こわれる
一
「人間って美味しいらしいよ」
今日の『獲物』の服を切り裂いて、伊織は言った。
「……へえ」
曖昧な返事をして、俺はテーブルの上に置いておいたお茶を飲んだ。生温い。
ニホンでは三十年前、殺人は罪にはならなくなった。学校に行っていた頃に習ったことで、一番鮮明に覚えている。偉大な研究結果を残した、大昔の学者が殺人を犯していたことが分かったのが事の発端だった、らしい。そこからは……まあ、覚えていない。
「それは貴臣が、授業中寝ちゃったからでしょう?」
「前の日が、有名なゲームの発売日だったから」
伊織は、名前も分からない誰かの腕を、黒いゴミ袋に丁寧にしまっていく。
「全くもう。でも、今はゲームよりもこっちの方がいいもんね?」
「それは否定できない」
嬉しいなぁ、なんて微笑みながら、鉈で脚を切り離す。
伊織の顔は、人間らしからぬ美しさだった。それに、俺より一つ年が上だとは言え、俺よりも頭がかなりいい。噂では、日本で両手に入るぐらいの成績だったとか。声だって、俺とは違ってはきはき喋るから、説得力がある。とにかく、伊織と俺は正反対だった。ただ、やることだけはかなり大胆で、大雑把。そのアンバランスさが、俺はかなり好きだった。だからといって、別に俺は伊織と恋人関係にあるわけじゃない。ただ……、一緒に『趣味』をするだけの仲。
俺は、伊織と築四〇年の長屋住宅に住んでいた。一度もリフォームされていないここは、他人に興味のない物好きしか住んでいないと、伊織が勝手に決めてきた。『趣味』をするなら、一緒に住まないと、と。俺はどこでも良かったので、二つ返事で引っ越した。
「で、どうする? この人、食べてみる?」
テーブルの上の、顔と四肢のない女を指さして、伊織は言う。
「別に……、美味いからって食べる必要はないと思うけど。俺たちは食べるために殺してるわけじゃない」
「ただの『趣味』だから、って?」
美しい顔でにっこり笑って、俺の方を見る。何度されても落ち着かない。何も悪いことはしていないのに、何となくばつが悪くなる。俺は伊織から顔をそらした。
「興味ない」
「えー、ほんとにないの?」
「どうせ、処理が面倒だからだろ」
「……バレちゃった?」
今までにも、燃やしてみようだの、よく分からない薬品をかけてみようだの、伊織は身体の処理をどれだけ楽にできるか模索していた。確かに、胃の中に入れてしまえば楽だ。
俺は一つ、ため息をついた。
「仕方ないな」
自分でも、かなりちょろいなと思う。
結果だけ言ってしまうと、案外いけた。ちょっとクセはあるものの、臓を取り出して軽く塩をかけて焼いただけでも、かなり美味しかった。伊織は、もう少し脂っぽくない方がいいなあなんてぼやいていたけれど。
その日から、もともと二~三週間に一度行っていた『趣味』は、週に一~二回の『食料調達』に名を変えた。
どうやら伊織は、女よりかは引き締まった男の肉の方が旨く感じるらしい。伊織は好きなものを後に取っておくタイプだから、分かりやすかった。だからだろう、以前は簡単に殺せる女が八割だったのだが、今になれば半々ぐらいの割合になっていた。
誰を殺すのかは、いつも伊織が決めていた。その辺の通行人、罪人、俺たちのやっていることに対して反抗する大人たち、遊んでいる子ども、人数はいつも一人と決まっていたが、殺し方とどういう人間を殺すのかは、いつもバラバラだった。多分、伊織の気まぐれで決めているのだと思う。
「今日の仕事はどうだったの?」
伊織が、俺に聞く。俺は男の首を切り落とした後、最近買ったナイフを腹に添わせる。
「いつもと変わんない、オッサンたちにこき使われるだけ」
