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深い森へと続く道(WEB試し読み & 草稿)  作者: 赤星友香
草稿(2021年6月連載終了)
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23. 作戦会議(2)

「四年か。長いな」

横たわったままのビューズがぽつりと呟いた。俺はくすぐったい鼻先をぬぐって、目を瞬かせると顔を上げた。濡れた指は服の裾でふいた。

「長かったような、短かったような。俺にとっては環境の変化が大きい時期だったので、いつの間にか過ぎていたという言い方もできるような、でも終わらない悪夢を見ているような気分でもありました。とくに最初のころは」


 指先が冷えていた。そういえばビューズの熱はどうかなと思いついた俺は手を額に乗せた。まだ熱いな。世嗣殿下はというと気持ちよさそうにまぶたを閉じている。いや違うな、とその顔を見て思った。今俺は気を紛らわせたくてやった。熱をだしにして。


「完全に終わったのだと理解するにはどんな歳月も短い。ひとりで耐えるにはほんのひとときでも長すぎる」

まぶたを閉じたままビューズが言った。

「あなたはよく耐えたのではないか。ときたま激高する理由がこれでようやくわかった」


 思いもかけないことを言われてびっくりした。でもそうか、と俺は気づいた。この人、すごく幼いころにお母さんを亡くしてるんじゃなかったっけ。


 ひとしきりはわはわしてから視線を戻すと、俺の手の下で茶色の瞳がおもしろそうにこちらを見ている。熱出してるくせに。心の中でよくわからない悪態をついた。


「あなたの喜怒哀楽はわかりやすい」

唐突にきっぱり言われてむせた。


「はっきり言われるとちょっと心に来ますね…まあ、あなたたちは感情をどう見せるか訓練されてるだろうから、当然か」

「この国で話がまともに通じる下層民を見つけるのはなかなか難しいのだ。一方あなたとは会話をするになんの痛痒も感じぬし、それどころかこの世界にはない知恵をお持ちですらある。かと思えば余にはまったく不可解なところで烈火の如く怒りもする」

ビューズは首を巡らせて小さな窓のほうを向いた。曇り空から冷たい風が吹き込んでくる。


「異なる世界……今と異なるあり方というものがありうるのだと、その可能性を信じる気になったのはあなたのおかげだ」


 ビューズの真意を測りかねた俺は首をかしげた。これはなんというか、魔王とか賓とか光の子とかそういう話だけをしているわけではない気がする。もっとこう、ものごとのとらえ方みたいな、そういう話。


「……ときに」

ビューズが急に首をもたげようとしたので俺は慌てて支えにいった。

「どうしました」

「あなたは今日この塔から離れたか?」

「いえ、まったく」

「そうか」

「どうしました?」

「魔法石が減っている」


 長い指を持つ手が指し示したのはふたを外された甲羅だ。もともとたっぷり魔法石が入っていたので俺はすぐには気づかなかったが、言われてみればやや少ない気がする。ビューズ、長、熊三頭が魔法石を取り替えたのは今朝のことだ。だから通算でも十個くらいしか使っていない。そのわりに、甲羅の中にはごそっと両手で石を掻き出したくらいのスペースが空いていた。


「……ワティーグスさん?」

どっと冷や汗が出て背中を流れていった。俺は自覚する前に大声を張り上げていた。

「グューウォァウ? ギュォウ?」

駆け出しそうになって思いとどまり、横になったビューズの左手のあるあたりに短剣を置く。

「グァガ? どこだ?」


 慌てて落っこちそうになりながら石段を駆け下りた先は、無人だった。観音開きの扉は開け放たれたまま。白い霧が緩やかに漂っているのが見えた。振り返っても窓の向こうは霧。幽霊に取り囲まれたような心持ちだ。敵襲。裏切り。嫌な予感が駆け巡る。馬の匂い、蹄の音、硬い荷車の感触。思い出して物理的に胃が縮む感触がした。吐きそうだ、と思う。身動きの取れないビューズのことを思い出して何とかしゃがみ込むのを免れた。おそるおそる扉の外を確認しようと一歩踏み出したとき、俺はずいぶん久しぶりなように思う嬉しそうなしゃがれ声を聞いた。


