~加地愁斗(4)~
衝動というのは怖いものだ。
もう少しで俺は戻れないことをしそうになった。
「ただ、かっこ悪いことだけはしないでください」
テツさんのあの言葉がなかったら俺は力任せにひなたに何かをしていただろう。いや、何かをされても仕方がないことをひなたはしたのだ。この俺に。
だが、カッとなっても俺は、俺だけは落ち着いていなきゃいけない。
中学の時にまわりにいたアイツらの面倒を見ていた時にそう決めただろう。アイツらはいつもカッとなって暴れて後で後悔をする。
それを見てきたから落ち着かなきゃと思ってしまう。
それにあのテツさんの言葉だ。
かっこ悪いこと。
何があっても女に手をあげるのは最低だ。
だが、落ち着かない。呑み込めずに喉の中に何がつっかえているくらいに気持ち悪い。
春の中途半端な気温のせいだ。この何とも言えない寒いと暑いを繰り返す季節。この気温の差が悪いんだ。
道路のわきに捨てられている空き缶を思いっきり蹴飛ばした。からんという音がしたけれど、俺の喉元にあるしこりはどこにも行ってくれなかった。
「坊ちゃん、どうしたんですか?」
道路の脇から四角い顔をしたテツさんが出てきた。ヘルメットをかぶっている。どこかで工事をしていたのだろうか。
そう思って周りを見ると少し先に新築の戸建なんだろうか工事現場があった。
「お~い、テツ。何してるんだ」
親父の声がどこからか響く。
「すぐ行きます」
テツさんが大きな声で返す。
「明日、少年野球の練習があるんです。坊ちゃんも久しぶりに来ませんか?もやもやしている時は体を動かして汗をかくのが一番ですよ。じゃあ、戻らないといけないんで」
そう言って、テツさんは軽やかに戻って行った。
勝てないな。
あんな大人になりたい。
俺は何もかもが足りない。理想と現実の差ってやつをテツさんに会うといつも感じさせられる。
どうしたらなれるんだよ。あんな大人に。
気が付いたら俺は走っていた。とりあえず全速力で。息が切れた先は公園だった。
ジャングルジムが見える。
ああ、アイツが落ちた公園だ。
俺は木々が生えている方に行き仰向けになって空を見る。隙間から少しだけ星空が見えた。
「視野をわざと狭くしたら世界って違って見えるよね。私それが好き」
こんな時になんでひなたが言った言葉を思い出すのだ。
俺はどれだけ女々しいのだ。
だが、この言葉はその通りだと思った。
たまに言うひなたの言葉は深いのだ。広がる星空より今の俺にはわずかに見える星空の方が落ち着けた。
とりあえず、明日はテツさんに言われたから少年野球の練習に付き合うか。
星空を見ていても俺は何をどうしていいのか思いつかなった。いや、思いつくわけない。ひなたの行動が理解できないのだから。
朝。
そういえば、どんな時でも朝がやってくるというようなセリフがあったアニメを思い出した。
俺は見ていないがひなたがたまにそういう話しをするのだ。といっても、ひなたではなくあかりが見ていたのを垣間見ていたのだと思う。
体は重い。どれだけ眠れたのかわからない。だからこそ、体を動かすのがいいのだろう。
時計を見るとまだ6時だ。
前日あれだけお酒を飲んでもテツさんの朝は早い。というか、家であれだけみんな飲んでいるが朝は早いのだ。
俺もビールを飲むけれど飲んだ後は頭がくらくらしてすぐに起きることができない。気持ち悪いのだ。だから昨日は飲まなかった。部屋に入って天井を眺めて目を閉じていた。眠れたかはわからない。
「目を閉じて横になるだけでも効果はあるらしいよ」
そういえばひなたがそんなことを言っていたのを思い出した。あれは桜が咲いていた時に横になって桜を見ていた時だ。
「だから今は眼を閉じておやすみなさい」
あの優しい声を思い出すと今までは眠れたんだ。
だが、今の俺はどうしていいのかすらわからない。まさか眠れなくなるなんて思っていなかった。それにあのタイムカプセルの手紙だ。
あの内容はないだろう。俺だけじゃない。ムカつくが藤山だって無関係じゃない。
あいつは物事の表面しか見ていないから気が付くことなんてないだろう。
それに藤山は勘違いをしている。まるでこの世で一番不幸なのが自分だと思っている。
誰かがやってきて、その不幸を取り除いてもらえると思っているんだ。
だから余計に腹が立つ。
何のためにこの手があると思っているんだ。立ち向かうためにあるんだろう。だが、今の俺は何に立ち向かえばいいんだ。わからない。
コツン。コツン。
乾いたことがした。窓を見る。そこには四角い顔をして優しい笑顔をしているテツさんがいた。