「そんなこと言って、いつも可愛がってもらってるくせにさ。いいよね、工事現場とか力仕事は。見かけとか経歴とか関係ないから」
「それなら、モデルから転職する?」
「やぁだよ、体力は『趣味』にしか使いたくないもん」
「俺もその方がいいと思う」
臓物をずるっと引き出し、身体を切る。この作業も慣れたものだ。今日の分を残して、冷凍庫に入れる。
「ねぇ、今日は、ハンバーグにしようか」
伊織は笑顔でそう言った。
二
暑い。暗闇の中、湿った空気の中で、人工的な光だけが点滅している。
「おーい、それこっち」
手押し車に乗った砂利は案外重い。伊織だったら、やっぱりすぐに音を上げそうだ。
「はい」
一緒に仕事をしている、俺よりも二回り以上年を取った彼らは、俺よりも遥かに元気で、やる気がある。うらやましい、のかもしれない。俺のような、何か特別、技術があるわけではない若造がすることといえば、必死になってシャベルで掘り起こしたり車の誘導をしたり、まあそんなところだ。特殊な機械を使えるわけではないから、作業の幅も狭い。
「オマエも長くなってきたし、そろそろ何か免許でも取ったらどうだ」
休憩中、比較的仲のいい人が、そんな風に声を掛けてくれることも、最近多くなってきた。
「いや……、まだ、いいですかね」
おごってもらった飲み物を、くいと持ち上げて飲み干す。
「……何か、理由でもあんのか」
彼は、俺の方を、じっとりとした目で見ていた。何か見透かされてしまいそうで、俺は目を合わせることが出来なかった。やはり、年の功もあって、何でもお見通しなのだろうか。削岩機の音が煩わしい。
「まあ、オマエが良いってんだったらいいんだけどな」
ここでは、お互いに深く干渉しあわないことがルールになっていた。彼は空き缶を捨てると、黙って作業位置に戻っていった。
俺も、そろそろ戻らなければ。
三
貴臣。ちょっと貴臣! ッチ、……オイ、返事ぐらいしろよ! アンタ、友達に暴力振るったんだって? アンタがどうなろうとアタシは知らないけど、コッチに迷惑かけないでよね。はァ、ほんとに、そういうところがあの男にそっくり! 人の迷惑も知らないで!
……はぁ? あの男と別れた話はもうしなくていいでしょ!? 口答えすんな!
ねえ、アンタのせいでユーくんに嫌われたらどうすんの!? ユーくんのおかげで、アタシとアンタはギリギリ食べられてんの、分かってんでしょ!?
今日も、ユーくんのトコ行ってくるから。……ちゃんと掃除しておいてよね。
「どうしたの?」
息を荒げていた俺に、伊織は微笑んでいた。
そうだ、ここには、酒がこぼれたカーペットや、煙の臭いがこびりついたカーテンはない。灰皿が飛んで、不条理に殴られることだってないし、深夜に雌が雄に媚びる声がして、気持ち悪くなることもない。
「昔のこと、思い出しちゃった?」
伊織は、処理している途中の肉を放って、血生臭い手を、水で流した。
「大丈夫だよ、もうあの女はいないんだから。大丈夫」
伊織は、俺を抱きしめ、頭を撫でる。ここに住むまで知らなかった、人の暖かさ。
「泣かなくていいんだよ。よしよし、大丈夫、だぁいじょうぶ」
俺がいつの間にか流していた涙を、伊織は白くて美しい手で拭ってくれる。甘く優しい声で、俺をなだめてくれる。
「ほら、目、よく見て。ここにいるからね」
両手を握って、椅子に座る俺と目を合わせるような姿勢になる。きちんと視線を合わせて、きちんと言葉を交わしてくれる。
「さっきは、怒っちゃってごめんね」
伊織は、敢えて話題を変える。
「でもね、やっぱり貴臣にはケガしてほしくないんだよ」
手当された俺の頬をゆっくり撫でる。昨日の夜、削岩機から飛び散った石の破片が、俺の右頬を掠めて傷をつけた。伊織は俺がケガをすると、いつも強く注意する。
