~藤山政(3)~
びっくりすることがあった。
告別式が終わり、僕はあかりと書いていた交換日記を読んでいた。
日々の事がそこには書かれてある。今日駅前でクレープを食べたとか、神社にお参りに行った時に主のような猫にあった話し、少し電車に乗ってイオンに行った話し。
あかりの行動の横にはいつも僕が居た。どの場所も二人で行った先の事だった。
あかりが行きたいと言っていた場所についても書かれてあった。
そう、その日記が最後になっている。
「今度の休みの日に水族館に行きたい。今度ペンギンのショーがあるんだって」
そう、書かれてあった。海は僕らにとって特別。
行く時は決めていた。高校卒業したら一緒に海を見に行こうって。だから僕らは海を連想するところに行きたがる。
水族館もその一つだ。川辺に行くことだってある。「このずっと先に海があるんだね」ってあかりが言っていたのだ。
そう、この交換日記は僕たちのすべてでもある。読みながら僕は決めたんだ。次の週末に一人でこの水族館に行こうって。そして、この日記に記入をする。
学校では不思議とあかりがいない生活にみんなが慣れようとしているように見える。そこにそもそも「新田あかり」がいなかったみたいだ。
はじめは悲しんでいたけれど、日常がその悲しみを置いてけぼりにするのだ。
日常というスピードに立ち止まってしまったらどこにもいけなくなるみたいに、乗り遅れないように僕以外のみんなが動いている。
だから、学校ではみんな日常にしがみついている。授業を聞いて、話して。教室にあかりがいなくても誰も何もいわない。
だから僕だけはあかりを忘れないでいようと決めたんだ。
思い出だけを抱きしめて生きて行こう。
僕はそう決めたんだ。
だから、この日記を毎日読み、泣いて、そして僕の中ではあかりが生き続けているのと同じように過ごそうって。そう、思っていたら金曜日にひなたに声をかけられたんだ。
「ねえ、明日暇?」
「どうしたの?いきなり」
家に入ろうとしたらそう声をかけられた。学校ではクラスが違うから会うことはない。
それに、ここ数年ひなたから話しかけられることもなかった。
そう、ひなたの横にはいつも愁斗がいたからだ。だから、僕は意図的にひなたを避けていたのかもしれない。
愁斗を避けるために。
でも、ずっと気になっていた。あかりから聞くひなたは昔のイメージから変わっていない。明るく元気で、面倒見がいい。
ただ、思いが空回ることがある。
でも、それってみんなそうだろう。思っていることがうまく表現できない。伝えられない。もどかしい。踏み込む勇気がないんだ。
だから、いつからか僕はひなたも避けてしまっていた。
目の前のひなたを見る。黒いふわっとした髪。はりのあるほっぺたに、くるんとした黒い瞳。見れば見るほどあかりにそっくりだ。こうやって立ち止まっていると勘違いをしてしまいそうだ。
「だから、明日暇って聞いているのよ」
そう言って、ひなたはほっぺたを膨らませている。
こういう表情を見てひなたらしいと思った。アクションが大きいのがひなたらしいと思うんだ。
「いや、ちょっと行きたいところがあるんだよ」
僕はそう言った。だが、ひなたはこう言ってきた。
「じゃあ、私もそこに行く。どこに行くの?でも、遠くだったら困るな」
そう言って上目使いで僕を見てくる。その一瞬の表情にびっくりした。そう、その表情はあかりにそっくりだったからだ。
いや、当たり前だ。
だって、二人は一卵性双生児なんだから。元々そっくりなんだ。
僕がそれだけひなたを避けていたから、気が付かないように、していたからだ。
「水族館。あかりが行きたがっていた場所なんだ。だから一人で行かせてほしい」
「なんで?私も行く。明日何時?家に迎えに行くから。よろしくね」
そう言ってひなたは僕の隣の家に入って行った。
こう言った時のひなたは絶対に折れない。いや、ある意味あかりも似たようなものだった。そう、あかりも思ったことは実現させる。それが強引なのかそうじゃないのかの違いだ。
僕は自分の家に入って部屋に閉じこもる。
母親と話したくないからだ。あんな見栄だけの人と一緒にいたくない。
他人が居れば天使のような顔をして、家族だけになると悪魔のような顔になる。
今は悪魔のような顔のはずだ。何か一つでも気に沿わないことがあると八つ当たりを受ける。
誰に何を言っても信じてもらえない。いや、あかりだけは信じてくれた。ちょうどあかりと電話で話していた時に母親に怒りスイッチが入ったのを聞いたからだ。
「すごかったね。びっくりした」
そう言われた。そりゃそうだろう。
誰から見ても「いい母親」を外で演じているんだ。「政ちゃんはあんなよくできたお母さんが居ていいわね」とか言われるとものすごく行き場のない思いを持ってしまう。