「坊ちゃん、行けますか?」
悩んだって何も変わらない。なら、体を動かしてみよう。疲れ切ったら眠れるようになるかもしれない。
「ああ、いいよ」
俺は立ち上がった。テツさんを真似して同じようにベランダから降りてみたがやっぱりうまく行かなかった。結局バランスを崩してテツさんに受け止められてしまった。
「重心がぶれています。後、怖がっているから体が固いです。楽に受け止めればいいんです。なんだって。なるようにしかならないんですからね」
勝てないと思った。何もかも見透かされているように感じる。なるようにしかならないか。
「坊ちゃん。これは俺の自論なんですけれど、自分でどうにかできないことを悩んだって時間の無駄なんですよ。
そもそも悩むって何も解決にならないんですよ。起きた物事に対してどう対処するのか考えることが前に進むことであって、悩むはその場で立ち止まることなんです。
まあ、常に前に進めるわけじゃないですけれど、立ち止まり悩んでいたって物事は変わりません。そういう時は任せるのが一番です。さあ、今日は久しぶりに一緒に野球をしましょう」
テツさんは相変わらずさらっと深いことを言ってくる。
ひなたもたまにそうだった。さらりと深いことを言ってくる。俺だけ取り残されている気分になる。
少年野球は俺たちが通っていた小学校のグラウンドで練習をしている。小学校は住宅街を抜けた先にある。
東西に大きな幹線道路があり、その道路に交差する形で太い道路がある。
この道路は幹線道路ではないが車が良く通る道だ。それなのにガードレールがない。
そこまで広くないからだ。だから小学生の時は気を付けるように良く言われたものだ。しかも少し坂になっている。
だから走りたくなるのだ。そういえば、よくひなたと競争をしたのを覚えている。ちょうどこの太い通りに入った所で出会うからだ。
藤山もだ。藤山の横にはあかりがいる。だが、あかりだって本当ははしゃぎたかったはずだ。途中の公園で少年野球の小学生と合流をする。やはり、小学生だけであの道路を歩かせるのは怖い。
そこまで早くないが車が走っている。こうやって大きくなるとあの時大人が言っていた「危ない」の意味がわかる。こいつらはどういう行動をするのか予測ができないのだ。
「おい、車来ているぞ」
最後尾から声をかける。先頭はテツさんが歩いている。先頭はテツさんが笑いながら話しているが整列している。俺の方はぐちゃぐちゃだ。これが差というものなのだろうか。
「ちゃんとしろ」
気が付いたらちょっと大きな声が出ていた。子供がびくっとなったのがわかる。だが、その後すぐに車が横切っていく。
正しかったはずだ。だが、周りが変な距離を俺に取っている。気にするな。恐怖は大事だ。なめられたらダメだ。強さは一つのステータスだろう。俺はそうやって来たんだ。
校門をくぐり、グラウンドに向かう。その時にテツさんが寄ってきた。
「坊ちゃん。子供たちが怖がっていますよ。もうちょっと笑顔で」
「いや、これくらいがいいんじゃないのか?」
俺はなめられたら終わりだと思っている。だがテツさんはこう言ってきた。
「親が会費を払っているのですよ。坊ちゃんはボランティアかもしれませんがこっちは商売でもあります。坊ちゃんもわかりますよね」
返す言葉がなかった。わかりますよねと言われてわからないとは言えないし、ふてくされることもできない。
「わかりました」
俺はやっぱりテツさんには勝てないと思った。
それから楽しく、楽しませることに気を付けて野球をした。
といっても、ノックをしたり、バッティングの練習に付き合ったりだ。そういえば、今日の夜にひなたと会うのもここだな。
職員室の裏手にある用具室だ。あそこは職員室からは良く見えるからか鍵がかかっていない。
それに中に入っているものも学校にとっては大事かもしれないが、第三者から見たら欲しいものでもない。
だから夜にたむろするにはいい場所なのだ。まあ、他にもたむろするにはいい場所はある。けれど、ある程度縄張りもあるし、行ってみて使っていれば場所を変えればいい。
この近くなら少し離れたら廃屋もあるし、少し道路をバイクで走らせたらつぶれたショッピングモールもある。そう思っていたら視界の隅にアイツが、藤山が見えた。何か走っているのが見えた。
「すみません、ちょっと席外します」
俺はテツさんに断りを入れて藤山が走って行った正門前に向かっていく。だが、すでに藤山を見失ってしまった。
「おお、加地じゃないか。どうしたんだ?」
