表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深い森へと続く道(WEB試し読み & 草稿)  作者: 赤星友香
草稿(2021年6月連載終了)
33/55

15. 平凡な領主の想定外な一日(1)

 朝からトアル=サンは苛立っていた。朝の執務に取りかかるやいなや飛び込んできたのが、「城門外で()()()()()()()()()()を運ぶ熊がいるというわけのわからない報告だ。賓到来の報は領主館で確実に握りつぶしたため市井に漏れているはずがない。唯一例外となりうるのはあらゆるところに耳目を持っているらしい実の兄だが、いくらあの世嗣殿下でも当てこすりのためにそんな芸当を仕込むわけはなかろうとトアル=サンは考えた。夏の日差しに憲兵の頭がやられでもしたに違いない。


 続いて昼前にシュマルゥディスの騎兵が面会を求めてきた。領主館の私兵に半ば抱えられるようにして入室した若者は、革鎧を脱ぎ捨てて走ってきたのだという。顔は日差しで真っ赤に腫れ上がっており、腫れのせいで話すのも困難そうであった。忍耐強く聞き取ったところによると、サルン郊外最初の野営所にてシュマルゥディス卿を待っていた一隊が熊の集団に襲われて馬を喪失し、連行していた賓も捕獲されたということだった。


“一個大隊相当の熊だと?”

サルン領主は苛々と呟いた。その数の熊を抱えるのは、この近辺ではサルン領主館しかない。

“バゼル、館の熊は管理されておるのか”

“申し分ございません。現在も警備と労働に規定数の熊が詰めております。一個大隊相当を遊びに出してやる余裕は領主館にはございませんな”

問いかけられた執事は理の当然、といった表情で返答した。


 伝令の騎兵は治療のため部屋をあてがわれた。放っておけば皮膚が熱にやられて変形し、元に戻らなくなる恐れがある。熱のせいで体温調整機能が狂う可能性も捨てきれない。つまり若者は自らの命をかけてここまで走ってきたわけであり、いかにありえなかろうとその言を狂言として処理することは叶わなかった。


 トアル=サンは自らに残された時間とやるべき仕事について検討した。長兄からは俗物だ愚かだと言いたい放題されているが、この若君は性急ではあっても決して無能ではなかった。三日後には自らの人生をかけた会見が行われるというなかにあって、まず優先するべきは街の治安と見てくれの良さである。領主は傍らに控える執事に命じた。


“お前は散らされた騎馬の回収に向かえ。必要なだけ熊を使って構わない”

騎馬はシュマルゥディスが深森警備に必須であると訴えたためサルン領主の采配で輸入したことになっている。しかしトアル=サンの目的は別のところにあった。文明国としてブガルクを迎えるのであれば、旧態依然と熊に乗って現れるわけにはいかないのだ。それではあまりにもみすぼらしく、粗野に映る。対等な交渉相手として認められるためにも、馬とそれを乗りこなす騎兵の一団はどうしてもサルンに必要だった。


“仰せのままに”

バゼルは一礼して退室していった。


 トアル=サンの心をさらに苛立たせるのに十分なことに、続いての報は市中を警邏けいらする憲兵から再び寄せられた。街のあちらこちらで不審なつむじ風が発生したり、屋根の上を走るふたり組の姿が目撃されたりしているというのである。ここにきて領主の不快は最高潮に達した。


“熊を用意させよ”

トアル=サンは護衛に申しつけると自らは着替えのために執務室続きの自室に引っ込んだ。もはや我慢がならなかった。朝の熊に抱かれていたという子どもは間違いなく確保に失敗した賓だ。年の頃はトアル=サンとビューズのちょうど間と聞いている異界の旅人を最初の憲兵がなぜ子どもと見間違えたのかは不審だが、異様なほどに異なるという顔立ちのせいで幼く見えるものなのかもしれない。街のものの目撃情報が正しいなら、それを拾ったのはあろうことか実の兄、世嗣殿下ということになる。


 追っ手の目をくらますためにあちこちを走り回っているのだろうから、今頃はすでに港町の人目につかないどこかにでも潜伏しているのだろう。治外法権の港町は領主のトアル=サンといえども一存で踏み込むことが叶わない。であるならば、向かうべき先は一箇所しかない。領主館と広場を結ぶ目抜き通りの東側に広がる高級住宅街、その中にある世嗣の邸宅である。


 果たして一日の四分の一カマーグ後には、高級住宅街のとある中庭にずらりと居並ぶトアル=サンと護衛たちの姿があった。困惑した表情の侍従長が裏口から応対を行っている。施錠された世嗣低の玄関を突破することがためらわれたため、中庭を共有する諸侯の別宅である高級長屋タウンハウスに立ち入りを願って中庭に辿り着いたのだった。


 なぜためらわれたのかというと、人目につくと分が悪いからであった。サルンの警察権は領主に一任されているとはいえ、諸侯の子弟が居並ぶこの高級住宅街において、血を分けた、しかも年長の、より言うなれば王位継承権第一位の兄に対してサルン領主が狼藉を働いたと噂になれば面倒だ。しかも数日後により慎重に火消しを行わなければならない案件を抱えている身とあっては、秘密裏にこの捜索を済ませてしまいたかった。通路を借りた別宅には使用人がいるのみであったから、金を握らせて少し凄んでおけば良いだろうというのがトアル=サンの判断であった。


