12. 急報
話は同じ日の午前中にまで遡る。サルン郊外を遠く離れた東、大烏の道をのそのそとぼとぼと西へ向かって移動していたシュマルゥディス・トツァンド混成隊の正面向こうから、全速力で馬を駆ってくる騎兵の姿があった。サルン郊外で後発隊と待ち合わせていたシュマルゥディス先発隊からの伝令である。馬は全速力のまま隊列に突っ込むかと危ぶまれたが、直前で何とか速度を落として隊列に対し横付けに止まった。すぐさま傭兵たちが得物を片手にそれを取り囲む。
“何があった”
隊列の半ばからだく足で近づいてきた馬上で、シュマルゥディス卿が不機嫌そうに尋ねた。
“申し上げます”
息を整えていた兵は騎乗したままで声を張り上げた。
“我が隊は烏と熊の集団に攻撃を受けて壊滅。賓様を奪取されました”
“何?”
地の底を這うような卿の声が響いた。驚いたのはシュマルゥディスだけではない。熊車の中のトァンもまた、表情をマントの中に隠したままぴくりと身動きをとった。
“烏と熊の集団とはどういうことだ”
車内にも響き渡るシュマルゥディス卿の声は苛立っている。
“子細は不明であります。一個大隊ほどの熊が烏の群れとともに急襲。休ませていた馬たちはこの一頭を除いて蹴散らされ、隊は移動の手段を失いました。サルンへは徒のものが伝令に出ております”
“人的被害は”
“馬に踏まれたものが数名おりますが、命に別状はございません”
やりとりに耳を傾けながら、プーリア王国第一王女はぽつりと呟いた。
“一個大隊”
“どうなさいました”
魔法史の長が向かいから尋ねる。
“サルンの領主館に配備されている熊はトツァンド城と同数でしたね”
“私がおりましたころはそうでしたな”
長の肯定に頷き返すとトァンは再び押し黙った。
“いや、まさか”
長はトァンの沈黙が意味するところを察して思わず声を出した。
“シュマルゥディスは賓様にあり得ないほどの不敬を働きました”
トァンは少しだけ幕を押し上げて外の様子を窺った。昼の太陽光が堪えたらしくすぐに幕を元の位置に戻すと言葉を続けた。
“長よ、プーリアはすでに禁忌を破ったのです。もはや何が起こってもおかしくはございません”
“と、申しますと”
光の子の意味するところを理解できずに長はフードの中で豊かな眉根を寄せた。しかしトァンが再び口を開く前に、熊車の扉が強く叩かれた。
“何でございますかな”
長ののんびりとした返事に性急な声が答えた。シュマルゥディス卿だった。
“話は聞こえておろう。熊の謀反だ。この熊車も何を企んでいるか分からぬ、ここで降りていただき熊は我々の監視下に置く”
“果たしてプーリアの熊なのですかな”
“ほかに何がある”
押し問答が始まりかけたふたりの間を、静かだがはっきりとした少女の声がさえぎった。
“わたくしは王都へ参ります。熊たちも同様です”
“殿下、なりませんぞ。今は大変危険な状態にございます。お降りください”
“断ります”
普段から物静かで主張が少ないトァンらしからぬ、あまりにはっきりとした物言いに魔法史の長は耳を疑った。扉の向こうが殺気だった。シュマルゥディス卿は再び低い声で告げた。
“王女殿下におかれましてはわがままが過ぎることがございますな”
金属がこすれ合う音がした。長は思わず叫んだ。
“王族の御前です! 荒事は”
しかし最後まで言い切ることはなかった。トァンが素早い身のこなしで長の前を横切り、片手で幕を上げると抜き放たれたシュマルゥディス卿の刀に向かって隠しから取り出した魔法石を投げつけた。
まばゆい白い光とともに地鳴りのような音が周囲を満たした。シュマルゥディス卿はつかを握った右手に鋭いしびれるような痛みを覚えて思わず刀を取り落とした。熊車を取り囲んでいた兵たちがひるんだ隙に、光の子は古代神聖語で叫んだ。
「熊たち! 進みなさい! 先へ、賓様のもとへ」
四頭の熊たちは心得たように足並みを揃えて走り出した。地響きを立てて進む熊車を前に、すでに光に怯えていた馬たちは竿立ちになり、傭兵たちは慌てて飛び退いた。
突然のことに魔法史の長は口をぱくぱくとさせていたが、熊たちの足が速く騎兵も追いつけないことを確認すると揺れる車内で細く長いため息をついた。
“殿下”
息を落ち着けながら長はできるだけ普段通りに聞こえるように努めて声を出した。
“はい”
大声を出したことなど人生で一度もないかのような静まった声でトァンは答えた。
“これからどうなさるおつもりで”
“熊たちは賓様がどこにいらっしゃるかを知っています。この場は熊たちに任せます……賓様の無事を確認するまでは。そして我々は王都へ参ります。兄上……トアル=サンを頼れば、もっとも適切で迅速な方法で送り出してくださるはずです”
“トアル=サン殿下から早熊の応えはまだなかったと聞きますが”
“グューウォァウは賓様を救出した熊たちの一個大隊と合流したのではないかとわたくしは考えます。熊たちはサルンから遣わされたのでしょう。恐らく現在も賓様と行動をともにしているはずです”
“さようですか”
長はそこはかとない違和感を覚えながら相づちを口にした。
“ビューズ殿下を頼るわけにはまいりませんか”
“世嗣殿下はシュマルゥディスと通じている可能性があるとわたくしは見ております”
“シュマルゥディスと”
努めて平坦に発声したはずの長の言葉には隠しきれない困惑が混ざっていた。
“子細はまだ伏せておきましょう……ただわたくしは、ひとまず今は領主殿下のもとへまいります。賓様もきっと今サルンにいらっしゃるはずです”
言い切るともはや話すべきことは何もないという様子で、光の子はマントの中に静かに沈み込んだ。魔法史の長は、その短くない人生ゆえに心の中に落ちてきた違和感と戦いながらひとり考え込んだ。四頭の熊たちは足並み乱れることなく、可能なかぎりの早足で大烏の道を西へとひた走っていた。




