13. 王都(1)
荷車の荷物と貨物船の荷物、どっちのほうがましかなんて、人生で一度も考えたことがなかった。そもそも荷室に乗るという発想自体浮かばないだろう。稀に陸上自衛隊が国道を駐屯地に向かって移動しているのを見ることがある。オフロードも楽々走れそうなトラックには大きな幌がついていて、そこに迷彩服の隊員が詰め込まれている。すげー大変そうだなと人ごとのように思っていた。実際人ごとだったし。
しかしそんな俺もトツァンドを出てこのかた、まともな方法で長距離を移動できていない。トツァンド・サルン間は簀巻きにされて荷車の上だったし、サルンの街中へはビューズの魔法で吹き飛ばされたも同然。そして今は、面倒を避けるためと称して王都プーリアへ向かう定期船の中の、甲板上に積み上げられた木製コンテナのひとつに、なぜか王族ひとり熊一頭烏一羽と一緒に詰め込まれている。
詰め込まれているといってもコンテナ内部はちょっと高級なカプセルホテルくらいの広さがある。のびのびと寝っ転がることはさすがにできないけど、足を伸ばして座るくらいなら可能だった。暗い上につま先が熊のごわっとした毛皮に埋もれることを除けば、概ね不快ではない船旅のように思える。
どうしてそんなことになっているのかというと、サルンでの人目を避けたからだった。サルン領主トアル=サンはわりと本気を出して俺のことを探しているらしく、夜ビューズの隠れ家を出て治外法権の港町に辿り着くまでの間にも二度ほど領主館の私兵を見かけた。王都への定期船に乗り込むこと自体は世嗣殿下が隠れ家の家主を通じてすでに話をつけてくれていた。波止場へ向かった俺たちには身を隠す場所として空きコンテナが用意されていたというわけだ。
コンテナは大型のすのこを組み立てて箱にしたような形をしていて、木材と木材の隙間に目を近づけると外の様子が窺えた。ざぶんざぶんと音を立てて船は進む。西から吹く向かい風に帆を張って、上手回しで航行していた。見渡すかぎり湖面だ。大湖というだけあってあまりにも大きく、まるで凪いだ海みたいだった。
すでにサルンを出港して数時間くらいは経っているはずだ。サルン・プーリア航路は約二万一千イェフニム。イェフニムはイェフニの十二倍で、イェフニは指の先から肘のまでの長さだそうだ。夏期の定期船は一日の一カマーグ(つまり四時間だ)につき最低でも千イェフニム進む。だから二十一時間——一日の五カマーグと四分の一くらいでプーリアに着く。到着は夜中から明け方くらいになるそうだ。六進法と十二進法の間で頭がごちゃごちゃになりながら、おおよその目安をビューズに教えてもらった。
当の本人は今、アウグの魔法石をふたつ灯しながら手紙のようなものを読んでいる。先ほど重たい革靴の足音ともにコンテナの隙間から差しこまれた紙片で、この定期船を運行している商人(隠れ家の家主とは別人らしい)からのものを船長が届けてくれたのだった。赤い光に揺らめくきれいな青髪を見るともなくぼんやりと眺めていると、読み終わった紙をかさかさとたたみながらビューズがふむ、と言った。
「どういった手紙なんですか」
何とはなしに聞くと読むか、と突き出してくる。受け取ってみたが当然ながら読めるわけが——あった。分かち書きのひらがなで書かれていたからだ。
「みなとまち だいいちはとば しようていし ようせい。 ごくひにて ひんきゃく くるよし」
俺は小さな声で一行目を読み上げた。ひんきゃく、賓客か。くるよしは来る由。極秘にて賓客来る由?
