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深い森へと続く道(WEB試し読み & 草稿)  作者: 赤星友香
草稿(2021年6月連載終了)
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8. スフ(3)

 星の見えない夜だった。昼間であれば羊の群れとともにプーリアとステムプレの民が入り混じり行きかう夏の草原を、重みのある足音を響かせて駆け抜ける影があった。スフを乗せた熊だった。


“魔王が何なのかは未だ誰にも分からない”

全速力で走る熊から振り落とされないよう、早駆け専用の乗具に体を縛り付けたスフは洞窟の中で聞いた烏の説明を思い返していた。

“死の風に吹かれて死なぬのはルウシイの守りがある光の子と賓のみだ。そしてふたりは二度と戻らない”

つまり贄であるというのも、事実から導き出される推論に過ぎないのだった。しかし歴史書に救国の英雄のその後の姿が登場しない以上、その推論は説得力があるようにスフには思われた。


 荒れた同僚たちに見つからぬよう密かに城に戻った——母なるイーのトツァンド城からは無数の地下通路が延びており、それはトツァンドの街の隅々へとつながっていた。現トツァンド城も例外ではなかった——スフは、簡単に旅支度を調えて街を発った。懐に抱えた旅袋の中には丸くずっしりとした重みがはいっている。親石だった。ガーァゥリユーはかぎ爪でゼウムを器用に扱うと親石を台座から外してスフに与えた。

“親石は魔法の数と同じだけ存在する”

ガーァゥリユーは説明した。

“ひとつはサルンに、ひとつは王都に。そしてもうひとつはブイジーに”

“残りのひとつは”

そう問うたスフに対して烏は首を振った。

“失われた。そしてひとつではない。ふたつだ。魔法はすべてで六つあるのだ。ゼウム・パニイ・アウグ・ハワウ・ルウシイ、そしてバー”

スフは首をかしげた。バーは曜日だ。カマーグの中の休日のはずだ。

“光のあるところには闇がある”

ガーァゥリユーは言った。それはプーリアでは言い古された諺だった。

“バーは闇の魔法、魔王の魔法だ”


 熊が走りながら身震いをした。物思いにふけっていたスフがはっとして前方を眇めたのとほぼ同時に、熊はざんぶと川の中に身を躍らせた。硬い毛の生えた背中に沿って伸ばしたスフの膝が濡れた。


 グーォウと別れたスフとガーァゥリユーは、ゴゥルィという名の熊に乗って深森を目指している。未だ魔王が親石に小さく揺らめく影である今のうちに、深森の様子を確認しなければならないとガーァゥリユーは主張した。グーォウは熊たちの幾たりかを連れて別の道を辿った。各地に現存している親石を集めるために同胞たちの同意を得に向かったのだ。


 死の風、魔王の魔法に拭かれて命を長らえうるのはルウシイの守りがある光の子と賓だけだと言われている。一方、魔王を斃すだけであればほかの魔法も有効なのではないかというのが熊と烏たちの見立てなのだった。


それぞれの魔法に優劣や強弱は存在しない。普通の火と水の関係と異なり、アウグはパニイで消すことはできない。混じり合うだけだ。同様のことがほかの魔法間にも言える。それならば魔王の魔法——闇のバーにも同じ条件が当てはまるはずではないかとガーァゥリユーは言った。ではなぜ魔王を斃すことが可能なのか。それは賓が持つ魔力の量が、あまりにも膨大である故であると。


 その予測は頷けるものだった。廟の魔法石を満たし、かつそれを石壁の外にまで溢れさせるほどの魔力をスフは想像することができなかった。廟守のうちもっとも魔力の強いものがなる長ですらほんの一瞬、手の触れた場所を弱く光らせることしかできないのだというのに、あの弱々しい、自力で立ち歩くことすらままならない賓はそれをひとりでやってのけたのだ。


“親石を集めるしかない”

賓を、そしてスフの主を魔王を鎮めるための贄にしたくないのならば。ガーァゥリユーはそう告げた。

“あるだけの親石で、まだ魔王の力が万全でないうちに封じ込めるのだ”


 半信半疑ながら——どちらかというと未だに魔王という概念に対して思い浮かぶのは馬鹿馬鹿しさのほうが強かった——スフだったが、贄というその言葉が強く心を動かした。賓ほどではないが、幼いころから体が弱かった主をスフは知っていた。ほんの二年前に元服したばかりの、まだ若い盛りであることを知っていた。王家と諸侯との間に結ばれた政治的な取り決めにより生のすべてを左右されながら、家族と離れひとり辺境のトツァンドで生きてきたことを知っていた。——高貴な生まれでありながら、その身に宿す魔力のために奇異の目で見られ、囁かれてきたことに、心密かに親近感を持ってすらいた。


 その人生の行き着く先が、天下国家のためと大義名分を掲げながら深森の中に打ち捨てられることにあるのであれば、許すことなど不可能だとスフは考えた。それは助けたいとか、守りたいとか、そういった内から出て外に向かう心の流れではなく、内に留まって強く燃えさかる怒りだった。怒りが突き動かし、若者と烏は熊に乗って夜の闇に消えることになったのだった。


 ゴゥルィが川を渡り終えた。夏にしては水量が多い流れにどっぷりと浸かった膝から下が、熊が切って進む風に吹かれて冷えた。しかしそんなことも気にならないほどスフの心は急いていた。


“お前が焦ってもゴゥルィは進まぬ”

スフと熊の間からもぞりと顔を出したガーァゥリユーが言った。

“寝ておけ”


 親か上司のような烏の言い草にスフは小さく笑むと首を振った。トァンは連れ去られた賓を追ってトツァンドを出るだろう。大烏の道を通ることができない自分たちは、国境沿いに大変な遠回りをして深森に向かうしかない。始める前からすでに出足が遅れているのだ。焦るなと言っても、焦らないほうが無理だ。そう簡単に眠りは訪れないだろう、スフは苦笑いを口の端に浮かべたまま目の前の闇を睨みつけた。


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