“かまわない。入れ。抵抗するものは捕縛して良い”

困惑しつつも陰に陽に出入りを拒絶する侍従長に業を煮やした第二王子は護衛に命じた。良く訓練された私兵たちは熊を進めようとしたが、熊たちのほうは頭を低くし、鼻息を吹き出しながらその場で踏み足をした。気の短いものが剣の鞘で熊を打ったが、打たれたほうは不愉快そうな唸り声を小さく上げるとその場にうずくまってしまった。


“家捜しだ。熊などおらずとも仕事はできる。人間だけで行け”

マントの奥で不快そうに眉をしかめながらトアル=サンは再度命じた。


 この家捜しでどのようなめぼしいものが見つかるのかについては、実行した当の本人がもっとも理解していなかった。常にうっすらとつきまとう恐怖として、兄は自分とは異なるやり方で大国ブガルクとつながっているのではないかという疑惑があった。兄の血の半分がブガルクでできているというのが想像の発端で、確信を得るための証拠は未だ得られていない。


 それとはまったく別に、トアル=サンはビューズと学院との密な連携について疑問を抱いていた。研究や開発とはまったく無縁な、どちらかというと商品をいかに売りさばくかということに才があるタイプの弟であったから、魔法の権威を笠に着て商業の邪魔をする——というようにしかサルン領主の目には映らなかった——学院と次期王位継承者が近い距離にあるというのが、単刀直入に言えば迷惑至極だったのだ。


 生まれ年が九つ違う兄と弟は、その母親だけでなくあらゆるところが異なっていた。父親譲りの輝く金髪と同じ色の瞳を持つトアル=サンの評価を人に尋ねれば、鷹揚で快活な美男子という答えが返ってくるだろう。同じ人物に第一王子のことを聞けば、人を寄せ付けぬ変わり者で、王位継承者であるにもかかわらずプーリアの伝統をないがしろにしているという答えが返ってくるかもしれない。


 兄の人となりが実際どうであるかはともかく、第二王子はそうあれかしと願う姿を他人の心の中に抱かせるという意味においては役者が上だった。しかし本心では、段違いに優秀である兄に明らかに劣っている自分であることを知っていたし、何の功績も持たぬままご一新によって王都に引っ込まされることに恐怖を抱いてもいた。それはトアル=サンにとって幽閉も同じだった。王都入りすればあとはただ長く生き延びただけの隠居として無為な日々を終わりまで過ごすだけなのだとこの領主は信じていた。仮に魔王のようなものが復活するようなことがあったとしても、伝承によれば最初に犠牲になるのは王都だ。祭祀だ何だといってみても、王都入りとは要は姥捨てであり、王族に長く権力を持たせないために構造的に仕組まれた伝統なのだというのが第二王子の意見であった。


 トアル=サンは若く、かつこういった事情によって功を急いでもいた。またここ数年はサルン領主として日々この街の商いにブガルクの影が強く忍び寄るのを見て知ってもいた。王都に引きこもったままうんともすんとも言わない父王はもちろんのこと、魔法の発展により国力を強めると言って聞かない兄も、伝統にがんじがらめにされ古代神聖語だカラスが喋っただの一部の頭の固い連中がありがたがるようなことばかり報告してくる妹も、現代のプーリアが置かれた状況を的確に判断できているとは思えなかった。深森に領地を接し、地理的距離からオルドガルがいかにブガルクの支配下に置かれていったかをまざまざと見てきたシュマルゥディス卿のみが、己の考えるところを忌憚なく共有できる同志であるように思っていた。


“殿下!”

世嗣邸に入った部下のうちひとりが紐綴じにされた紙の束を持って裏口の階段を降りてきた。

“これはご覧になりたいのではないかと思いましてお持ちしました”

“ありがとう”


 トアル=サンは表情筋の出しやすいところにしまってあるきらきらしい笑顔を即座に取り出すと部下に向けた。差し出されたものを受け取ると、表紙代わりに重ねてある木板に 「魔王の発生条件と利用可能性について」 という表題のようなものがインクで書き付けられている。部下たちは古代神聖語を知らない。ただし文字を目にすればこれがそうであるということはわかるから、何か重要なものであろうと判断して持ち出したようだった。


“ほほう、これはこれは”

トアル=サンは人を魅了する微笑みを浮かべたままぱらぱらと紙束をめくった。


“時来たりなば魔王の側につこうと、そう考えておられたのかな。我が兄上は”


 当たらずとも遠からず、あえて言うのであれば誤解を受けそうな方向性にひねった言い回しをすればその場にいたものたちが色めき立つ。魔王とはすなわちプーリアの敵を意味する。やはりあのブガルクの血の混じった王子は背信のものであったかと、誰ひとりとしてそうは口に出さずともその場の雰囲気を誘導するくらいは簡単であった。


“これは大変興味深い。館に持ち帰り検討しよう。似たような書類を見いだしたものには褒美を出すぞ”

にっこり笑って申しつければ、やる気を出した男たちは我先にと再び邸内へ雪崩れ込んでいった。 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