「心配なんだ」
でも、手当てしたり、俺に触れたりするその手は、いつも優しい。
「お仕事、やめてもいいんだよ?」
「……やめないよ」
このやり取りも、数えきれないほどやっている。
「そっか」
伊織は、俺を尊重してくれる。
「絆創膏、変えようか」
その辺に放ってあった箱から、新しいのを取り出して、元々ついていたのをはがす。
「あーあ、まだ血出てるよ」
伊織は俺の頬をぺろりと舐める。ケガをすると、伊織はいつもこうして血を止めてくれる。
「またここ、貼っておくね」
今日の『食料』は、どこかで見たことがあるような顔だった。
四
「あの……、モデルの郁織と住んでる人ですよね?」
買い物の帰り、知らない女の人に話しかけられた。『郁織』は伊織の芸名だった。
「この間の郁織の特集見てて。一緒に住んでるTって、あなたですよね」
そういえば、テレビで特集が組まれるから、アンケートに答えてくれと言われた気がする。
「それに、郁織のSNSにも映ってましたし」
ピンクのブラウスにひらひらの付け襟。黒のスカートでツインテール……最近の女の子らしい格好だ。俺の格好と釣り合わず、周りの人間からはじろじろと見られている。早く話を切り上げたい。
「えーっと……伊織には逢わせられないですよ」
確か、ファンに何か言われたらこう言えと、伊織が言っていた。
「ああ、違いますよぉ、あなたに一目ぼれしたんです」
「え?」
彼女は、伊織が目当てではない、ということだろうか。ふふ、と笑って、彼女は、俺の荷物を持っていない左手をぎゅっと握った。
「やっぱり、実物の方がかっこいいです」
後ろから、大型トラックが近づく音がする。彼女もその車に気が付いたのか、その手をパッと放した。
「また、会いに来ますねぇ。今度はデートのお誘いに」
彼女は駅の方に駆け出して行った。
……それにしても、どこで住所を知ったのだろうか?
二十時頃、伊織はようやく帰って来た。
「ただいまぁ」
伊織の声と共に、ガンッという大きな何か落ちるような音がした。今日は一人で『趣味』をしてきたのだろうか。
「あ…………?」
よく見ると『それ』は、見覚えのある服装をしていた。
「あれ? 貴臣、知り合いなの?」
……それは、昼間の彼女だった。
「ひ、」
驚いて仰け反る。伊織は笑っていた。
「どうしたの?」
美しい顔をして、笑っている。
「いや、」
「なんでもなくは、ないよね」
しかし、その声は冷たい。今まで聞いたことがないくらいに。息が荒くなる。
少しの間を開けて、伊織はため息をついた。
「貴臣」
一転、甘い声で、俺を呼ぶ。甘ったるくて、胸焼けしそうだった。からん、と包丁が落ちる音がした。
「何で返事してくれないの」
分かっていた。伊織が、そういう目で俺を見ていたこと。でも、気づきたくなかった。恋人間とはまた違う、この空気が好きだったから。この関係を壊したくなかったから。
「……ねえ、」
呆然と立っていた俺の手を取って、俺と目を合わせようとしながら、俺に優しく声を掛ける。
今まで俺を介抱したり、懐柔したりする時にするのと同じように、俺に話しかける。
「一緒に死のうか」
ようやく、その時きちんと伊織の顔を見た。伊織は、泣いているのか笑っているのか分からなかった。
「ちゃんと、殺して、食べてあげるから」
伊織の手についた、乾ききっていない血が、俺の腕にびたり、と跡をつける。醜い頼みごとをして、汚い顔で、震えた声で、いつもの伊織とは似ても似つかない。
「お願い」
それなのに、伊織は綺麗だった。もしかしたら、伊織はもうヒトではないのかもしれない。