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深い森へと続く道(WEB試し読み & 草稿)  作者: 赤星友香
草稿(2021年6月連載終了)
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2. トツァンド城

 トツァンド城壁内の南西部分にはプーリア最古と言われる石造りの城がある。それは尖塔華やかなりし宮殿ではなく、戦いに適した無骨な要塞であった。窓は細く小さく、ほとんどは鎧戸で閉ざされている。しかし真北に向かった角の一部だけ、ガラスが嵌められている窓がいくつかある。プーリアではまだ貴重品であり、丸く吹いたものの底を切り取った波ガラスを金属の枠に嵌まった窓ガラスとする。現代日本社会の常識からすると、光を弱く通す以上にガラス窓へ求められている機能はまったく果たすことができない。


 そのガラスが嵌まった窓を持つ、左奥の角が真北に当たる部屋に、東と西にそれぞれ沈もうとしている夕日が細く差しこんでいた。真夏なのに光量が弱々しいのは吹きガラスだからだ。祝いの場で使われるグラスのように薄ければ向こうを見通すこともできるが、壁と同じくらい分厚いこれは不純物と気泡で濁ってしまう。外の景色を見ることはおろか、日差しを存分に通すことも叶わない。


 西を外城壁、東を前庭に晒しているこの三階の部屋は城壁内外どちらからも目視が可能だ。その気になればいくらだって攻撃ができる。そのため、主に保安上の理由から普段は使われていなかった。ガラス窓になっているのも多分に装飾的な意味合いが強いのだろうとスフは考えていた。昨日までは。


 学院から城へと戻ってきたスフは、斜めに差す黄色がかった陽光が室内に舞う細かな埃を照らし出すさまを見つめていた。ここに来たのは主の命による。気づけば握りしめている両手の内が汗ばんでいる。暑いからではない。緊張から、いやもっと正直に言うなら、恐怖からくる発汗だった。


 深く息を吸い込むと胸が震えた。意を決して進む先には豪奢なベッドがある。細かく意匠が彫り込まれた四隅の柱は寝具の上に大きく垂れかかる天蓋を支えている。天蓋は一面を除いては降ろされていた。たくし上げられた一面から横たわる人影が見える。スフはこのベッドの主が目覚めているかどうかを確認するために寄越されたのだった。数歩歩み寄ると天蓋の中がよく見えた。目視したスフは自身の肌が粟立つのを感じた。


 横たわる人物は――それを人物と言って差し支えないのであれば――よく眠っているようだった。スフの褐色とも、トツァンドの人々の抜けるような白さとも異なる奇妙な色の肌。ふくよかすぎる唇。何よりも不可解に思えるのは、両目の間に突如飛び出しているように見える鼻梁だった。鼻は三角形を描いて反対側の端は口の上に落ち込んでいる。このような鼻の形をスフは見たことがなかった。


 弱い日差しが眠る男の顔にかかった。スフは信じられない気持ちで照らされているものを見つめた。その頭髪は真っ黒だった。まるで烏か熊のように。


 見慣れない顔立ちを観察している間にずいぶんベッドに近づいていた。客人がふと身じろぎをしてため息をついたのでスフは思わずびくりとした。しかしそれだけだった。すやすやという寝息が石造りの部屋に響いた。


 我に返ったスフは小さく息を吐いた。気づかぬうちに呼吸を止めていたらしい。客人の様子を確認したならば、あとは戻って報告するのが仕事だ。そうは思うものの素直に踵を返すのはどうにも恐ろしく思われた。結局彼はじりじりと扉のところまで後ずさり、ベッドに背中を向けないまま部屋をあとにした。


 褐色の肌をした司書が立ち去ってまもなく、西の夕日は名残惜しそうに最後の光を石造りの床に投げかけて沈んでいった。東の夕日はまだ城壁の端に引っかかっていたが、すでに街はうっすらと夕闇に包まれはじめている。文字通り肌を焼かれる昼が終わり、ようやくトツァンドの人々が外出できる貴重な夏の夜が始まったのだった。


 黒髪の男が眠る部屋もまた灰青色に染まっていた。光と闇の狭間にあってすべてが永遠に制止したように思われる中を男は眠りつづけていた。


 わずかに金具がきしむ音がして扉が開いた。滑るように入ってきたのは室内であるにもかかわらず目深にマントをかぶった一団だった。しんがりに続いたのはひとり金色の髪の毛をそのまま晒したスフで、赤い瞳を不安げに揺らしていた。


 マントの一団から小柄なひとりがベッドの脇まで進み出た。緩やかな身ぶりで寝具を少しよける。一団のほかの面々はつかず離れず、しかし積極的にベッドに近づく意思はないように佇んでいた。


 小柄な人物が振り返った。スフは生唾を飲み込んで呼吸を整えると扉から離れて歩み寄った。先ほどベッドの中の黒髪を目視したあたりまで進むとその場にいたマントの一団が静かにふたつに割れてスフを通した。再び手に汗をかいているのを感じながらスフは隠しから預かったものを取り出した。


 白く柔らかな布に包まれたそれは、布と同じようなつかみどころのない色をしたぬるりと丸い石だった。普通であれば持ち主の魔力を多少なりとも反映して遊色のような炎が見える。しかしスフの手にあってそれは白く立ちこめた霧のように静かに沈黙していた。


 小柄な人物がスフに向かって何かを命じた。赤目を少し見張って、しかし納得したのか細かく数度頷くと司書は石をつまみ上げた。よけた寝具から露わになった手、つまり眠っている人物の手のひらに滑り込ませた。


 薄闇に包まれていた室内をまばゆい光が覆った。無言を貫き通していたマントの一団がざわめき、戦いたようにそれぞれ数歩後ずさった。スフは布だけを持った姿勢のまま驚きのあまり硬直した。光は今スフが客人の手のひらに置いた石から出ていた。白いような黄色いような光線は石から放射線状に伸びてガラス窓の向こうを貫く勢いだった。石は熱を持っているかのように輝き、その中に黄色と青の遊色が蠢いているのが見えた。


 驚きに包まれた室内でただひとり感情を身体に表さない人物がいた。寝具に手を出した小柄な人物だった。視線は光にも気づかず眠りつづける黒髪の男の、そのちょうどかんばせに固定されていた。強い光がやがて揺らぎはじめ、少しずつ弱まりながら石の中へと収束していく。最後は淡く周囲を照らしながらたゆたう遊色だけが残った。スフが気を取り直して小柄な人物に声をかけた。そこで初めてほかの人物が在室していることを思い出したかのように振り返ると、小柄な人物はようやく声を発した。


“これで疑いの余地はございませんね”


 若々しい少女の声は石造りの部屋にみずみずしく響いた。後ろに控えるマントの一団は居心地悪そうに各々もぞもぞと低く呟いた。しかし少女の言葉に反対する声は聞かれなかった。


“それでは、スフ。魔法石を。グューウォァウ”


 扉の外から唸り声のような返事が聞こえた。


“急ぎサルンへ使いを頼みます”


 スフは輝く石を手に持った布を使って拾い上げ、再び隠しに手をやって革でできた小さな袋を取り出した。布ごと魔法石を革袋にしまうとややおぼつかない足取りで扉のところまで進んだ。扉の外の陰から革袋を受け取ったのは、爪の長い黒い手だった。

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