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その丘の向こうで  作者: クロ
第一章
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はじまり(3)


 洋子は外に働きには出ていない。恭介がそうしないように頼んだからだ。


「あの田舎の連中が何もしないとは限りません」


 なにかあったのか、恭介は親戚連中を相当警戒している。そして常識あるものとして扱いもしない。いつもの感情のあまり見えない、淡々とした口調でも、それがわかるほどだ。


「落ち着くまでは、洋子さんも篤子さんも、外では一人にならないで欲しいんです」


 洋子や篤子が考えている以上に、恭介は”田舎の連中”を問題視していて、そのため。携帯電話の居場所サービスを付けるよう、二人に頼んだ。


「なんで、恭介さんに私の居場所を教えないといけないの?」


 篤子は拒否反応を示した。


「私に教える必要はありません。洋子さんと相互に場所が確認できるようにして欲しいんです」


 私一人で大丈夫、と言いたがったが、スマホをはじめ、生活の一切を出してくれている恭介への遠慮もあって、結局は了承した形になった。


「ゴメンね、恭介さん」


 洋子がすまなさそうに、悪気があるわけではないと言い訳をする。洋子は恭介と長い時間をかけて話し合い、信用することに決めた。そしてこれからの生活について、色々と取り決めをした。それこそ、家事の分担から生活費についてまで。いつ出て行ってもよいが、篤子が大学を出るまでは面倒を見るということになっている。


「仕方ありませんよ、あんな目に合えば、年上の男や、あの親戚の私も同類と思うでしょう」


 篤子の男性に対する警戒心は、相当強いのを恭介は理解している。


「こんなに親切にしてもらってるのに」


 さらに恐縮する洋子を気遣い、気に留めないように軽い感じで答えた。


「前もお話ししましたが、感謝してもらうためではありませんから」


 恭介の本心でもある。だから、変にへりくだられても困るのだ。


「私が悪いのよ」


 洋子は思いを吐露した。年の離れた人と夫婦になったからなのか、家庭環境のことを言っているのか、恭介にはわかりかねる。


「でも雄介さんとの結婚は後悔はしてないんでしょう?」


 恭介にさらりと指摘され、洋子は少しきまり悪そうな顔をした。


***


「申し訳ないのだけど、篤子の進路指導に行ってもらえない?私だとあまりわからなくて」


 朝、恭介の渡している予定表を見ながら、洋子が頼んでくる。恭介の生活リズムは決まっておらず、帰ってこないこともあるので、食事の準備などを考慮して、おおざっぱながら週間予定を渡している。


 中学三年生の二学期に転校してくるのは、学校としてもイレギュラーなのだろう。進路の話をしたい、と連絡があったのだ。


「いいですよ、何時からです?」


 予定表によれば今日の午後は空きがある。準備された朝食をとりながら、何の気なしに返事をした。


 学校の来客用玄関に行き、呼び鈴を鳴らすと女性職員が玄関に飛び出してくる。インターフォン越しに話をすると思っていた恭介は、その勢いに少しぎょっとした。


「な、何の御用ですか!?」


「えっ?いや」


 そういえば、篤子のことは何といえばいいのか考えていなかった。叔母、ではおかしいか。妹と言うわけでもない。

 

「親戚です。進路指導に」


 結局一番無難そうな答えを用意した。だが、職員はなかなか信用してくれなかった。


「身分証を見せてください」


 こちらをにらみながらじりじりと移動し、さす股をとろうとしている。


”ずいぶん怪しまれているな”


 スーツも着ているし、そんな怪しく見えないと思うのだが、ここで帰るわけにもいかない。

 なぜこんなことになっているのか、その原因は恭介にあるのだが、本人は思いもしていない。そこに、待たされていた篤子が、様子を見に来て恭介を見つけ、思わず大声を上げた。


「あっ!なんでっ!」


 篤子は洋子が来るものと思っていた。そこに絶賛警戒中の恭介が来たのだから、思わず声が出ただけなのだが、女学生の叫び声に騒然となる。さす股をしっかり手に持つ職員。

 

”困ったな”


 恭介はどこか他人事の気がして、成り行きを見ていた。

 事務員は、恭介の年齢が若いのと、何しに来たか尋ねた時に、妙な間があったので怪しさを感じていた。そして生徒の叫び声。こいつが教員に言われていた要注意人物に違いない、状況証拠は十分だ。


「警察を!」


 呼ばれると面倒とは思うものの、特に焦って弁解することもないだろう。もう一度きちんと説明すれば問題ないはずだ。

 

