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その丘の向こうで  作者: クロ
第一章
110/145

真凛と恭介(2)


 

 真凛は心配でならない。しかし、恭介の事を思って迷う。


”本当に来てほしくないのかもしれない”


 黙って見送ったが不安が募る。一人、部屋で恭介がどうしているかを考えた。


 今頃一人で暗い部屋にいるのだろう。そして

 

”ダメだ”


 最後の無理をした顔を思い出す。一人にはしてはいけなかった。今からでも行かなければ。

 

”どこに”


 代車は駐車場に止めっぱなしになっている。ならば山の中の一軒家はない。とすれば行き先は一つだ。


 

 

 事務所の近くの借りている部屋に入った恭介は床に座り込む。その途端に身動きが取れなくなった。

 

”これはダメだな”


 暗い気持ちが、濁った沼の中のように、なにか重たいものがまとわりついて、体が動かない。

 

”もういい歳なんだから”


 なんとか気持ちを奮い立たそうとした。

 

”働かないとあの子たちが困るじゃないか、頑張れ”


 自分を励ますことなんて、もう何年もなかったことだ。そうなるほど恭介は自分を追い詰めている。

 しかし、体が動くことはない。


”だめか”


 今は、闇の中に沈むことしかできなった。



 闇の中には自分が待っていて、その自分は恭介をせせら笑う。


「お前みたいなやつが、何を期待してるんだ?みっともない生き残りのくせに」


 恭介は何も言い返せない。その姿を見て、自分は言いたい放題だ。


「家族と言いながら、なぜかたき討ちに行かなかったんだ?本当は自分だけ助かってホッとしてたんだろう?奈々が死んだ時もそうだ。その的外れな怒りを親戚に向けて、すっきりしたのか?」


 すっきり、するわけもない。奈々が死んだことと親戚は無関係だ。ただ、大事な家族を罵倒され、怒りのまま暴れたに過ぎない。


「いつもそうだ。口では偉そうなこと言うくせに自分勝手だ。そのくせ何もできやしない、生きてる事に何の価値もない」


 そちらの自分は明らかに馬鹿にした態度で、芝居じみた大げさな素振りで目元を手で覆ってみせ、馬鹿笑いして見せた。


「お前の好きな価値やら意義ってやつは滑稽だな。でもよかったな。今からでもまだ間に合うぞ」


 でも、と恭介は思う。まだ、皆が。せめて学校を出るまでは。


「言い訳ばかりだな。恥ずかしい奴だ、しがみつくばかりで。まぁ心配いらんよ、そのために西田に頼んだんだろ」


 お前みたいな壊れたやつはあの子たちのためにならない、そう告げると言い放った。


「皆お前のせいで死んだのに、のうのうと生きてるなんてお笑い種だ」


 

 どれくらいたっただろうか、抱えた膝から顔を上げると、なぜか、真凛が隣に座っている。

 

”幻影?”


 真凛を見つめると、真凛がこちらを見て笑顔を見せる。

 癒される笑顔だな、と思う、そして、そこにはいない影だと思うと、自分は来るところまで来たかと思い、もし最後としても笑顔が見れてよかったと思った。

 

「真凜さん」


 恭介がその名を呼ぶと、その幻はポンポンと膝を叩いて、頭を乗せろとゼスチャーをする。指示されるまま頭をのせると、頭をゆっくりと撫でられ、真凛の匂いがした。

 

「もう大丈夫です」


 真凛が言う。

 とても幻には思えず、恭介は体を起こし真凛の頬に触れ、その感触に本物とわかった。


「どうしてここに?」


 恭介は頬に手を当てたまま尋ねる。


「約束しました。ついていきますって」


 恭介は深く息をつき、最大の力で、暗い沼の中の意識を無理やり引き揚げる。それが今できる精いっぱいの扶持だった。

 

「こんな姿をお見せするなんて」


 真凛は頭を左右に振ると、そっと恭介の手を取る。

 

「それから、一緒にいますって」


 恭介は再び壁を背にして座ると、二人はしばらく手を握ったままでいた。恭介は全く回らなくなった頭で、それでも真凛に謝る言葉を、約束を破る言い訳を必死で構築した。


「私はとても酷いやつなんです。我儘で、自分勝手で」


 恭介は必死に言葉をつなぐが、我儘も、自分勝手も、同じ意味なのも分からないほどになりつつある。


「一緒にいてくれると言ってくれるのは嬉しいですが、いつかはと思うと」


 いつかは、ではない。本当は今なのだ。でも真凛に本当のことも言えず、取り繕うとする自分はやはり駄目なやつだと思った。


 その証拠に恭介は繋いだ真凛の手を離すことができない。そして真凛は、その裏腹な態度に戸惑う。

 

「私の事は信用できないですか?」


 一緒にいてくれると思っていた人たちが、家族が、美香が、アカネが、一人一人といなくなってしまう、それを繰り返してきた恭介が恐れるのは当たり前と真凛は思う。だが、恭介はそのことではない。


「違います。私は見た通りポンコツで。一緒にいるわけにはいきません。あなた方にこんな姿を」


 人の気持ちは移ろうものなのは恭介はわかっている。それは仕方のないことだ。しかし、恭介の中では、自分が壊れてこの子たちに怖い思いや悲しい思いをさせる方が耐えられなかった。美香も恐れたほどの、壊れた姿を見せるのが嫌だった。そしてその時が、目の前に迫っている。


「ごめんなさい。幸せになるまで見届けたかったんですが」


“ごめんなさい?”


