恭介の願い(3)
「アメリカで撃たれたと」
はい、と真凛が答えた。隣には恭介、前の机には、日本屈指と言われる外科医が座っている。
「もう一年たったのですが、時々ひどく痛がるので心配で」
その医者はふんふん、とディスプレイをのぞき込み、CTの結果を眺める。
「ほら、ここですね」
胃の周りの三次元画像を表示させ、ペンで示した。
「ここが銃創部分なんですが、上手に形成してあります。ちょっとひきつっているので、そのせいで痛みが出るのでしょう。痛いからといって食事をあまりとらないのは良くありませんよ。ちゃんと使っていけばなじんできて、だんだん痛まなくなります」
真凛のホッとする様子を見て、医者は朗らかに、笑いながらいう。
「運がいいですねぇ、これほどだと相当危なかったんじゃないですか。先生の腕がよかったんですね」
医者はそう言うと、真凛の借りてきたカルテに目を落とした。
「おお、これはすごい。彼は外科手術の有名人なんです。こんな緊急手術もするんですね。彼でなければだめだったかもしれませんよ」
歌姫の契約で、彼女が危ない時は彼が執刀することになっている。かばって撃たれたということで、彼女の指示で執刀してくれたのだ。
”しかしデリカシーのない医者だな”
恭介は心の中で毒づく。生き死にの話は真凛の前ではして欲しくなかった。
「奥さんはなるべく消化のいいものを食べさせてあげてください」
”奥さん”
そう呼ばれたことは嬉しいが、やはり一歩間違えば、と思うと身震いする
今回の診察に当たり、治療してくれた病院からカルテを借り受けた。そこには、恭介の心臓が二度、搬送中の救急車の中と、手術中に止まったことが書かれていて、それを見た時は立っていられなかった。
でも、今隣にいてくれる、というのは紛れもない事実だ。
診察室を出て、並んで廊下を歩く恭介の腕をキュッっととった。恭介は反対側の手で、真凛の手をポンポンとする。
「ねぇ真凛さん、この後の予定ってどうなってますか?」
診察の結果どうなるかわからなかったこともあり、後の予定は入れていない。
「じゃあちょっとお時間頂いていいですか?」
恭介はそういうと、どこかに電話した。
会計をすまし二人一緒に外に出ると、スーツを着た男が近づいてくる。
「こちらです」
無理をいってすまないね、と恭介は声をかけ、男の後をついていくと、恭介が前に乗っていたものと同じエンブレムの車両が止まっていた。
恭介が助手席のドアを開けながら説明する。
「レンタカーを配車してもらいました」
真凛が乗り込むとそっと閉めてもらう。久しぶりのドライブだ。真凛は嬉しさを隠せない。
「どこにいくんです?」
「真凛の丘です」
現オーナーとはいまだにやり取りがあり、今日は使ってないからと見に行くことにしたという。
入口の具合は変わってはいない。インターフォン越しに名前を言ってゲートを開けてもらう。昼間は管理人がいるのと、整備の人が毎日庭のメンテナンスをしているという。
「ちょっと歩きましょうか」
車を止め、木立を抜けて丘へと向かう。
「あ」
前は草原だったが、今はその中に花畑が区画に分けて作られている。コテージは改良されて、大きくなっていた。
「やっぱりちょっと寂しい」
思い出の丘とは変わってしまった。恭介もそうですね、というと、二人はテラスに上がりしばらく海を見ていた。
「でも、あれからここでは何組もの人たちが式を挙げたそうです。幸せの丘になったんですね」
”幸せの丘”
真凛は恭介の横顔を見る。私もそうなれたら、と思う。あの日、ちゃんとそのことを伝えておければ。
仮定の話をしても仕方ないのはわかっているが、離れさえしなければ、いや、ちゃんと気持ちを伝えていれば、アメリカに恭介が行くこともなかったし、撃たれることもなかっただろう。
でも、今なら、言ってもいいかもしれない。そして、あの時からやり直すのだ。
そう決意し、タイミングを見測ろうとした恭介を見る。恭介は真凛を見ると、真凛が言うより先に、いつもの口調で語りかけた。
「私はまだ体調に不安がありますし、アメリカでの仕事も始めたばかりです。でも、落ち着いたら結婚していただけませんか」
あっさりとした口調に、真凛は理解するのに少し時間がかかる。
”あれ?結婚してって言った?”
恭介はしばらく答えを待ったが、何の返事もなく、やらかしてしまったことに少しがっかり顔をする。
”ちょっと焦り過ぎましたか”
傷も大丈夫そうだし、なんの確約もなく真凛を繋ぎ止めていくのもどうかと思ったのだが、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。
「だめですか」
でも、自分の気持ちは伝えられたから。恭介は気を取り直し、微笑んで見せる。
「えっ、いや。違います!」
真凛は慌てる。違う、誤解されてしまう!やり直しをして欲しい。
上ずった声で頼んだ。
「もう一度、もう一度お願いします」
恭介は、今度はもっとはっきりと、少しゆっくり、気持ちを込める。
「結婚していただけませんか」
真凛は恭介に飛びつき、ぶら下がるような形になり、恭介はそれを抱きしめて支えた。
「よろこんで!」
真凛の胸にはさまざまな出来事が思い出され、そして想いが満ちた涙が零れる。
一つになった二人の影が長く、真凛の丘に伸びていった。