旅人と怪物K
※本作は旅人とKというタイトルでしたが、被ってしまっているので変更しました。※
なんの変哲も無い、旅のおはなし。
僕は旅人で、でも心に大きな怪物が住んでる。
そいつは自分が気をぬくと何をするかわからなくて、自分でも止められない、コントロールできない、それがとてつもなく怖いんだ。
ここでは、怪物の頭文字をとって、K、と呼ぶことにする。
Kは、何をするにも一緒。まるで凶暴なペットのよう。なのに、こいつの存在をみんな知らずにいる。誰一人、見えていないのだ。
今日も街はどこか寂しげに、静寂をまとう。きっとこの世界も、どこに向かえば良いのかわからないのだろう。ひっそりと、ただそこに在るだけ。時間だけが過ぎていく。
公園のベンチに一人、息を吐いた。腕時計は二時をさしている。
「一体、どこまで歩けばいいのだろう。」
ぽつりとつぶやき、重い腰を持ち上げた。踏み潰した落ち葉がかさりと音を立てる。くたびれたズボンの裾が動作に合わせて靴を隠した。
そうだ、街に行こう。風は、少し冷たい。
何度、目的地を見失っただろうか。だが、未だ見ぬ世界が僕を待っているような気がしてならない。
とぼとぼと道をゆく。行き交う人々に目をやり、ぽかんとした。そして、小さく息をのむ。
そこには、誰もがKと共にいる、わけのわからない光景が広がっていた。
驚いて、一瞬声がでなかった。その景色は今まで見たことがなかった。
それからほとんど無意識に、ちょうど、近くを通りかかろうとする浮浪者らしき老人に向かって、声をかけていた。
「こ、このK、みんな持っているんですか?見えていますか?僕はこの街は初めてで、その、旅をしているんですけども。」
老人が一瞬、戸惑いの表情を見せる。目を細め、珍しいものでも見るようなそぶりをしてから、口を開いた。
「何を言っているんだ、これが普通だよ。見えているやつは、一握りだろうけど」
ぶっきらぼうに言い捨て、軽く咳払いをしてから、すぐにその場から去って行った。足を引きずるように歩く仕草が印象的であった。彼の背中にはなんの迷いも感じられない。決して清潔とは言えない身なりとは裏腹に、クリーンなオーラを放っているようにも思えた。
立ち止まって、うつむいた。足元にある小石を、おもむろに転がし、小さく蹴って、また引き戻す。新しい世界に、思考が追いついていなかった。彼がKの存在を知っていたという事実よりも、あの光景があまりにも異常だと感じていたのだ。
しばらくして、腑に落ちるものを感じた。
ああ、そうか。彼らはKを解放する瞬間を上手く見極めているのだ。うまく、飼い慣らしているのだ。自分の一部として。それなら、見えていたって、見えなくたって、同じようなものだ。
急に、自分がちっぽけにみえた。世界で一人だけ、どうしようもなく変わっているみたいに。
僕は、自分の中のKが、周りにどう見られているのか気になってしょうがない。
Kを見られたら、みんなどっかいってしまう、本当の本当に、ひとりぼっちになってしまう。
ーーーーー僕とあの人たち。まるで、何もかもが違うみたいだった。
人種?生きている世界は一緒なのに、なぜこうも違うの?