「まれびとさま!」


 軽快な羽ばたきとともに地上に降りてきたのは、真っ黒で日本語を喋る烏だった。

「ガーァゥリユー」

驚きと、いくばくかの安堵とともに、俺はその名を呼んだ。





「……ややこしいな」

一気に人と熊と烏が増えたブイジー城内で、話をひととおり聞いた俺は頭を抱えた。


「ブガルクと結託しているのがシュマルゥディス。ブガルクとサルンの同盟を結ばせようとしてがトアル=サンに働きかけている。ステムプレに傭兵を調達しに行ったのは、ステムプレの様子を探るためでもあった。なぜならザー・ラムがステムプレにご執心だから。すごい、ビューズの予想がだいたい合ってた」

俺は指を折りながら話をまとめる。


「シュマルゥディスがトツァンドに来るように促したのは魔法史の長。賓をかたる何者かがいると。なぜなら……俺とトァンを別行動にしたかったから。にしてもやり方が雑すぎますし俺は何もかたってない」

ひと言嫌味を言う権利はあると思う。

「で、肝心のトァンはザー・ラムと一緒にいるし、何を考えているかわからないと。手詰まりですね。素晴らしい」

嫌味はひと言じゃすまなかった。投げかけた対象はというと、グーォウとグューウォァウの間に挟まれ、ふたりの座った目で監視されている。


 ガーァゥリユーが登場したときにはトァンが来たかと思ったのだが、同行していたのがスフだったのは驚いた。ちょうど長も熊たちも様子を見に塔の外に出て、互いの再会に驚いていた。そのタイミングで俺が慌てて下りてきたというわけだ。


 そのスフはというと、育った環境ゆえに荒事になじみがあると言ってビューズの骨折の具合を確認している。鎖骨が折れているのではないかという見立てはだいたい合っていたが、「おそらく肋骨もやってますね」とスフは平然とした顔で言う。いったいどんな幼年時代だったんだよと俺は改めて恐れ入った。そのスフは今は姿勢を固定するための布をよりしっかりと結びなおしているところだった。


 歯を食いしばっている世嗣殿下に頑張れと心の中で無責任な声援を送りながら、俺はあれれと思った。似ている。初めてビューズに会ったとき、誰かに似ていると思った。そのときはトァンだと思ったのだ。でも今スフとビューズが並んでいるのを見てわかった。ビューズとトァンはもちろん似ている。でもそれ以上に、ビューズとスフ、このふたりは横顔がそっくりだ。


 最初のころは俺の知っている人間と大幅に異なる骨格ばかりに目を取られていたけど、ひとりひとり鼻の高さ、額の張り具合、鼻梁の長さなどが異なっていることがだんだんわかってきた。そして今あげたような特徴において、ビューズとスフはとてもよく似ている。肌のもともとの色と髪質がかなり違うから、ぱっと見では気づかないかもしれないけど。


「しかしトァン殿下にそのような秘密があったとは」

ビューズの処置を終えたスフは俯き気味に言った。

「長ですら気づかなかったんでしょ。よくぞ今までずっと隠し通してきたもんだ」


 俺はできるだけ軽い調子で言いながらビューズが横になるのを手伝った。このまじめな若者がずっと秘匿されていた事実に気づけなかったことに責任感を覚えているのがわかったからだ。まあ、スフを今の仕事に就かせた張本人も別のベクトルから秘密にいっちょ噛みしていたわけだしスフが気にするところじゃないと思う。