だから母親のことを知って、理解をしてくれたあかりは本当に僕の支えだったんだ。
僕は何度目かわからないくらい読み返した日記帳を手に取った。当たり前と思っていた日常が奪われて初めてわかったこと。
何気ない日常は奇跡の上になりたっていて、その日常が幸せだと言うことだ。文字の一つひとつが僕の心に訴えかけてくる。
もっと、大事にすればよかった。もっと一緒にいればよかった。
僕は後悔だけをずっとしていた。
気が付いたら僕は泣きながら眠っていた。夢の中であかりと会えたらいいのにと思っていたけれど、それは実現しなかった。けれど、その願いは違う形でかなってしまったのだ。
翌朝。
土曜日。週末は母親が家にいる。
パートに行くこともないからだ。だから早く家を出ないと居心地が悪い。だからそっと家を出た。そのはずだった。
「やっと出てきた」
そう言って家の前に白いワンピースに水色のカーデガンを羽織った女性が立っていた。
そのすこしウェーブのかかった黒い髪にうるんだ瞳はまっすぐに僕を見ている。
「あかり、、、なのか?」
「待たせないでよね。じゃあ、行きましょう」
その少しゆったり話す癖、その雰囲気。あかりそのものだ。あかりが僕の腕をつかむ。
あたたかい。一体何が起きたのかわからなくなった。
「ひなたなのか?」
普通に考えたらひなた以外ありえない。でも、ひなたのあの雰囲気がまったく感じられないのだ。服装も落ち着いている。ひなたじゃあり得ない。
「ふふふ。内緒。じゃあ、行こうよ。私ペンギン見たかったの」
頭の中が真っ白になった。
僕は昨日ひなたに水族館に行くとだけ伝えた。ペンギンの事は伝えていない。
どうしてひなたが「そのこと」を知っているのだ。
まさか、本当にあかりなのか?腕を組んでくる。そのしぐさはまるであかりだ。
優しくそっと腕をからませ手を握ってくる。一体何が起きたのだろう。わからない。あかりの顔が僕に近づいてくる。
「そのままを受け止めて。お願い」
耳元でそう言われた。
僕は頭の中をリセットした。そう、あかりが死んだことをなかったことにした。そうするのが一番この現状を受け入れられそうだ。
「わかったよ。じゃあ、行こうか。あかり」
「うん」
そう言って笑った笑顔はゆっくりと、でも温かみのある笑顔だった。そう、その笑い方は紛れもなくあかりだと思った。
ひなたがこんな感じで穏やかに笑ったところを見たことがなかったからだ。
駅に向かい電車に乗る。
どこかでひなたが演じているのではと思っていたが、その理由がわからない。嫌がらせか何かなのかと思って周りを見渡したけれど誰かがこっそり覗いているということもなさそうだ。
まあ、実際そこまできょろきょろしていたわけでもないから何とも言えないけれど、少なくてもどこかで笑い声が聞こえたりしていることもなかった。
「ねえ、今度は政くんが行きたいところ教えてよ。私、政くんが行きたい所に行ってみたいな。もし浮かばないなら私の行きたいところばっかりになっちゃうけれどいい?」
「いいよ。あかりの行きたいところに僕はついて行くよ」
本当にあかりなのかもしれない。
けれど死者がこうやって普通に朝から僕の前に出てくることってあるのだろうか。ドラマや映画ならいざ知らず、しかも、この状況だ。
僕とあかりはふたりぼっちだった。いや、ふたりぼっちなのは僕の方だけ。あかりはクラスでも話す子がいる。僕はいない。だからこそ、この奇跡を信じたいんだ。
それに、事実は小説より奇なりというくらいだ。ひょっとしたら死者がよみがえることもあるのかもしれない。
でも、それは無期限のわけがない。ならば僕はあかりが喜ぶことを全力でしようと思った。
もう、後悔なんてしたくない。
泣きぬれて毎日を過ごすのもイヤだ。夢でもなんでもいい。僕は今確かに救われている。
だから、僕はこの奇跡を大切にしようと決めた。
そう思うと少しだけ気分が晴れやかになった。この数日僕はずっとふさぎ込んでいたからだ。ずっと泣いていた。思い出の中で生きて行こうとも思った。もう、こんな事起きないとも思っていた。
「じゃあ、行きたいところがあるんだ。今度一緒に海を見に行こう。浜辺で」
僕たちにとって海は特別だ。
そう話し合っていた。
ただ、特別過ぎるから形にはしないでおこうといっていた。
だから、日記には最果てについては書くことがあっても、母なる海、僕たちがいつか帰る場所の海について書いたことはない。
もし、この目の前にいるのがあかりで、奇跡だとしたら、卒業まで待ちたくない。
確かに、海は少し遠出をしないといけない。だからこそ海を見たいってあかりは言っていた。日記には書いていなかったけれど、そう何度も話しをしたよね。
「そうね。・・・海ね。行きたかったの。よかった政くんが私と一緒で」
なんだろう。
ざらっとした違和感があった。
あれだけ話し合っていたはずなのに、テンションがあがっていない。
