神も仏も(続
神も仏もいないのか、
という台詞がある。
そうではなく、
全てが失われたとき、
そのとき初めて、
神はその姿を現す。
そう思う。
何故、そう思うのか。
人知を尽くして天命を待つ、
そんな言葉もあるけれど、
何故、そう思うのか。
例えば――昔々は、何も無かった。
今では有り得ない。
町中に居て、文明の中に居て、
何も無いなど有り得ない。
今では闇夜など有り得ない。
昔の闇夜は、本当に暗かった。
月夜と云うだけで、星空と云うだけで、
どれほど明るいことだろう。
それらすら失われたとき、
自分の指先すら、見ることは適わない。
現代社会に飢えは無い。
いつでも、どこでも、食料は手に入る。
人が居なくても、物が買える。
金が無ければ、盗めば良い。
昔は盗もうにも、物が無い。
暗闇で、飢えて、乾いて、
怪我をして、病に倒れ、
身動きも適わない。
本当に、本当に、何もかも失われた、
その瞬間。
いや、それでも、
自分には神が居る。
神は自分を見捨てない――。
――これは昔の特権。
無邪気に神の存在を信じられた、
昔々の、最後に残された心の砦。
もう一つ、例え話。
ドラゴンクエストの最初の「1」。
勇者の旅はひとり旅。
それでも勇者はひとりでは無かった。
お城の王様、兵士達、
町の人々、お店に寺院、賢者達。
数多くの人々に支えられ、
あのクエストは程なく達成した。
では、本当にひとりならどうだろう。
本当に一人きりのRPGがあったなら――。
家族を魔王に殺され、
残されたのは娘の人形、
それを形見に懐に入れ、
勇者はひとりで、報復の旅に出る。
町の人々は無理だという。
誰も勇者を信じる者は無い。
魔王の支配に虐げられ、
魔王の力を恐れ、
手助けしてくれる者は無い。
むしろ、魔王の支配が好都合と、
ならず者達が勇者の足をすくう。
それでも勇者は心を折らず、
魔物達と戦いながら、
仇の魔王の元に辿り着く。
そこには強敵が集っているだろう。
魔王に忠誠を誓い、
命がけで勇者の行く手を阻むだろう。
そうなれば、もはや勇者は、
自分を正義だと信じることも適わない。
戦う意味をも見失いながらも、
朦朧としながら魔王の元に辿り着く。
そして決戦。
勇者は勝つ。
その時、勇者は。
自分の命を絶つのではないだろうか。
全ての人々から見放され、
全ての敵を討ち果たし、
全ての思いが果たされ、
全てが失われても尚、
生きる意味があるのだろうか。
しかも、
愛する娘に先立たれたなら、
跡を追うしか、道は無い。
だが。
やがて勇者は懐の人形に気付く。
取り出した人形は、勇者に優しく微笑んでいた。
それこそが、
最後に現れる神の姿だと、
私は思う。
――再び、勇者は旅立つだろう。
娘の想いを、懐に入れて。
(終)
神様に関する思考ゲームです。私が宗教にはまっている訳でもありません。本文にある通り、現代社会で神に頼る必要など、有るはずも無いのですから。