間ににんじんが入っていることが、ばれていたのだろうか?
けれど、そのことに怒っているようには全く見えないエルビン様は、これから戦いに行くなんて思えないような表情で私のことをまっすぐに見つめている。
「ステラは、和平がいいのだろう? すぐにまとめてくる」
「そうですね……。ご無事で」
今から二年後に、和平条約が締結され、平和が訪れることを私は知っている。
そして、私は和平の象徴として、人質を交換するように隣国に嫁ぐのだ。
そしてヒロイン、王女サンドラはこの国に来る。
「珍しく、しおらしいじゃないか?」
「けがしないでください」
「ふふ、では無事に戻ったら褒美をくれるか?」
「……キャロットケーキでよろしければ」
クスリと笑う音がして、見上げる。
私の手をつかんだエルビン様が、なぜか恭しく、私の手の甲に口づけを落とした。
「ああ、待っていてくれ」
どうしてそんなことをするのだろう。私が、隣国に嫁ぐ準備が進んでいること、知っているはずなのに。私たちは、ただの幼なじみのはずなのに……。
背中を向けたエルビン様に、声をかけることはもうできなかった。
***
毎日、戦いの勝利が伝えられて王都が沸き立つ。
小説の中では、この時期については詳しく語られていなかったから、これが正しいのか私にはわからない。
結局のところ、野獣王子という呼び名は王都全体に広まってしまった。
なんでも、最前線に立ったエルビン様は、ものすごい勢いで自ら戦い続けているらしい。その姿は、まるで獲物を前にした野獣のようだと噂される。かと思えば今まで学んだ兵法と天才的な頭脳を生かして無血勝利を手にする。
なんだか、膠着状態が続くという設定のはずなのに、我が国の圧倒的な展開が続いてしまっているようにすら思える。
「――――エルビン様、無茶ばかりして」
それでも、そのことよりも、何よりも私にとって一番の関心事は、エルビン様がご無事でいるのかどうかだった。
幼なじみなのだもの、これから隣国に嫁ぐのだとしても、それくらいの心配は許されるに違いない。
そして、小説の流れと私の予想に反して、戦争はそれから1年で終結した。我が国の圧勝で。
***
「どうなっているの……」
もう何度かわからない問い。
侍女たちが、なぜか全員集合して、ああではない、こうではないと私のことを渾身の力を込めて飾り付けていく。
用意されていたドレスは、エルビン様の瞳と同じような青。
私の色合いとしては地味な黒い髪と瞳と合わせると、大人っぽい印象だ。
「えっと、戦勝の宴よね? 和平条約の内容は……」
「お嬢様は、何も心配することありませんよ」
一番老齢の侍女が、穏やかな笑顔で私に告げる。
だって、私の人生の今後に関わることなのに……。
こんなに着飾るだなんて、やっぱり人質として隣国にお嫁に行くことが発表されるに違いないわ。
あと、一年はあると思っていたのに……。
エルビン様は、無事に帰ってきているという。
でも、私のところに寄ることもなかった。やっぱり、ヒロインとの出会いに向けて物語は、動き出しているのだろう。
「はぁ……」
王城にたどり着いた。しまった、ため息なんてついていたら、このお祝いムードに水を差してしまうわ。
そっと、壇上に目を向けると、正装姿のエルビン様の姿があった。
今回の戦での活躍で、王太子としての地位は揺るぎないものになったという。
「かっこよくなっちゃって……」
この年代の一年間を、甘く見ていたのだろう。
少年のように笑っていたエルビン様は、壇上で王者の風格すら漂わせている。
――――野獣と呼ばれていたって、やっぱりエルビン様は素敵な王子様。私が、いろいろと余計なことをしたからといって、変わることはなかったのね。
無事に我が子が育った感動と、空虚な思い、というのはもしやこういうものなのではないかと、密かに痛む胸に手を当てる。
キャロットケーキを焼いてみたけれど、きっと無駄だったわね。
そのとき、壇上にいた国王陛下が、私の名を呼んだ。
御前に行くようにと、少し緊張した様子の両親に送り出される。
……いよいよ、発表されるのね、私の隣国行き。
「――――する」
けれど、国王陛下の口から告げられたのは、私の予想とは正反対の言葉だった。
「え?」
その言葉が、全く予想外すぎて、私は礼儀も忘れてその場に凍り付いてしまう。
そんな私を見ていたエルビン様が、段を降りて私に手を差し伸べた。
「待っていたのに、にんじんケーキが届かないから、勝手に褒美を決めさせてもらった」
「え……? 何言っているのですか」
「なんでこんなに活躍したと思っている。ステラを隣国になんて渡さない。おまえは俺のものだ」
「は……?」
国王陛下が告げたのは、「第一王子エルビンとステラ・リングバードの婚約を許可する」というものだった。
「――――どうして? ヒロインは」
「何を言っているんだ。幼い頃から、ステラしか見ていない。ステラを隣国に渡さないために剣の腕を磨いて、学んできたんだ」
「え? 勉強などされてなかった……」
「――――俺は天才ではない。ステラがかまってくれるから、してないふりをしていたが、裏で学んでいないはずないだろう? あんな短時間で100人の名前、覚えられるか」
「えぇ?」
別れのあの日のように、手の甲に口づけが落ちてくる。
「……ステラ、それで返事は?」
少しだけ不安がにじんだような声音。ずるい。
こんなの断れるはずがない。だって、私も、私だって。
私の瞳からこぼれ落ちた大粒の涙。
まるで、宝石でも扱うような手つきで、エルビン様が頬の涙を拭う。
「――――毎日、キャロットケーキ作りますね」
「ほかの料理も作ってくれるか? にんじん嫌いも、克服してきた」
「は、はい!」
隣国の姫も、幼なじみの宰相の息子と婚約したという情報が流れてきたのは、それから半年後の私たちの結婚式の日のことだった。
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