なんだろう。そう言えば、昔に読んだ本で死んだ人は色んな思いを持ち続けられないというのがあった。
いや、違う。個人という区分けがなくなっていくんだ。自分と他人の境界線があやふやになる。死んだことがないからわからないけれど、それは本当の事なのかもしれない。
僕は今どんな表情をしているのだろう。そう思ったのはあかりが僕の表情を見て変な顔をしているからだ。
「何か僕の顔についている?変かな?」
あかりでなかったらこの目の下の傷を見ているのがわかる。でも、僕らにとってこれは証みたいなものなんだ。
「ううん。何もおかしくないよ。海だったら朝早くに出かけないとね。でも、この季節だと海には入れないね」
泳ぐだけが海に行く理由じゃない。海から見える景色が良いんだ。テトラポットと海を眺めているだけでもいいんだ。
ただ、陸じゃない、まっすぐに広がる海を見たいんだ。だって、僕たちはいつだって閉塞感の中で生きているんだから。
そう話していたはずだろう。
それに、元々見に行く予定だったのも3月だ。泳ぐためじゃない。僕たちはその場で、そのまままだ寒い海の前で佇み、そして、最果てを目指すんだ。それが僕たちの約束だろう。
「うん、そこに海があればいいんだよ。僕たちはそう言っていたものね」
そう言ったらあかりが笑顔で「覚えてくれていたんだ。うれしい」って言ってきた。
僕はその笑顔を見ているだけで少しうれしくなった。問題ない。自分にそう言い聞かせていた。
水族館は混んでいた。
だから僕らはいつも以上に体をくっつけていた。肌から暖かさが伝わってくる。
いつもの暖かさ。僕が知っているあかりだ。
「ねえ、ニモがいるよ」
あかりがそう言って指差したところにイソギンチャクに隠れているカクレクマノミがいた。
そう言えば、あかりはニモが好きだった。確かぬいぐるみも持っていたはずだ。その表情は記憶の中のあかりと当たり前だが瓜二つだ。
はしゃいでいるあかりを見ていて僕は当たり前のことを忘れていた。そう、あかりは死んでいるのだ。
これは奇跡にちがいない。僕はそう思うことにした。
けれど、いつまでもこんな奇跡は続かない。一瞬あかりが輝いて見えた。いや、世界が輝いている。
違う。わかっている。世界は輝いてなんていない。
「どうしたの?なんで泣いているの?」
あかりにそう言われて僕は認めていた。こんなの苦しいだけじゃないか。わかっている。また失うことの怖さに。
「残酷なことをしないでほしい。なあ、わかっているだよ。こんな夢みたいな、奇跡みたいなことが起こるなんて。もう、いいよ。ひなた」
そう、目の前にいるのはあかりにそっくりなひなただ。
当たり前のことだ。そう考えるのがだって普通だろう。それに、あの時だってそうだ。だから、あんなことになったんだ。そうだろう。
「ひなた。お前はあの愁斗を選んだんだろう。こんな事もしないでくれ」
そう言った目の前にいるひなたは首を横に振った。
「違うよ。私はあかりよ。信じて」
僕はその場で泣き崩れてしまった。
もう、嘘でも本当でもいいと思った。いや、その表情はあかりそのものだ。こんな穏やかな笑顔をひなたがしたことを見たことがない。
「わかった。信じる」
僕はあかりの足を抱きしめながらそう言った。
けれど、その後に僕は知ったんだ。もっと深い闇を。
そして、決定的なズレを。間違いを。
「ありがとう。だって、私たちはいつだって一緒でしょう。どこに行ったって。そう、世界に果てというものがあって、そこまでたどり着いたとしても一緒にいよう」
世界の果て。
その最果ての話しは何度もしている。その最果てを僕たちはこの世とあの世の境目と話していた。
目の前にいるのがあかりだとしたら僕も一緒にその場所に来てほしいということなのだろうか。
でも、僕は思った。あかりはそんなことを望むなんて思えない。あかりなら僕に生きろというのだと思っていた。
でも、本当にそうなのだろうか。小説では美談として書かれている。
今の僕の状況をあかりが見てそれでも「生きて」というだろうか。泣き崩れ、生きる意味を見失っている僕に。
この世界の果ての果てまで行って、誰も踏み入れていない世界。
その場所に降り立って、一歩踏み出したら、そこはどんな世界なのだろう。
誰も知らない世界。
誰にも知られることのない世界。
そこはもうこの世ではないのかもしれない。
この世とあの世をつなぐ場所。
僕をその場所に連れて行ってくれるのだろうか。僕はあかりにこう言った。
「じゃあ、連れて行って。その世界の最果てまで」
僕のそのセリフにあかりはこう言った。
「うん、一緒に行こうね。でも、もう少しだけこうしていたい。」
あかりは僕を優しく包み込んでくれた。
なぜだが僕にはあかりから伝わってくるはずのあたたかさを感じることができずにいた。




