ワティーグス・ターリク
先だった二組の乱暴で想定外な旅立ちに比べるならば、プーリア・トァンの道行きそれ自体は平穏そのものだった。朝日が西と東から照りつけるなか、幕をすべて下ろしたトツァンドの四頭立て熊車が西門を出て大烏の道に入った。シュマルゥディス卿率いる騎兵隊が前後につく。その周囲をさらに軽装の傭兵たちが取り囲んで歩いていた。会談とも呼べない不毛な応酬を夜通しつづけてのちの旅立ちだった。
城と学院が共謀して賓を騙った。シュマルゥディス卿は話をそうまとめたがった。魔王といえば王都からはまだ知らせがないと言い、賓といえばあんな貧弱な男が救世主であるわけがないと笑う。王族に対するにはあまりに不遜な態度に城長が眉をしかめればどうせ女が相手だと高をくくった。端的にいえば話にならなかった。子細を聞いて途中から駆けつけた魔法史の長ですら、相手にするには少々声を荒げざるをえなかった。
当のトァンはどうかというと、自身に向けられた嘲笑に対してほとんど反応らしい反応を見せなかった。 〝あの方は間違いなく賓様でございます〟 〝どうであれわたくしは王都へ参ります〟 この二文を夜の間数度くりかえしただけだった。
人を苛立たせるやり方を得意とするシュマルゥディス卿にとっては相手が悪かった。卿にとってはもとより賓と光の子双方を監視下に置いておくことが目的だった。賓を連行した先発隊とサルンの手前で合流する必要もあった。小娘を言い負かすより実利を取る必要があったのだ。双方が一歩たりとも譲歩しなかった結果、このちぐはぐな変わった一座がともにゆっくりと西へ向かうことになったのだった。
学院側の責任者として同行することになった魔法史の長ワティーグス・ターリクは、熊車の中で向かいあって座る城主を気遣わしげにちらりと眺めた。もっともふたりともその顔はフードに隠されていて互いに確認することができない。
トツァンドの血統は古い。ほかのどの諸侯よりも、それどころかプーリアそのものよりも古いといわれている。母なるイーにトツァンド城を与えられて以来、トツァンドはアラアシの前にとどまってきた。トツァンドの存在は魔法とも熊とも烏とも深く結びついており、いかな王家や諸侯といえどもその営みに介入できない。
学院がトツァンドに目をつけた理由のひとつがその孤立性だった。百年ほど前から、本院のある港町サルンはしだいに商都として他地域の文化に染まりはじめた。学院は世俗化した諸侯たちからの干渉を避けるためにトツァンドに分院を設けた。表向きの口実もあった。魔法発展のためには、古代神聖語研究との連携が必要であるという。
それを許したトツァンドは、しかし今ゆるやかに滅びつつある。魔法史の長が向かい合っている少女こそが、トツァンドの血統がぎりぎりこの世に踏みとどまっていることのほかならぬ証拠であった。
母なるイーに直接まみえたトツァンドの栄えある血統は予想外の副産物をも生みだした。賓を迎える役目と光の子だ。母なるイーと同じ毛の色をもって現れる賓と、プーリアに存在しえないはずのルウシイを宿して生まれる光の子。その現れはつど魔王の復活と前後していた。数百年おきともいわれるほど間遠なできごとに、前回のことを覚えているものなど死に絶えて久しい。プーリアにはただ未知のものへのおびえと忌避感が形を変え、畏敬の念という言葉のもとに残るのみだった。
諸侯はトツァンドと姻戚になることを避けた。領民とのあいだは身分の違いが婚姻をはばんだ。結果としてトツァンドは非常に近しい関係で代をつなぐことをくりかえした。原因不明の病に悩むものは十数代前から現れており、生まれた子も嬰児の内に息絶えるか、元服しても子を成さないかということが増えた。人々はそれを魔王の呪いと呼んだ。
前王の代にはトツァンドはとうとう姉と弟、ふたりの子どもを残すのみとなっていた。もはやきょうだい同士の婚姻も避けられぬかと片方を形式上他家の養子に出す、その前段階でサルンを訪れていたほうの姉に思いもかけない申し出があった。前妻を亡くしたばかりの当時の世嗣、つまり現王からの求婚だった。
トツァンドとの婚姻など本来であれば王家も諸侯も認めるはずがないのだが、この世嗣殿下には特別な事情があった。第一子を出産してのち病をくりかえして儚くなった前妻というのが、そもそもブガルクから貢献物のように送りつけられてきた僭主の末娘だったのだ。熨斗をつけて送り返す侮辱もできず、そもそも返答のしようによってはブガルクのちょっかいが商業だけではすまなくなる可能性すらあった。
プーリアにとって屈辱的な選択が公然の秘密として行われ、第一王子ビューズはプーリアにあるまじき青髪を戴いて出生することになったのだった。ただしこのことが正確にブガルクに伝えられることはなかった。正規の妃ではなく愛妾、子は成さずに儚くなったと前王が書簡で伝えた。小国プーリアの、精一杯の反抗だった。
青髪とはいえ第一王子は第一王子である。すでに世継ぎを儲けた世嗣殿下の再婚を阻む障害はほとんどなかった。ただしトツァンドのほうがひとつだけ条件をつけた。婚姻によって儲けられた子のひとりを、必ずトツァンドの次代城主とするようにと。
