13. 王都(2)
濃紺の空がうっすらと白むころ、湖岸に接してそびえる頂のてっぺんを西と東からの太陽が赤く染めはじめた。夜通し逆風をいなしながら走り続けた船は、今細く裂けた湾の入り口に錨を下ろしている。崖地の間に突如として姿を現す湾は、その最奥に王都プーリアを抱き込んで静かに眠っていた。
昨晩夕食のあと眠ってしまった俺がコンテナからのそのそと顔を出すと、帆桁にとまったまだらの烏が顔だけで振り返った。かあ、という挨拶の声がしじまに響く。冷たい空気がきんと顔を刺して、俺は思わずビューズに渡されたマントを体の周りにかき寄せて身震いをした。俺の黒髪を見ると周囲が落ち着かなくなるので、人目があるときはフードを被っておけと言われている。失礼な話だ。
湾は両脇に迫る切り立った崖の間に横たわっている。ぎざぎざとした陸地は湾の幅を少しずつ狭めながら王都プーリアへと船をいざなう。ただし熟練の航海士と、柔軟な漕ぎ手のどちらが欠けても王都にはたどり着けない。水深は浅く、定期船のような大きな船は湖底に沈む大きな岩をぎりぎりのところで回避しながら航行しなければならない。完全に明るくなった日中でないと座礁する恐れがあるということで今は時を待っているのだった。
甲板の下から煮炊きの匂いが温かく立ち上ってきた。無意識で鼻を動かしていると、後ろからくしゅん、と小さなくしゃみが聞こえた。振り返ると熊があくびをしていた。快適とまではいえないまでも、それぞれがコンテナの中で身を寄せ合って眠った。熊の体温のお陰で、風の吹く甲板上に置かれたコンテナの中でも温かかった。おはよう、と思わず声をかけるとぱちぱちと瞬きを返してくる。
ビューズはどこに行ったかなと首を巡らせると、船首のほうに髪の毛が青い人影が見えた。仁王立ちになって湾の奥を見つめている。
「おはようございます」
コンテナから這い出して声をかけるとビューズも烏みたいに顔だけで振り返ってああ、と言った。そのまますぐに前を向いてしまう。
世嗣殿下は何を見ているのだろうと目やにのついたまぶたをこすりつつ目を向けた。ビューズは切り立ったぎざぎざの崖の、その頂上あたりにじっと視線を据えている。
「王都の守りはこの複雑な湾形だけではない」
唐突にビューズはしゃべりだした。何の話だろうと思いつつもとりあえず耳を傾ける。
「魔法だ。この崖地にある峰のいくつかは、港の塔に据えられた魔法石と連動して風を起こす。魔力の強いものが操ればこの船くらいは簡単に転覆させることができる」
言いながらビューズは片手を崖のほうに向かって降った。俺は光が当たる部分がだいぶ広くなってきたその頂あたりを眺めた。魔法が組み込まれた装置があるなんて全然分からない。崖には木も草も生えておらず、ざらざらとした断面を晒して澄んだ空気の中にそびえ立っていた。
「だいぶ怖いですね」
俺は首をかしげた。今まで接してきたプーリアの魔法は明るくしたり、湯を沸かしたり、髪の毛を乾かしたりとずいぶん可愛らしいものだった。ちょっとした便利グッズの域を出ない。ビューズが開発中の移動装置がだいぶ発展系に感じられるくらいだ。見た目は甲羅だけど。
「それって、だいぶ複雑な魔法なんじゃないですか」
そう尋ねると第一王子は頷いた。
「複雑と言うよりも、機序が判明しておらぬのだ」
「でも、使えてるんでしょう?」
どうやって動くか分からない巨大装置を動かしてるとかめっちゃ怖い。止めてほしい。そう思ったのが伝わったのかビューズは渋い顔をした。
「厳密には失われたと言ったほうが良いのかもしれぬ。その歴史すら今は分からぬ」
「えっと、つまり」
俺は考えを整理した。
「昔誰かが人為的に組み込んだ魔法装置ではあるけれど、その技術が今では失われている」
「その通りだ。そもそも学院は、プーリアのそこかしこに残されている古い魔法を解明するために設置された機関だ。本来であれば王都でも研究をしたいところだろうが、それは王家のしきたりによって阻まれておる」
「なるほど」
俺は適当な相づちを打って辺りを見回した。何となくその辺りの関係性は分かる気がした。部外者を王都に入れないのはプーリアのしきたり、伝統。伝統を守るというのはきっと最初は手段だったはずだ。何か合理的な理由があったんだろう。けれどいつの間にか手段が目的にすり替わり、そのタイミングで何か大きな出来事が起こった。それによって数少なくなっていた技術を継承する人材が失われたんじゃないだろうか。こんなことを俺は手に取るように想像することができる。役人だから。
そうこうしているうちに朝食の準備ができたらしい。甲板上の上げ蓋がばんと音を立てて跳ね上がり、急にいい匂いが強くなった。ビューズの長い腕が伸びてきて俺のフードを引っ掴み、かぶらせた。
“〜〜〜〜〜”
朝食を持ってきた船員が何かを言って、ビューズがそれに返答した。第一王子のくせにだいぶ気軽なやりとりをしている。この船の人たちはビューズと顔見知りみたいで、かしこまった態度なんてどこにも見られなかった。
「賓殿、朝食だ。済んだら船が錨を上げるぞ」
船員と話しおえた世嗣殿下は、整った顔立ちを俺に向けて言った。