「あなたはいつ気づいた」

横になったビューズに尋ねられた。まだあまり顔色が良くないけど、熱は少し下がってるみたいだ。

「わかったのは昨日、上で記録を読んだときです。でも決め手になったのはビューズが昔の話を教えてくれたから。ほら、ノートの話」


 えー、またノートどっかにやっちゃった。先生の声色をまた脳内で再生して、今度は笑えなかった。胸のあたりがぎゅっと痛んだ。ごまかすように言葉をつないだ。


「あと、時間の単位ですね。トァンは分を知っていた。トツァンドで初めて目が覚めた日に、俺とトァンは何分経ったっていう会話をしたんです。あのとき誰も突っ込みを入れなかったからおかしいことに気づかなかったけど。あそこで突っ込める立場だったのはワティーグスさん、あんただけだった。藪蛇になるからあえて突っ込まなかったんでしょうけど、きっと疑問には思いましたよね」


 反論はなかった。気づかなかった、あえて黙っていた、というのはそれぞれあまり正確な表現じゃないんだろうなと俺は思った。なぜ光の子がルウシイをもつのか、なぜ古代神聖語のイントネーションがひとりだけ違うのか、不思議に思わなかったはずはない。分とか秒とかに限らず、現代的な語彙を使って(たとえばインターネットとかさ)、かまをかけてみたいと衝動に駆られたことだってきっとあったはずだ。しかも俺が来たことにより、光の子の古代神聖語がネイティブの日本語なのだということもわかっただろう。ただ、光の子こそが自分のための生贄であるべきだという仮説にしがみつきたい気持ちがおそらく思考を曇らせた。残酷な言い方だ。さすがに本人に向けて言うのはためらわれた。



「私もずっと不思議に思っていたことがあります」

スフが注意深く口を開いた。

「賓様がいらっしゃった当日のことです。寝台の上の賓様を見て、トァン殿下はほんのわずかですが、驚いた顔をなさいました。私はそれがずっと気にかかっていた」

「……そっか」

ちょっと驚いたのと、むずがゆかったのと、正直に言うと少し鼻の奥がつんとしたのとで短い返事しか返せなかった。そっか。俺のこと、忘れてしまっていたわけじゃなかったんだな。


「それで、どうなのだろう。お前たちの言う強い魔力が魔王と打ち消し合うという仮説は。ルウシイでなくてもバーは消せるのか。ワティーグスはどう思う」

横になっていても威厳のある世嗣殿下が、自然な雰囲気を保ちつつ話題を逸らしてくれた。俺にはその気遣いがわかった。


「私たちがバーと呼んでいるもの……もっと言えば魔王そのものが、現状からの推論による仮定でしかございません」

老人はずいぶん落ち着いた声で言った。いろいろな感情を経由して、とりあえずトツァンドの魔法史の長ワティーグス・ターリクとしての人格の中に落ち着くことに決めた、そんなような印象を受けた。

「打てる手はすべて打ってみる価値がございます。幸いにして魔法石も大量にある」


 甲羅の中にはハワウが詰められた魔法石がまだぎっしりと入っている。少なくなったとビューズが指摘した分は、俺たちが寝ている間にギュォウによって持ち去られ、森がなくなり草原が始まる際まで到達していたスフたちに今朝方届けられていた。全然気づかなかった。ブイジーに到着した日に俺たちを離れていったまだらの烏(名前をグゥルイというのを今日初めて知った)はそもそもグューウォァウの指示を受けていたのだという。理由は、スフとグーォウ、ガーァゥリユーの匂いがしたから。彼らに、俺たちがすでにブイジーに到着していることを伝えるために。それならひと言言ってくれよと思ったけど、そもそも熊たちには意志を伝える手段が何ひとつとしてないのだった。


 スフは無言でそばに置いていた袋から大きな丸い魔法石を取り出した。廟に置いてあるのよりもふた回りか三回りくらい大きい。


「親石です。ご覧ください」

スフが俺とビューズの前に進み出て親石をかかげ持った。一見すると真っ白な石の中には、様々な色が集まり離れては揺らめいている。たとえて言うなら、よく磨かれたホワイトオパールみたいだった。その光があまりに楽しげなので、見ているだけで気分が軽くなってくる。