 その意味を真凜は考える。望みをかなえることの出来ない悲しさを帯びた、そのあまりに力のない、つぶやくような言葉で、真凛はその意味に気が付いたが、それでもあえて問うた。


「なにがごめんなさい?」


恭介は真凜の方を見ず、頭を下げたまま答える。


「約束は、守れません」


 自分たちの前から姿を消すつもりなのだろう、どうやって、と考えるが、ひどく良くないことを想像する。

 恭介はもう自分を保っていられることができなくなってきたのを悟り、真凛のその手を、なんとか放そうと気持ちを振り絞って手を開いた。


「もう、帰って下さい」


 真凛はその開きかけた手を握り返し、離れないように両手で握る。よく分かっているのだ、今この手を離すと、この人はいなくなってしまうことを。


「お兄さんが約束を守ってくれなくても、私は守ります」


 努めて冷静に、恭介のためにも、自分のためにも、力強く宣言した。

 

 真凛はこんなに恭介が儚く見えたのは初めてだった。でも、幻滅することはない。恭介の強い所も、弱い所も、優しい所もすべてを受け入れているからだ。恭介の抱えるすべてが真凛にとって大切なものなのだ。

 恭介がどんな風になったとしても、離れることはしない。悲しむことはさせない。そう心に決めている。だから、恭介が例えその手を離そうとしても、真凜は強く握りしめる。


「私との約束は、忘れて」


 恭介はかろうじて言葉をつないだ。この子を自分が縛ってはいけない、この子のために、この子の幸せのために。

 その気持ちだけが、今の恭介のすべてと言えた。


「ダメです。忘れません。お兄さんが好きだから」


 好き、と言う言葉すら理解できなくなっている恭介は頭を上げて真凛を見る。真凛はその目をしっかりと見ると、もっとはっきりと伝えた。


「あなたを愛してるから」


“愛?”


 恭介は崩れた思考の中から、愛と言う言葉を探し出す。愛とはなんなのか、そしてこの子が、自分にとって、自分よりも大事な人であることは揺るぎなく、そのことが口を突いて漏れでる。


「真凛さんを、本当に愛してるんです」


 真凛は目を見開く。恭介はその言葉を口に出し、停止しかけた思考は動き始め、再び次の言葉を探し始める。


「でもいけません。私は壊れています。あなたを不幸にします」


 真凛はその言葉で口元を引き締めた。わずかな時間で考えをまとめ、再び口を開く。


「お兄さんは間違っています。勝手に相手の事を思うだけが愛だと勘違いしています」


 そう、そのことは今、伝えないといけない。


「前に洋子さんに教えてもらったんです。お互いの事を大事に思うのが愛なんだって」


 真凛の握る手に力がこもる。愛とは何か、と洋子に質問した時の話だ。


「私は思うんです、大事な人の事を思って、そしたらその気持ちが戻ってきて。そうやって、ぐるぐる回ってるのが愛なんじゃないかって」


 あの時、恭介に愛する人の条件を尋ねたら、一緒に泣いてくれる人、と答えた。それは、互いに大事に思いあっていれば全然難しいことじゃないと今ならわかる。恭介だって、そう答えたということは、分かっているはずだ。だが、自分で認めようとしていない、受け入れようとしていないだけなのだ。


「その思いがどんなに細くなっても、弱くなっても、消えない限りはずっと一緒にいることができるって」


 いつまで一緒にいてくれるのか誰もが不安だ。でも、つながりさえあれば何とでもなる。きっと恭介はそう思うことすら、いけないことだと思い込んでいる。


「私を信じてとは言いません。信じなくてもいいです。それはお兄さんの気持ちなんですから。でも私があなたの事を大事に思っているという気持ちは、受け入れてもらえませんか」


 真凛自身も不安はある。恭介が離れてしまうことだってあるだろう。ただ言えるのは、真凛から離れるつもりはないことだ。


「私は受け入れてもらってさえいれば、いつも、いつまでも一緒にいます」


 真凛の気持ちは恭介の壊れかけた心を繋ぎ止め、そして癒していく。真凜の言葉は今の恭介に真っ直ぐ届き、受け入れそうになる。いつも近くにいてくれたなら、と。しかし、頭を横に振った。


「そんなことは、約束してはいけませんよ」


 真凛はいつもの恭介が戻ってきてくれたことを感じていた。もう大丈夫という自信をもって、その理由を尋ねた。


「どうしてです?」


 恭介は答えに詰まる。真凛にそう問われ嘘はつけない。


「あなたが、なによりも大事で、幸せになって欲しいから」


 苦し気な、そして悲し気な告白だったが、真凛には別の意味がある。お互いが本当に大事に思いあっている、それは期待でもなければ勘違いでもなく、恭介の迷いでもない。その確信を得て、真凛は恭介を抱きしめた。


「一緒にいられるのが幸せなんです」


 恭介は戸惑う。今強く抱きしめさえすれば、自分の願いが叶うのだ。自分にはその資格はないと、それが自分の罪だと思っていたものが赦されるのだ。

 

「いいんですか?後悔するかもしれませんよ」


 なんて無粋なんだろう、恭介は自分で思う。その迷いは素直に受け入れることをさせようとはしない。

 しかし、真凜の言葉はそれを易々と越えてくる。


「今この手を離した方が後悔します。でも、私は強くありません。たまには声に出して安心させてください」


 恭介は真凛を強く抱きしめた。


「真凛さんの幸せのために、私のすべてを、あなたに」


 この命など真凛のためなら捨ててもかまわない。真凛のために、自分のすべてを、と心に誓った。



 

 真凛に連れられて帰ってきた恭介を見て、洋子と篤子はほっとした。

 

 二人に真凛は伝える。


「受け入れていただけました」


 洋子と篤子は、真凛のひたむきさが、恭介を救ったのだとわかっている。



これで一章終了です。続けて次章(最終章)を投稿します。こっちは短いので、一月ほどで終わります。

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