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その丘の向こうで  作者: クロ
第一章
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はじまり(2)

 

 電車を乗り継ぎ、タクシーに乗って連れてこられたのは、結構大きめのマンションだ。間取りも4LDKというゆったりした作りになっている。

 恭介が部屋を準備してくれている間に、母娘で風呂を使わしてもらい、上がると髪も少し乾かしただけで、二人ともあっという間に眠り込んだ。


 翌朝、篤子が目を覚ますと、どこにいるのか思い出すのに少し時間がかかり、それから慌てて、自分が何かいたずらされた形跡がないか確認をする。内開きのドアの前に置いた荷物はそのままになっていて、誰も入っていない事が確認できた。


”大丈夫”


 ほっとすると、まだ横で寝ている洋子を確認し、またほっとする。


”あの男はなにもしなかったようだ”


 いつでも逃げれるように、荷物を鞄にしまうと、偵察のためこっそりと部屋を出て居間へと向かう。廊下ではほのかに珈琲の香りがした。居間を覗き込むと、キッチンでドリッパーにお湯を注ぐ恭介にすかさず見つかる。


「おはようございます。珈琲飲みますか?」


 恭介はちょっと戸惑った顔をする篤子を見て、紅茶がいいかなと尋ねた。


 篤子が紅茶を受け取り、ダイニングで警戒を緩めないまま口をつける。その間、恭介から目を離すことはない。じっくり観察するのはもちろん、用心のためなのだが、そのあからさまな視線に恭介も内心苦笑いする。


 篤子にしてみれば、さりげない雰囲気を装っているつもりではあるが、いかんせんまだ中学生。そういうことがさりげなくできる歳でもない。


”読めないな”


 恭介が何を考えているか、その感情の見えにくい表情からは察することができず、なおさら穴の開くように見つめてしまう。疑いの眼で見られ続ける恭介が、何を話せばいいか悩んでいると、洋子も起きてきた。

 ホッとしつつ、料理は得意じゃないので、と言い訳し、トーストと目玉焼きを作る。


「あの、ありがとうございます」

 

 食事を囲み、洋子が心もとなくお礼を言うが、それが食事のことなのか、泊めてもらったことなのかわかりにくい。もちろん、会話も弾むわけがない。

 静かな、それでいて妙な緊張感のある朝食。

 片付けを恭介がしようとするので、篤子は皿を奪い取って台所に立った。洋子も一緒に皿を洗う。そんな二人を、恭介は黙ってみていた。


”そんな品定めをするように見て、やっぱり下心があるんだ。”


 篤子の警戒心が高まる。やはりここもまずい、どうして逃げようか。都会だし、シェルターも多いかもしれない。どうにかして調べなければ。

 家の電話は、と位置を確認する。入口付近にポツンとおいてあるが使えるのだろうか。


 そんなことを考えていると、恭介が尋ねた。


「お二人は着替えはないんですか?」


”なんと失礼な!”


 篤子は憤ったが、着替えを含め、私物はすべて抑えられてしまい持ってくることはできなく、まさにその通りだった。自分は学校の制服のままだし、母の服は昨日と同じだ。おいてきた自分の服や下着がどうなったかは想像したくない。


「ええ、お恥ずかしながら」


 洋子が無理ににこやかに答える。恭介は考える様子で、少し間をおいて尋ねた。


「あいつら、あなた方の持ち物も取り上げたんですか?」


”あいつら?”


 自分は彼等とは違うというアピールだろうか。そんなことでは騙されないぞ、と顔を見ていると、洋子が恭介の間と同じくらい空いてから、少し小さな声で答えた。


「ええ、はい」


 それを聞いて恭介は眉を顰め、明らかに不愉快そうな顔をする。表情の読めないこの男にしては珍しい。

 

”なに、お金目的?お義父さんの遺産狙い?”


 篤子の疑心暗鬼は大きくなるばかりだ。だが、恭介はすぐにいつもの落ち着いた様子に戻る。


「とりあえず、買い物に行きましょう」


 費用は気にせずにと言うが、洋子は固辞する。


「いえ、そんな、少しはありますから」


 本当に少しだ。どこか住み込みで仕事を見つけて、それがだめならまた水商売で働けばなんとか、と考えている。それまでの間、ここにおいてもらえるように頼まなければ。


「お二人のものばかり買うわけでもありません。食料品も日用雑貨も要りますから。それに気晴らしも必要です」


 恭介はそう言うが、篤子は警戒をとかない。


”お金で私たちに恩を着せようってことじゃない?”


 だが、着た切り雀で何も頼るところのない母娘には、魅力的なオファーだ。


”こうなれば利用するだけ利用しよう。隙を見て脱出先を探そう”


 篤子は覚悟を決めた。


 恭介に、普段どういうところで買い物してるのか?と聞かれ、篤子と洋子はすっかり困ってしまった。


「ショッピングモールとか」


 実はそういう施設は田舎の近所にはなく、ほかに思いつかなかったからなのだが、恭介は「私もそういうの疎いんです」という。心底困った顔をし、逡巡したあと、何かを決めたような顔をした。


「友達を呼んでもいいですか?女の子です」


”彼女か!”