「これに触れ、魔力が使えるようになった」

「はい」

スフがハワウ持ちだというのはすでに見せてもらって知っていた。プーリアにしか魔法が使えないという大前提を覆すものだ。めっちゃ食いついているビューズの熱が上がらないかだけが俺は心配だった。


「よくご覧になってください。……何か見えますか」

スフに促されて俺は再びじっと親石を見つめた。赤、青、黄色、銀色、オレンジ、紫、緑、ありとあらゆる色が揺らめいて踊っている。美しいな、と思った瞬間だった。暗い影がよぎった。心が一気に不安に支配される。思わず後ずさって、ビューズの体にぶつかった。ふたりで顔を見合わせる。


「今の」

「あなたも見たか」

柳眉がしかめられていた。


「これが魔王だとガーァゥリユーが言いました」

スフが説明を続ける。

「そして、私の思いつきなのですが……」

言いよどんでいる。

「なんだろう」

「ルウシイがバーを駆逐するのであれば、賓様が親石をお持ちになるとどうなるのでしょう。おそらく影は親石から私たちに姿を見せているはずです」

「なるほど?」


 俺は一瞬だけためらって、それから両手を差し出した。触れた瞬間またあの闇が見えたらどうしようと、少しだけひるんだのだ。でも、この大きさだから。きっとたいしたことない、そう思った。思うことにした。


 スフが俺の手の上に親石を乗せた。ずっしりと重い石はほのかに温かかった。手のひらでその熱を感じていると、みるみるうちに白い石肌が黄金色に染まっていく。


「おお」

ビューズの感嘆が聞こえた。金色はどんどん強くなり、遊色はその間をきらめき、光はどんどん明るさを増して——


 俺は親石を取り落とした。持ち続けることができないほど熱くなっていた。ゼウムでできた床に当たって親石はごつんと硬質な音を出して転がった。黄金色に輝いたまま。


「これはいったい」

呟いた声は掠れていた。親石は触ったものに魔力を教える役目だと聞いた。俺のイメージしたのは、親石の中にある魔力がちょこっと持った人に反応する、言うなれば外向きの力だった。なのに、俺が持った瞬間親石は俺の魔力を吸い込んでしまった。


「あなたのほうが強すぎるのだな」

ビューズが感心したように言っている。

「影はどうなったろう」


 その場にいる全員が息を詰めて親石を見つめた。影は現れなかった。

「こちらを見てみましょう」

スフが別の親石を取り出して床に置いた。金色に輝く親石の隣に置くと、さしもの遊色も少しおとなしく見える。そのまま見つめていると、見えた。いきなり日が陰ったような、雨を降らせる黒い雲が激しい風とともに近づいてくるような、遠くからゲリラ豪雨の様子を眺めるような。どういうわけだか不穏な気持ちになり、この世に自分がひとりきりでないことを確かめたくなる。なった。周りを見回して安堵し、同じことをしているスフと目が合って思わず苦笑いした。


「これは、わかりませんな」

魔法史の長が呟く。ビューズも同意見のようで、動かせる左手を顎に置きながら俺が金色にしてしまった親石を眺めていた。


「本当はブイジーにも親石があるのだそうですが」

スフは言った。

「熊たちはその場所を見つけられていません。ここまで来てもわからなかったのだそうです」


 俺はうなずきつつ、ひとつ増えたところでどうということもないだろうなと思った。俺が同等の存在として魔王に呼ばれたのだとしたら、一瞬でルウシイを満たしてしまえるような親石では相手にならないだろう。


 俺は窓の外を眺めた。霧で真っ白だ。深森が見えないのはいい、と思った。あの切羽つまる焦燥感に襲われない。


「結局、行くしかないのか」

「ん?」

ビューズに聞き返された。

「霧が晴れたら、俺は行くしかないんだなと思ったんです。たぶん、結論が出なくても。だからあんまり悩んでる余裕はないんだなって」


 単なる事実だ。でもだからこそ重かった。どうすればいいのかわからないまま俺は深森に引きずられていくのだ。それはたしかに、ガーァゥリユーたちの言う贄のように思われた。


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