「えーっとですね」


 身分証を出そうと、手を鞄に入れたところで、焦った職員がさす股を思いっきり振り回した。

 

”使い方が違いますね”


 そうは思ったものの、ここで抵抗するとさらに面倒くさいことになりそうだ。よけずにいたら頭に当たり、金具の端で額が切れる。血が垂れて、スーツに落ちた。

 

「あれ、佐々木君?」


 騒ぎを聞きつけて出てきたのは、昔の担任の柊だった。


***


「ごめんなさいね」


 保健室で簡単に治療してもらいながら柊が言った。


「いいですよ。大したことないですし」


 結構血が流れて、Yシャツにもスーツにも血が付いているので、見た目には結構なインパクトがある。大したことはないとは言えない状況だが、恭介自身この中学出身で柊には妹の件でも篤子の件でも恩もあり、大仰にするつもりはなかった。

 

 横には申し訳なささいっぱいの事務員、その横には篤子がいる。


「篤子ちゃん預かった時に、職員会議で警護の話をしてね」


 恭介は思い出す。そういえば、田舎の連中が何をするかわからないので、親戚と名乗るものが来ても警戒してくれるように、自分が頼んだのだった。


「それに先日も不審者騒動があって、特に警戒ってことになっててね。許してもらえないかな?」


 柊が頭を下げるが、自分がそもそもの原因だ。


「不審者にはあれくらいで対応してもらえると、保護者として安心です」


 柊はほっとしながら、恭介の頭に包帯を巻いた。

 しかし、恭介の淡々としたしゃべり方が気になる。

 

”昔は明るかったのに”

 

 恭介は中学三年生の時に、帰国子女として転入してきた。両親と離れ離れに長い間暮らしたという、その事情は親御さんから聞いているが、そんなことを感じさせないほど明るく闊達な子だった。


”もうずいぶん経つけど”


 恭介の一家が交通事故で亡くなった時、柊は恭介の妹である奈々の担任をしていた。教え子が亡くなったことに、大きなショックを受けたのを思い出す。恭介の家族の葬儀は行われず、焼香に行くこともできないままだ。

 恭介には、奈々の遺品を取りに学校に来た時に会ったっきりだったが、先日、親戚を通わせたいと連絡が来て、元気でやっていることにほっとした。

 

「篤子ちゃんの進路相談よね?」


「ええ、今日は親御さんに頼まれまして」


「じゃあ時間ももったいないから、ここでしちゃいましょうか。私篤子ちゃんの担任だから」


 恭介からの連絡を貰い、柊はごり押しで篤子を自分のクラスにいれたのだ。

 

 放課後の保健室を利用しようという人はほとんどいない。学校と言う空間の中で、その部屋は独特の雰囲気がある。

 恭介と篤子は丸椅子に、柊は教員の椅子に座り、膝を突き合わす体で話をする。

 

「篤子ちゃんは、就職希望だそうですけど」


 柊は篤子の記入した資料を一瞥し、顔を上げた。


「そうなんですか」


 恭介は初めて聞いたので、特に感想もない。


「学力も高いし、C大付属も狙えるから、考え直してもらえないかしら」


 柊は昔からこういう言い方をする。押し付けるようには言わない。

 それを聞いて、篤子は手を強く握りしめる。


「私はもう決めたんです」


「でもね、篤子ちゃん」


 柊は一生懸命進学するように説得するが、篤子はがんとして聞き入れようとしない。

 その様子を恭介は見ながら、このままではかえって篤子の態度は硬化するばかりだろうと思う。短い間だが、この子のことは少しは分かってきた気がしている。


「先生、またご相談に上がります」


 恭介は話を打ち切った。


 帰りは血まみれで歩くのも嫌だったので、タクシーを呼んでもらい、そそくさと乗り込むと、何も言わず窓枠に肘をついて窓の外を見ている。そんな恭介の様子を見て、篤子はまたイラっとする。


”ちょっと、気を使ってなにか喋りなさいよ”


 原因は自分にあるのはわかっている。自分が怪我の原因を作ってしまったこと、進学しないと言っていること。それで恭介は不機嫌に黙っているのだろう、と察する。

 

”進学しないのは関係ないかな。早く出て行って欲しいだろうし”


 本当は進学について気にかけて欲しい気持ちはあるのだが、恭介がなんの思惑もなしに、つながりもない自分たちの面倒を理由は思いつかなかった。

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