絶対的な何かを信じている?宗教、いや、洗脳に近いのではないか。
だって、彼ら、自由にKをコントロールして、うまく生きている、そればかりか、KをKだと思っていないのだ。この、恐ろしくも醜いKを。
旅を、辞めてしまいたいとさえ思った。歩き続ける意味を見出せる自信がなくなっていく
急に寒気がした。遊ばせていた小石を蹴って飛ばし、再び歩き出した。
強くて、羨ましいな。未だ記憶に残る彼らの笑顔。いつのまにか、握っていた右の拳にさらに力が入った。
ああ、僕も、同じように、Kを解放できたなら、きっと心から安心するんだろうな。
ぼんやりと思いながら、遠くを見つめる。連なるビルたちが覆いかぶさるように並んでいるのがわかる。
あ、と声を漏らす。動きだすKの機微を感じて、ゆっくりと、情けなく笑った。
ーーいつまでも君を隠しては、生きてはいけないんだ。旅は、続けないといけない。
肩の力が抜けていくのと同時に、赤子の鳴き声がうっすらと聞こえてきた。どうやら、住宅街に入ったようだ。
子供達は、手に負えないKを、どうしているのだろう・・・と、ふと思った。
彼らのエネルギーは凄まじい。彼らのそれは隠にも陽にもなり得るだろう。
きっと、わからないだろうな。どうコントロールしたらいいのか。
僕ら、大人だって不完全なのだから。
通り過ぎていく子供たちを眺める。
「今日は、じつにーーーーー」
言いかけて、やめた。考えることは、やめなかった。
Kは、一度手放して、解放したり、同じ世界から物をみてみる。すれ違ったり、共有したり、言葉にしたり、ただ感じたりして、一緒に、試行錯誤したらいいんじゃないか。
そんな風に考えていたら、自分の中にある恐怖でしかない存在のKが、まるで色を変えるように変化していくのがわかった。
ふと、立ち止まった。
数人が駆け足で通りすぎる中、一人、自分のKを抑えきれずに、うずくまり、泣いている子供がいる。
ゆっくりと近づき、そばに座り込んだ。
「何か、あったの?」
声をかけると、子供はゆっくりと顔を上げた。上から下まで一度観察するように見つめ、それから、
「おじさんには、見えないよ。」
と、かすれたような小さな声でつぶやいた。
「僕は、いろんなところを旅しているんだ、ここには初めてきたからよくわかっていない。君は、このへんの子?」
少年は、こくりとうなずく。
「僕も、今はひとりなんだ。少しだけ、話相手になってくれない?大丈夫、悪さしようなんて、考えていないから。それに、僕にも見えるんだ。」
そう呟くと、胸のあたりを指した。
不審そうに見つめた少年の目が、好機な眼差しに変わる。
一通りの世間話をした。少年の話を聞いた。近所に住む小学生で、つい最近Kの存在に気づいたそうだ。彼は、自分のKをコントロールできず、家族とも、友達ともうまくいかなくて、悩んでいた。
「こいつは、どうしようもできないの。僕の気持ちとは関係なく、いつも勝手に暴れ出す。この間は、家族を傷つけた。ママはカンカンに怒るし、友達は、僕を変なやつだって。」
「みんなもいるのに、誰も気づいていない。僕だけ、頭がおかしいのかも。」
濡れた頬を小さな手で拭う姿を見て、僕は胸のあたりを苦しくさせた。
「大丈夫、僕もおんなじ。」
それから、ポケットに手をつっこみ、くしゃっとつぶれたピースを一箱手に取る。
一本、引き抜くと、少年に目で合図を送った。彼は仕方ないといわんばかりに目を伏せ、うなずいた。長い睫毛が目にかかる。
できるだけ煙が届かないように気を使いながら、少年とは違う方向を向き、ふぅーっと息を吐く。煙と共に白い息が被さった。
それから、少年の頭をなでた。ぴくっと体を硬直させ、それから安堵に変わる姿が伝わる。
少年が普段どんな暮らしをしているのか、見覚えがあるように感じた。
数秒沈黙が続いたあとに、うっすらと、口を開いた。
「Kは、意外と、こわくないよ。みんな、心に飼っている。コントロールできる人たちはすごいよね。僕も、知っている、憧れている、いつかそうなれたらって。でも、君のまわりの人たちはきっと気づいていないんだろうね。いや、それよりももっと恐ろしい、気づかないふりをしていることもある。でも、君は存在を知っている。それだけで、誰よりも強いんだ。」
少年がじっと見つめる。
