表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深い森へと続く道(WEB試し読み & 草稿)  作者: 赤星友香
草稿(2021年6月連載終了)
35/55

16. オルドガル(1)

“よろしかったのですか”

遠くなっていく岸壁を見つめる王女に対し、魔法史の長が声をかけた。乱闘の喧噪がまだ鮮やかに聞こえる。領主館による包囲網をかいくぐった面々を子細問わず船員として雇い入れ、夕方近くになってようやくぎりぎりの人数を確保しての出港だった。


“世嗣殿下のお考えはわかりませんが、賓様を王都にお連れしたのは良い判断だったと思います。わたくしも続くまでです”

マントを深々とかぶったままトァンは答えた。


 魔法史の長は口を開け、しかし言いよどんでまた閉じた。シュマルゥディスと通じているのは第一王子ではなく第二王子であるということを長はほぼ確信していた。王族ひとりひとりに対する世間の、および諸侯間の評価を知らないわけではない。ただ、第一王子がそこまで悪影響を与える人物なのか、そして第二王子が言われているほどの大人物なのかについては常々疑問に思っていた。幼少期の姿が目に焼き付いているせいもあるかもしれない。熊や魔法といったものを古くさいと嫌がっていたのはむしろ第二王子のほうで、第一王子は長が合間合間に語って聞かせる研究の小話に目を輝かせて食いついていた。その傾向は成人してもなお変化していないように感じられた。


“トアル=サン殿下は……”

ようやく言いかけた言葉はトァンによって遮られた。

“兄上には兄上のお考えがあるのでしょう。道を同じくできないことについては心苦しく思います”


それ以上語ることはないと言わんばかりのきっぱりした物言いに、長は会話を続けることを諦めて夕焼け空を見上げた。



 特別船船長のドフューは憤っていた。プーリア人である以前に生粋の港町っ子であるこの男は、生来偉そうにしている人間が嫌いであった。自治権の代わりに多額の上納金を納めさせられているのも癪だったし、商いには手も金も出さないのに口だけ出してくる小うるささも目障りだった。特別船の船長となったのは船元である生家が代々手がけてきたから仕方なくであり、年に一度きり仕立てさせて王都参りをする王族のことは暇人だとしか思っていなかった。


 そのため、昨日夜更けに店の扉が叩かれたとき、そして戸外に立っていたのが第一王女その人であったときには驚いた。ただの見目良いお人形だと思っていたら、年長の男性家族に反抗してでも我を押し通す肝があったわけだ。こちらとしても見る目と態度を変えねばならないとドフューは気を引き締めた。


 幸いにして特別船は船渠入りする年ではなく、一カマーグほど前に航行したきり港の出入りしやすい場所に係留されたままだった。第一王子の入市許可証付きとあっては断る理由がない。一も二もなくドフューは頷き、まずは第一王女とその連れである魔法司および熊四頭を船室へ案内した。翌朝一番に船員の徴募を始めた。


 その時間にはすでに港町がきな臭くなっていた。憲兵と領主館の私兵が港町の自治ラインを超えて立ち入っているという話は日が昇る前に聞こえた。新市街の通行も分断しているらしく、港湾労働者の集まりが悪い。ブガルクやオルドガルからの商船は積み荷の作業が進まず担当者が腹を立てていた。


 ドフューのように船を持ち人を雇う立場のもの以外、港町の労働者は日雇い暮らしだ。仕事に行けないということは今日のパンにありつけないということに直結する。トアル=サンにもっとも足りなかったのはこの切実さに対する理解で、どうせ港町を封鎖するのであれば貴族の別宅にしたように金子でもばらまけば良かったのである。それを怠り兵士でねじ伏せようとすれば、同じく腕力に自信がある港湾労働者が黙っていないのは当然のことだった。


 小競りあいから始まった乱闘は昼過ぎには収拾不能な状態に陥っていた。細い路地の多い港町では長い得物を持った兵士はすぐに身動きが取れなくなる。港町の労働者は蜘蛛の子を散らすように広範囲に広がり、封鎖を行う兵士に奇襲を掛けた。義憤から闘うものもいたが、包囲網を突破するためだけに暴動を利用し、そのまま何食わぬ顔をして仕事を探しに港まで訪れるちゃっかりものも少なくなかった。


 そのようななかから、数日家を留守にしてもかまわないという顔見知りを片っ端から選んでドフューは船に乗せた。船員としての経験は浅いものも多かったが、トァンが報酬ははずむと確約したので心配はしていなかった。金さえあれば労働者は働くのだ。実際船はひと晩問題なく航行し、翌朝が明け切った頃には航路の半分は優に過ぎていた。港町に置いてきた使い物にならない領主以外は、何ひとつ問題ないように思われた。


 このままなら日が高いうちに渓谷を通り王都までたどり着けるかと思われた昼過ぎだった。ずっと西風を正面から受けて上手回しタッキングをしていた船に突然強い東風が吹いた。一日の八分の一カマーグほど追い風を受けて速度を増した帆船の船首にいた見張りは、突如として視界に入ってきた巨大な船に目を剥いた。


“船艦だ!”

見張りからの声を受けてドフューは船首に駆け寄った。視界ぎりぎりに航行しているのは、間違いなくブガルクの奴隷船だった。ドフューは声を張り上げて命令した。

“取り舵いっぱい! 敵船からの攻撃に備えろ!”


 船尾で舵取り棒を押していた船員の証言によると、そのときはまるで光の矢がまっすぐに落ちてきたかのように思われたという。マストに登って帆を解いていた船員は強い東風に吹き飛ばされそうになった後のことはあまり覚えていないと語った。船室内にいたトァンと長は何を経験したかというと、急にせり上がってくる海面に押されて船室が傾いたこと、岩でも落ちたかと思わんばかりの轟音を聞き、巨大な波が船に覆い被さってきたのだということを理解するのにしばし時間を要したこと、傾いた床のせいで船室の隅に転がされながら脳裏をよぎったのは魔王の復活だったということ、だった。



 大湖北岸オルドガルの最東端、大山脈地帯の裾野に東の端を接した寒村デンコットに、見るも無惨な様相を呈した船が二艘漂着したのは王都プーリア沖で突如竜巻が巻き起こった日の夕暮れ時だった。竜巻によって巻き起こされた風と波は普段でならあり得ない方向へと制御を失った船を誘ったのだ。容積も積み荷もそれぞれ異なる二艘の船は、プーリアの特別船のほうがやや速くまだ明るいうちに、ザー・ラムの奴隷船は日も落ち周囲がかなり暗くなりかけてから、それぞれ沖の暗礁に乗り上げて止まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