かくして第一王女であるプーリア・トァンは、叔父に当たる前城主が若くして他界したのち幼児の身でひとりトツァンドへと送られた。トァンが光の子である兆候はすでに見受けられていたが、前王はそれを無視した。トァンは光の子としてではなく、あくまで契約を守るための王族として封じられた。
トツァンドとの盟約を本来の意味で守るためには、新城主は自らの子を儲けなくてはならない。トツァンドの血統を絶やさないための条件だからだ。賓ともに旅立たねばならない光の子では役者不足だ。賓がいつトツァンドを訪うかは予測不可能だった。もう明日にでも、光の子としての勤めは始まるかもしれないのだ。
当時の世嗣殿下は先に生まれた第二王子をトツァンドに封じるつもりでいた。だからトアルと名づけた。しかし父である前王が阻んだ。第三子が生まれるやいなや、その子が女であることも無視してトツァンドに封じることを決めた。そしてトアルはサルン領主となるべく、トアル=サンと改名された。
つまり前王と諸侯は形ばかりトツァンドとの約束を守った。そうせねばならない理由があった。子を成すことがおそらく叶わないであろうものをあてがい、その死を密かに見守る。そうやって盟約のみならず、トツァンドの血統そのものをうやむやにしようと試みたのだ。
王都も諸侯も、魔王なるものの存在など本気では信じていなかった。ただトツァンド、廟、それに学院の存在のせいで公然と否定することははばかられていた。組織間の力学が働いていたせいだ。 均衡を崩すためには、どこかの力をくじく必要があった。サルン本院は時間をかけてかなり世俗側へと傾いてきている。しかし廟は反対に母なるイーへの帰依を深めるばかりだった。そのような状況であったからこそ、トツァンドの力をくじくことがどうしても必要だったのだ。
トァンのトツァンド行きが決定した当時、ワティーグス・ターリクは魔法司としてサルンの学院で働いていた。これはまずいことになったと思った。当時のトツァンド城には人の温かみがなかった。血統がほぼ絶えているのだから当然である。通いと下宿の司書たちばかりが行きかう、巨大な石造りの図書室と化していたのだ。サルンから使用人が伴われるとはいえ、子どもが育つ環境ではなかった。
同じころ、ワティーグスは港町の私塾に集う下層民の中に秀でた能力を持つ子どもがいることを耳にした。残念ながらステムプレの出で、そうでなければ司補試験で出世もねらえるであろうにと、そんなことが港町の外で噂されるほどの神童ぶりだったのだ。ワティーグスは私塾に出向き、その子どもに古代神聖語の手ほどきをしてみた。子どもは海綿のように知識を飲みこんだ。けして恵まれた環境で育ったとはいえないのに、素直で思いやりのある良い子どもであった。年齢を聞くと新トツァンド領主と八歳違いであるという。
これはいけるとワティーグスは思った。何もかもまわりのものと違う環境で育ち、その苦しみも痛みも孤独も知っている。自身と比較すれば歳もずっと近い。このような側近が新領主には必要だ。ワティーグスは前王と少々ばかり知己であったから、肌の色の濃い子どもが司補試験を受験できるようにいろいろと工作することができた。代償としてそれなりの軋轢を生み、サルン本院での出世の道は絶たれてしまった。それも良かろうとワティーグスは考えた。トァンが光の子であることを露ほども疑ってはいなかったため、まずはこの王女を健やかとまではいかなくとも日常生活ができる程度の状態で成人させることが自分の使命だと思ったのだ。トツァンドで働けば比較的近くで見守ることが可能だ。
このような経緯があり、前代未聞の国外出身者であるスフが司書に任じられることとなった。トァンがトツァンドに封じられてしばらくのちのことだった。結果として、城主に向けられるはずだった珍奇のまなざしはすべてスフに注がれることになった。一種の身代わりだ。
それから十一年経ち、トツァンド領主は体が弱いながらも無事元服を過ぎて生きながらえた。賓を迎えることすらできた。自身の使命はほぼ達成されたも同然と、その間に魔法史の長に任じられることになったワティーグスは安堵すらしていた。昨夜までは。
スフは昨夜、中庭に血痕とぼろぼろになった上着を残して姿を消していた。踏み荒らされた靴跡は本人のものではなく、司書たちの幾人かがぴったり合う靴を所持していた。何が起こったのかはそれでだいたいわかった。持ち主たちは証拠隠滅を計ったのかもしれないが、熊たちが数頭、朝まで痕跡を守っていたためそれは叶わなかった。
光の子と賓の旅に同行するだけでなく、通訳や、場合によってはいさかいの緩衝材としての役割までも担う。魔法史の長がスフに対して抱いていた期待は大きかった。それだけに、昨夜のことは手痛い誤算だった。広場での乱闘後、グーォウ以下数頭の熊と、あろうことか当代唯一の先祖返りであるガーァゥリユーの姿までも見られなくなっていた。何かがおかしかったが、それをトァンに伝えることは長本人が阻んだ。
トァンは昨晩同様、マントの奥に隠れてひっそりと座っていた。もとより年齢より大人びている王女だったが、近年に至ってはその頭の中で何を考えているのかが長のような年長者にも推測できなくなっている。賓の連れ去りにも大きく動揺したようには見えなかった。距離感もかける言葉も、このあとの動向もすべてを図り損ねたまま長は気づかれぬよう小さくため息をついた。