「何ですかこれ」
思わず顔を上げて尋ねていた。極秘の賓客もよく分からないし、そういう話が商人から回り回って第一王子にひっそりと届けられているのも分からない。
「サルンの動向を港町から探らせておるのだ。一カマーグに一度めぼしい話題をまとめて届けてくる」
「探らせてって」
俺は呆れた。この人は王族で、しかも王位継承者なわけで、なんでそんなスパイみたいな真似をしなきゃいけないのか理解に苦しんだからだ。
「第一王子である余がなぜそのようなことを、と聞くか」
「だいたいそうですね」
俺は正直に答えた。
「あなたはもしかしたら勘違いしているかもしれないが、余はサルンでは居候の身だ」
「居候?」
「サルンは領主の街であり、領主は第二王位継承者だ。世嗣はそこに住まいをひとつ持ち住まわされているだけに過ぎない」
「じゃあサルンの政治や行政には携わっていない」
「携わる資格がないと言ったほうがより正確だな」
王子様は鷹揚に答えた。
「でもそれで王族が務まるんですか」
俺は食い下がった。俺の中では中世のイメージはあれだ、家族経営の大企業。基本的に良い役職は身内に回して、どうしても人が足りなくなるとしぶしぶ外から人を「入れてあげる」。だから王族は国政の中で良い地位を占めているに決まっている。
「務まるか務まらないかで言えば務まるのだ。むしろぼんやりとして何者をも邪魔せぬのが世嗣の務めだ」
「ぼんやりと」
「世嗣の俸給は王都が負担する。世嗣がふらふらぶらぶらとしているのは王都が安泰であるためで、王都が安泰であるのは深森が安定しているからだ」
ビューズは解説する。
「つまり世嗣殿下はプーリアの平和を象徴するというわけですか」
「その通りだ」
「何でそんな仕組みを」
「王都のことは聞いたか」
「王様が祭司なんでしたっけ」
「そうだ。まあそれは建前ではあるが」
そのまま世嗣殿下は説明の仕方を考えているようだった。
「ともあれ、王都は人々の行き来を拒絶する。王族も王都に参ることができるのは年に一度のみだ」
「ああ、そういえばそれも聞きました」
「もっともそれも建前だ」
「……そうですか」
何から何まで建前だなと思いながら俺は適当な相づちを打った。
「世嗣は王都への入市をいかなるときも拒まれない。ただし王都までの手段まで保証されるわけではない」
「……つまり自分で何とか王都まで辿り着けたら、あとは自由にして良いと」
「そういうことだ。余はそれゆえに港町の商人たちと懇意になる方法を選んだ。商人たちにとってもっとも重要なものが何か分かるか」
「信用でしょうね」
あまり何も考えずに俺は答えた。二十一世紀は信用経済によって成り立っている。コンビニ後払い、クレジットカード、住宅ローン。世嗣殿下はというと間髪入れない答えにやや驚いたらしく、さすがだな、と呟いてから言葉を続けた。
「その通り、信用だ。余はそれなりの手段を使って信用を勝ち取り、このようにして目と耳と足を手に入れた」
そう言いながら茶色く塗った形の良い手が俺の持つ紙片を指す。目となり耳となる人物が集めてきた情報だ。
「しかし古代神聖語とは手が込んでいますね。その商人がこれを?」
再び紙面に目を落としながら尋ねると、ビューズは否と答えた。
「これは港湾労働者のひとりが書いたものだ。ステムプレからの難民で、息子が置いていった古代神聖語の教科書から読み書きを覚えたと。港湾労働者にしておくのはややもったいないが、余の耳目としては申し分ないのでな」
「息子が置いていった?」
ステムプレ、港町、古代神聖語。俺はスフから聞いた身の上話を思い出した。もしかして。
「そういえば息子が今トツァンドで働いておるはずだ。あなたは会うているのではないかな」
その一言が決定打だった。
「スフのお父さん?」
「ああ、そのような名前だったな。やはりご存じか」
「ご存じも何も、スフは俺の側用を務めてくれて……」
異国出身でさげすまれていても、才能と努力で認められたんですよ、そう言いたくて、でも俺の言葉は熱を失って尻すぼみになってしまった。
俺を襲ったシュマルゥディスはステムプレの傭兵を雇っていたとビューズは言っていた。もしそれが本当だとしたら、トツァンド城に残されたスフの立場はまずいものになっていないだろうか。すくなくとも賓がさらわれて、犯人は鎧を着込んでいてよく分からず、でもその周りを外見だけではっきりと特徴が分かるステムプレの傭兵が囲んでいたら?
「……無事でしょうか」
思わず情けない声で呟いていた。正直、今の今まで自分のことで精一杯だった。他の人のことなんか考えていられなかった。しかしここに来て突然、昨日ビューズに言われたことが実感を持って俺を襲った。
「あなたはご自身が思っているよりも面倒なことに巻き込まれている」
俺の一挙手一投足が、他人の人生を大きく変えてしまうかもしれない。そんな影響力を持ったことはなかった。尊大でいられた時代はとっくに終わった。若かった俺は世界が自分のものだと本気で勘違いしていたただの馬鹿で、気づいた頃にはあれもこれも目の前から失われていて人生の目標まで分からなくなっていた。自分の足で自分のストーリーを歩む——少なくとも一度は歩んだことのあるような人とは、何もかも違っていたのに。
「トツァンド城主は女で狂信的だが、少なくとも馬鹿ではない。悪いようにはせぬだろう」
俺が思い浮かべた嫌な考えはすでにお見通しだったのだろう。何でもないように世嗣殿下は言った。その口調がどこか引っかかった——が、今の俺には深く考えている余裕がなかった。




