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深い森へと続く道(WEB試し読み & 草稿)  作者: 赤星友香
草稿(2021年6月連載終了)
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10. 港町とつむじ風(1)

 人生で一、二位を争う、いや、ぶっちぎりで第一位だと断言してもいい。最悪に不快な目覚めだった。両手両足の自由を奪われた上に、固い荷車の上で丸くなって眠っていたせいで体中いたるところが痛かった。夜露のせいで衣服はぐっしょりと湿り、相変わらず嫌な臭いを発していた。昨日のうちにおそらくどこかで頭を打っていたんだろう。右目の上が腫れているらしくまぶたがなかなか開かなかった。


 俺を連れ去った一団は、前の前の晩から移動しては止まり、移動しては止まりを繰り返しながら街道を西のほうに進んでいる。方角が分かるのはトァンたちから太陽の位置を聞いていたからだ。大太陽は西から東、小太陽は東から西。俺が運ばれているのは小太陽の進む方向と一緒だった。


 今、一団は草地にとどまって休憩と食事をしている。街道沿いに続く森の一部を切り開いてできたらしい空き地には点々と切り株があり、それが椅子やテーブルの役割を果たしている。街道以外の三方は木々に囲まれていた。


 煮炊きをする匂いが鼻をくすぐった。馬たちも鞍を外され、ひとときの自由時間を思い思いに楽しんでいる。俺自身が置かれた状況から考えると、滑稽なくらいにのどかな風景だった。俺はそれを荷車の隙間から眺めた。もし可能であれば両手両足を使わずに起き上がる努力をしてみてほしい。たぶん体をしっかり鍛えている人以外は無理だ。少なくとも俺は数秒試みて諦めた。腹が減った。喉が渇いた。頭が痛い。最初感じた恐怖がぼんやりと薄まってしまうほどには、とにかくしんどかった。


 と、急に足音が近づいてきて俺は反射的に体をこわばらせた。昨日から何度かこのような機会を繰り返しているのだが未だに脈が上がる。膝が震えた。


“〜〜〜〜〜〜”

聞き取れない言葉に首を振って、声のするほうを見る。兜までしっかりかぶった鎧姿が立っていた。器を荷車の上に置くと、俺の肩に片手をかけて引き起こした。頭がずきんと痛んだが黙っていた。正直に言うと、何か反応を示すことも恐ろしかった。どんなことが相手の癇にさわるか分かったものではない。今の俺には逃げ場がない。


 しかし騎士たちは存外穏やかな性格の持ち主なようで、俺が恐れることなど何ひとつ起こらないのだった。食事を持ってきた騎士は器を再度持ち上げて俺の前に座った。


 まさかの「あーん」なのだ。拘束は一度も解いてもらえないのに、ちゃんと飯は食わされる。飯とは言っても器に入っていたのはパンと乾燥肉をふやかして味付けした薄いスープのようなもので、お世辞にも旨いとは言えなかったが空腹には勝てなかった。何が悲しくて武装した男から飯を食わせてもらわなければならないのだと思いながら、しかし腹が満たされてくると少し心が落ち着いてくるのも事実だった。俺はようやく騎士の顔を見上げることができた。


 兜に隠れて、見ることができるのは目元だけだった。ごくごく薄いはしばみ色の目には好戦的な色などまったく見られなかった。俺の勘違いでなければ、荷物のように転がされている俺の姿を気の毒がっているようにすら思われた。


 食事が終わってしばらくのちも、一団が動き出す様子は見られなかった。放っておかれた俺は仕方なくまた荷車に転がった。手も足もぐるぐる巻きにされているのに逃げ出すことを警戒されているようで、俺のそばには絶えず鎧姿の騎士がいる。様子が変わらないのを見飽きてきた俺はぼんやりと空を見上げた。いい天気だった。雲は小さくちぎれて高く浮かんでいた。右目の端と左目の端にそれぞれひとつずつ太陽が見える。日本の夏とはまるで違う、からりとした天気だ。プーリア人はこのいい陽気から身を隠さなきゃならないなんてな、などと場もわきまえずのんきなことを考えた矢先、視界を黒い影がひとつ横切った。