振り向くと小学6年生の時の担任だった武藤先生が立っていた。武藤先生はいつもジャージを着ている先生だ。それが青だったり赤だったりするが基本ジャージに変わりはない。
「今日は少年野球の手伝いで来ています」
そう言って頭を下げた。この武藤先生はかわった先生だった。一言で言うと俺みたいな不良にレッテルを貼らずにちゃんと話しを聞いてくれる先生だ。
だからこそ親しみがわくがいつもジャージなのが残念なのだ。顔もひげが濃くて眉毛もつながっているような感じだ。体育会系なのがすごくわかりやすい先生なのだ。そして、礼儀にやたらうるさい。
「礼節をわきまえないやつはこの世の中ではどこでもやっていけん。だから挨拶だけは絶対にしろ」
何度もそう言われた。藤山は眼を見て挨拶をしなかった。だから嫌われていたんだ。武藤先生が言う。
「ああ、さっき藤山が用具室からシャベルを取り出していたんだが、戻ってこないから探しに来たんだ。何か知らないか?」
「いや、知らないです」
アイツ何をしていたんだ。でも、この奥あたりから走っていたな。俺は校門付近の坂を駆け上がる。
もう桜は散って葉桜になっている。木陰の気持ちいい風を感じる。目を凝らすと奥の方にシャベルが落ちていたのが見えた。
俺は歩いていく。土の感触を感じて少し前にタイムカプセルを開けた時を思い出してしまった。
「おや、タイムカプセルでもあったのかな?」
後ろから声がする。武藤先生が音もなく後ろにいたのだ。そうだ、この人は気配を感じさせないのだ。
確か格闘技もしているのを聞いたことがある。ジャージの上からでも体格が良いのがわかる。この風貌にこの体格。だから誰も逆らおうとしなかったのだ。
「そうですね」
言いながら、また俺の知らないことがあったのかと思った。いつだって俺はのけ者なのだ。わかっているからこそどうにかひなたをつなぎとめようとしていたのだ。
「じゃあ、埋めるか。本当に仕方がないやつだな。藤山も。あいつももうちょっと成長せんと厳しいだろうな」
そう言って武藤先生がシャベルを取り出して穴を埋めだした。
「俺、やりますよ」
「いや、お前は少年野球の手伝いに戻ってろ。子供たちを待たしているんだろう。それに、ここに居たってお前にいいことはないみたいだからな。だから俺が埋めといてやる」
まただ。どうして俺の心を大人は読み解いて、言われたくないセリフを言ってくるんだ。
「わかりました。行ってきます」
お辞儀をして俺は底を飛び出した。藤山のようにどこかに走り去りたい気分だ。
だが、そんなことはできない。俺は藤山じゃないんだからな。ゆっくりと歩く。まるで少しでもバランスを崩したら知らない世界に落ちてしまいそうだ。そう言えばひなたが変なことを言っていたな。
「私たちの知っている世界は実は有限なの。
知らない先は未開の地。知らないと知っている境界線が限界点でもあるの。
その境界線が私たちの最果て。でも、その最果てはいつだって移動をしていくの。
だって、私たちの世界は歳と共に広がっているでしょ。だからもっと遠くに行こうよ」
いつだってひなたが言う言葉は意味不明だ。だが、今の俺は少しだけわかるかもしれない。
踏み間違えたらどこか知らない世界に落ちていきそうだ。だから俺は歩き続けるし、立ち向かわなきゃいけないんだ。
ゆっくり歩きながらグラウンドに戻る。木々がある土と違ってしっかりしている。大丈夫。俺は間違えない。目の前で笑っているテツさんを見てそう確信を持てた。
汗をかくと何か色んなことがどうでも良くなってくる。気が付くとテツさんのノックを俺も受けていた。汗だくで泥だらけだ。だが、なんだか楽しくなってくる。
「愁斗、何しているんだよ。今のは捕れただろう」
顔を上げると中学の時のツレが何人か来ていた。
そういえばこいつらも野球していたな。テツさんが呼んだのか?顔を上げるとテツさんが笑っている。
「お前は一人じゃないだろう」
なんて言葉が聞こえそうだ。いや、聞こえた気がした。笑い合って、ふざけあって楽しかった。そうだ。俺はずっとこうしていたんだ。忘れていた。
少年野球の練習が終わった。テツさんは子供たちを連れて行ったが俺たちは残っていた。もう体が動かない。グラウンドで大の字になって空を見上げる。
「俺たちは馬鹿だから頼りないかもしれないけど、たまには頼れよな」
そう言われた。まさか、こいつらにそんなこと言われると思っていなかった。
「ああ、ありがとうな」
そう、この時はまだ大丈夫だと思っていたんだ。その夜にひなたと会うまでは。