 この掴みどころのない男の彼女はどんな人なのか、興味が沸いた。

 

***


 恭介の運転で待ち合わせ場所へと行くことになり、駐車場から出してきた車は外車で高級そうだ。

 

”金持ちなんだ”


 誰のお金かは知らないが、自分たちがこの男の親戚に受けた仕打ちを思うと、ちょっとくらいたかっても全然問題ない気がする。

 恭介を利用する罪悪感が薄れた気がした。

 

 車を地下の駐車場に止め、エレベーターで上階にあがって待ち合わせ場所に行くと、周りも気にせず手を振る女性がいた。


「待たせてゴメンね」


 恭介が謝る。奇麗可愛いとと言うのだろうか。目が大きくチャームポイントなっている。この男がこんな美人と、と驚いたが、並んでいるところを見ると、恭介もなかなかいい男なので、バランスはとれていて、まぁ、ありかな、と思ったりもする。


「こちらアカネさん」


 篤子たちの状況は説明済みのようで、互いに挨拶を済ませる。

 

「じゃぁ、頼むね」


 そこまで済むと、恭介はアカネに財布渡し、そそくさと抜け出そうとした。

 

「ダメでーす。ちゃんとお付き合いしてください」


 アカネは恭介の腕に自分の腕を絡め、逃げれないようにする。

 

”いちゃいちゃしてるし”


 それでも逃げ出そうとする恭介を見て、全く都会の若者は、と篤子は心の中で眉をひそめたが、ほどなくして理由が分かった。

 

”確かに女性ものの下着は恥ずかしいか”


 アカネが行くのはショッピングセンターのように雑然と並んでいる店ではなくランジェリーショップだ。恭介にしてみれば、女性ものというだけでも非常に恥ずかしく、店の前に立っているだけでも、そわそわと落ち着かない。

 

 篤子はそれを見て、クールな恭介がオロオロする様子が面白い。

 

「恭介が選んで」


 アカネは恭介にわざわざ頼む。

 

「いじめるのは止めてください。好きなだけ買っていただければいいですから」


 アカネは全然遠慮せず、洋子や篤子のものをどんどん買っていく。いくらいいと言われたとは言え、篤子はその買い方に戸惑いを隠せない。


「あの、こんなに買っていいんですか?」


 アカネは全く意に介していないようだ。


「大丈夫大丈夫、良いって言ってるし」


 服も女性ものの質の良い店ばかりだ。恭介はちょっと息を吹き返したが、それでも店の外にいる。


「アカネさんもよいのがあったら買ってね」


「私は恭介が選んでくれたものが欲しいな。」


「またそんな冗談を」


 アカネは呆れて言う恭介を呆れた顔で見返した。


 さんざん買い物をした後、晩御飯はアカネおすすめのお店へ行くことになった。

 今日の買い物で三人は打ち解けたようで、メインディッシュまで、買い物の話や、流行りの話でもちきりだ。恭介はそれを微笑んで見ている。最後はデザートのケーキ盛り合わせだ。


「洋子さんたち恭介のうちに住むんでしょう?」


 アカネがフォークでケーキの上の果物を刺しながら訪ねる。


「恭介さんさえよければ」


 少し頼りなさげに答えると、アカネは恭介の顔を見る。恭介はそのつもりなので、軽くうなずいた。


「いいなぁ、私もお世話になりたい。あっ、これでまた恭介のお家に入れてくれる?」


「そうですね、いいですよ」


 二人の会話の意味が分からず不思議そうな顔をする篤子に、アカネがふてくされたような顔を作って説明する。


「一人暮らしの男の家に女性が来るのはよくないって、最近ずっと入れてくれないのよ」


”あれ、どういうこと?”


 彼女なら入り浸ってもいいだろうし、そもそも二人はもう大人だし、と意味が分からず悩むが、次のセリフがさらに困惑を深める。


「アカネさんは特別ですからね」


 そういいながら、鞄から箱を取り出した。


「これ、今日のお礼です」


 ケースを見て、あっ、といい、開けてもいいか尋ね、恭介がうなずく。


「これ、あのお店の限定ブローチ!」


 アカネはとてもうれしそうな顔をする。


「ありがとう。これ、買えなかったの」


 喜んでくれれば、と恭介はコーヒーを口に運んだ。


「お返しにも私の愛を」


 アカネが自分の胸に手を当てる。


「そんな冗談ばかり言ってると、真に受ける奴が出てきちゃいますよ」


 恭介がさらりとかわし、アカネは不満そうな顔をした。


***


 アカネは最後まで名残惜しそうにしていたが、恭介が無理やりのようにタクシーに乗せ、自分たちも帰路へとつく。


「アカネさん、彼女ですか?」


 洋子が尋ねた。


「いいえ、古い友達といいますか」


 ハンドルを握る恭介は前を向いたままだ。


「そうなんですか、恋人みたいな会話でしたけど。それにしても美人ですね」


「芸能人ですからね」


「えっ!?」


”彼女で芸能人だけど家には入れない?そういう趣味?”


 どんな変わった趣味の男なのか、と篤子の混乱は続く。


***


 あれから二週間、篤子は恭介を観察した。

 

”よくわからない”


 これが結論だ。


 身分はまだ大学院生らしい。だが、企業と共同研究している研究室にいるらしく、そちらからいくらかは給料が出ている様子である。

 アカネは最近メジャーデビューしたネット出身の歌手だった。恭介との関係はよくわからない。

 それより、あの買い物。相当な支払いが発生したはずだし、プレゼントしていたブローチも安いものではない。ちらっと見た店名を、買ってもらったスマホで検索するが、篤子の金銭感覚から行くと相当なものだ。そんな研究員の給料で払えるのか?


”プレゼントあげたりして、もしかして、これが貢君って奴?”


 残念なことに、付き合いが友人より大人の方がおおかったからか、篤子の言い回しは相当古い。

 油断ならない男、と思いつつ、あんな風にさりげないプレゼントの渡され方に、憧れを感じなくはなかった。


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