 影はぐんぐん近づいてきて、最後は羽音を立てて荷車の手すりにとまった。グレーがかったまだらの烏だった。まだらは先祖返りしないんだよなと思いながら、俺は思わず小さな声でやあ、と話しかけた。


 黒目の周りを白い毛でふちどった烏は首をかしげると、ひと声大きくかあ、と鳴いた。やはり先祖返りじゃなかったかとひとり苦笑いしていると、突然背後の茂みががさりと鳴った。


 見張りの騎士が体に緊張を巡らしたのと、俺が大きな黒い影を見たのとはほぼ同時だった。次に見たのは草がまばらに生えた地面で、すぐ後に視界がぐっと流れて叫び合いながら剣や槍を携えて走ってくる騎士たちが見えた。次の瞬間にはまた空が見えて、俺は文字通り手も足も出せないまま熊の腕に抱かれながら街道を爆走していた。


 背後で聞こえる大声が小さくなっていく。しばらく走った熊は突然立ち止まると俺を地面に降ろし、顔を近づけた。一瞬背筋に鳥肌が立ったが、熊はその牙で器用に俺の縄目を食いちぎっただけだった。突然手足が自由になって、力が入らずにばらばらと動く。結果俺は無様に転がった。


 びっくりしたように俺を見ている熊の顔に俺はへらへらと笑いかけた。誰が敵か味方かと考えることすら無意味に思えるなかで、こいつらは大丈夫だという謎の確信めいた思いがあった。俺は小声で礼を言った。

「ありがとう」

熊は小さく頷いてからじっと俺を見た。立てるかと聞かれているのだろう。答えの代わりに四つん這いになって立ち上がろうとしたがまったく膝に力が入らない。体中の関節という関節がこわばっていてまるで動かなかった。


 熊はしょうがないな、とでもいうように目をぱちぱちと瞬かせると、俺を再び抱え上げて後ろ足で走りはじめた。しばらく緩やかな坂を駆け上がると、ふいに視界が下に開けて長い城壁が見えた。街だ。下り坂を降りきったあたりには城壁外の街も広がっていて、ぽつぽつと人通りがあった。マントを頭からかぶっているのはプーリア人だろう。それ以外の人たちもいる。だぶっとした服で体を覆っているので肌の色は良く分からないが、みんな派手な色の帽子をかぶっているなと思った。


 熊は構わずに走り続けた。近づいてくるにつれ、俺が帽子だと思ったのは人々の頭髪だったことが分かった。オレンジ、赤、青、緑。どうにもファンタジーだ。たしかにこんな世界では、黒髪が逆に冗談みたいに映るのかもしれない。


 と、ふと近くで大声がして俺は反射的に身をすくめた。熊は首を曲げて声のしたほうをちらりと見やり、そのまま走るスピードを上げた。熊の肩越しに見えたのは、さっきまで俺を拘束していたのと同じように見えてちょっと違う鎧を身につけた数人の集団だった。鎧たちは俺の姿を認めたのか、それとも二足歩行でひとり走る熊に違和感を覚えたのか、とりあえず大急ぎでずんずんと距離を詰めてくる。熊はひょいと建物と建物の間の路地に走り込んで、俺を物陰に隠すように置いた。鎧の立てる乾いた音が怒鳴り声とともに近づいてきた。熊が小さく唸る。直感がやばいと告げた。足がすくんで震えたその瞬間、俺の右腕を温かい手ががっしりと掴んだ。


「騒ぐな」

反射的に悲鳴を上げかけた俺に対して聞き覚えのない声が耳元で囁いた。声を殺していても分かるほど美しい、低い声色だった。そんなことを考えている暇はないのに、ついうっかりイケボだなと思ってしまった自分が悔しい。

「憲兵だ。捕えられるとまずいことになるぞ」

そう言うと声の主は俺から少し離れたようだった。耳元で風が動いた。しかし二の腕は未だしっかり掴まれたままだ。


「ついてこい」

ふたたび声が聞こえるなり、俺は背後から思いっきり引っ張られて不格好にたたらを踏んだ。


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