「僕も本当は、ずっと怖かった。この街にくるまで、Kを飼っているのは自分だけだと思っていたんだ。世界でひとりぼっちみたいで、すごく寂しかった。本当は、臆病なんだ。だけど、この広い世界には、僕と同じような人もいるはずだと信じている。」
少年の方を向いて、さらに続けた。
「そしたらほら、こうやって、仲間を見つけた。だから、歩くことをやめられないんだ。旅を続ける。言ってしまえば、使命かもしれないね。ぼくは旅人だけど、弱虫の代表でもあるのかも。人が怖かったけれど、人に助けられた。君みたいな子に出会えて、僕は嬉しいよ。」
持っていた線の先が短くなっていく。そのまま吸い続ける。また、息を吐く。
「おじさんは、Kと仲がいいの?」
「全く。いまだにコントロールできないよ、こんな大人なのにね。」
へらっと笑ってみせた。少年にこりと笑みを浮かべた。
「だけど、気づくことが重要なんだと思う。ただ、その場にあるものに。Kの存在よりも、もっと重要なことがこの世のなかにはたくさんある。見えていないだけなんだ。僕はいま、一人だけれど、この旅のなかで次々と君のような強いひとたちに出会うだろう。これが、僕の生み出した、小さな希望。怖いものを知っている人間たちは、強くて、優しいんだ。」
それから、「今日はありがとう。」と、続けた。
アスファルトに、消えかかった先端の火を押し当てた。ゆっくりと腰をあげる。
「こんなところでいつまでも座ってたら風邪をひくよ。ほら 」
と言って、手を伸ばした。少年がおずおずと手を取り立ち上がる。
「君の世界はここだけじゃない、もっと広い世界を見るんだ、もっとたくさんの出会いを、楽しむといいよ。」
「それに、物事には耐えどきというものがあって・・・
少年がくすくすと笑い、かき消すように、
「おじさん、一体何者?」と、聞く。
「旅人だってば。」
つられて力なく笑った。
お互い手を振り合い別れる。少年の後ろ姿が小さくなっていく。心なしか、彼の足取りが軽いように見えて、小さく安堵した。
ーーーこの感覚を知ってるもの同士が人を呼び、思想を生み出し、繋がり合うのか。
少年との会話をふつふつと反芻させた。
僕の街には、Kの存在はいないものとされていた。周りの中にも見えなかった。自分だけに見える、特別なものであった。
この街は、Kの存在が当たり前のようであった。コントロールしているのか、見えているのかは不明だが、少なくとも、Kに悩む少年に出会った。
K・・・ 存在に気づく人間と気づかない人間。
考える人間と考えない人間を分けて、世界が傾かないようにできている。
翼は、片方だけじゃ飛べないように。この世界には、右も左も必要なんだ。
再び、歩き出す。
僕は、僕の旅は終わらない。何も持たない真の人間の姿として、この世を見て見たときに、なにか残していきたい、それは守りたいものがあるから。今まで、Kに気づていなかった人たちが、真理に気づいた時、絶望したりしないように、本当はこういう世界もあるんだよって、少しづつ見せてあげたい。遠い世界に見えて、どこかで必ず繋がっているもの、世界はたくさんあっていいんだ、と。
いつでもここに、帰ってこれるからなぁ・・・。
ぼんやりと思い、胸のあたりに視線を向けた。
「君は、僕の、一部だ。」
小さくつぶやく。
ずいぶん遠くまで歩いてきた。考えることに没頭すると時間を忘れてしまう。悪い癖だ。
そして、いつの間にか影の伸びる方向が変化していることに気づく。
ーー影だって、よく見たら怪物みたいだ。ずっとそこに、いたんだね。
手を伸ばして、影に動きを加えて、遊んで見る。
旅には発見がつきものだ。見えている景色の移り変わりを楽しもう。
また新しい一日を、今の、この刹那だけを信じて、人に優しく、生きていたい。
そう、心の中で強く誓って、また一歩、歩き始めた。
<人物紹介>
K→ 怪物
主人公→ 旅人 故郷でKは自分だけにしか見えない。コントロールできないことを恐れる。見られることに不安を感じ、旅をすることで救いを求める。
新たな街→ 誰もがKと共にいる。恐るものおらず。気づいていないだけか、ふりか。コントロールできているのか。不透明。
浮浪者→ 新たな街を普通だという。Kの存在も、まわりが共にいることも見えている。
少年→ 主人公と同じようにKを恐る子供。Kの存在が見えない家族や友達に怖がられ、さらにコントロールできずにいる。