はじまり
中学生三年生の篤子は、義父の雄介を亡くした。
家族だったのはたったの三年。深い感傷に浸るほど、仲良くなっていたわけではない。
独り身となった母親の再婚はそう珍しいことでもないだろう。ただ、その義父が母と30ほど離れていなければ。
そして、彼の死をきっかけに、中学生の篤子の生活は一変した。
田舎の名士だった義父。生前は新しくできた親戚からの嫌がらせはあったものの、不自由はなかった。ところが、義父が亡くなった途端に遺産相続に巻き込まれ、罵詈雑言を浴び、母を誰かの後妻に、自分は中学卒業とともに嫁入りさせる話になっていて、逃げようにも私物をすべて抑えられ、外部と連絡も取れず、身動きできない状態になっていた。
”いったいいつの時代だよ”
篤子の怒りは高まるばかりだが、なにも打つ手が思い浮かばない。学校から不登校を確認に来るまで待つか?いや、その前に強引になにかされるかもしれない。隙を見て飛び出す?だが無一文ならすぐに詰んでしまうだろう。そうだ、どこかのシェルターに入れてはもらえないか。
だが、ここは妙に地元の連携力が高い。市の窓口に相談したところ、あっという間に情報が漏れてしまい、前よりも自由がなくなってしまった。
母は追い詰められたからか、それとも義父の死がショックだったのか思考力が鈍っている。やはり無一文でも飛び出すべきでは、とは思うものの、飛び出したところですぐに情報が流れて連れ戻されそうだった。
そんな時に現れたのが恭介だ。
篤子は恭介と、数年前に一度だけ会ったことがある。雄介が孫を紹介したい、と恭介を呼んだのだ。
会ったのは少し離れた街の喫茶店だった。なんで本家で会わないのだろう、とは思ったが、話のムードからそれは都合が悪い様子だ。
”甥かぁ”
篤子は八つ年上の恭介が甥になったことに、全く現実感がない。
恭介の第一印象は、すらっとしていて服装は清潔質素、顔はまあまぁ、目つきもぼんやりでなく鋭くもなく。そして淡々としている。何を考えているのかわからないし、冷たい印象のする青年、といったところだ。
そして、そんな親戚ができたこと自体、忘れていた。
その甥が、どうやって入ってきたのかわからないが、二人がほぼ軟禁状態となっている部屋で今、目の前に立っている。
「迎えに来ました」
手短に祖父に頼まれたと説明する。言われるがまま、家人たちの隙をついて家を脱出すると、近くに止めてあった他県ナンバーのタクシーに押し込まれ、そのまま少し離れた駅から都心へと向かう。
雄介は、「自分になにかあったら恭介を頼れ。言い伝えてある」と言ってはいた。頼ろうにも連絡の取りようもなかったが、こうしてとりあえず脱出できた事は感謝だ。ただ、篤子は恭介を信用しているわけではない。大体、母と自分を人身御供として嫁がせようとした人たちの親戚だ。ついてきたのは、とりあえずこの家から逃げなければいけないという、緊急事態だからだ。
”どこで本性を現すかかわからないし”
義父が亡くなって、ちょっとぼんやりしている母に代わって自分がしっかりしなければならない。
篤子はそう思っている。まだ30代前半の母が、まさか30も年の離れた義父と再婚するとは思いもしなかったし、きっと金銭的なもので再婚したと思ってた母が、こんなに落ち込むとも思っていなかった。
“私が守らなきゃ”
新幹線の通路を挟んで向こう側に座っている男を横目で見ながら、篤子は警戒心を隠そうとはしなかった。
***
洋子は窓際の席に座った。ぼんやりと開いたその目には、窓の外を流れる街の光が映っていたが、見入っているわけではない。
”疲れた”
自分がなにか悪いことをしたのか。こう次々とうまくいかないのはなぜなのか。思い当たることはないが、もしかしたら前世になにかあったのか。
とはいえ、今を生きる自分には、前世なんか関係ない。愛した人が死んでいくのはつらいだけだ。
大学に入学したとたんに家業が破綻して退学、水商売に入りすぐに男に騙され篤子を出産、そんな中やっと安らぐ人を見つけたが、その幸せは長くは続かなかった。歳の差はあったが、こんなに早く別れが来るとは思いもしなかったのだ。
ふと隣を見ると、娘が隣に座り、時折隣の男を剣呑な様子で見ている。自分を守ろうとしてくれているのだろう。
”この子にもいつも迷惑をかけて”
子供らしいこともさせることができなかったのは、自分のせいだとわかっていて、それがなおさら辛い。そして、ちらりと恭介を見る。
”雄介さんから聞いてはいたけれど”
本当に来るとは思わなかった。雄介が亡くなった事を、誰も連絡してすらいないだろうがどうやって知ったのか。
”今は、彼を信じるしかない”
荒波の中を渡ってきた洋子だったが、現時点では、頼みの綱は雄介の言葉だけだった。