~藤山政(1)~
世界から一瞬で音が消えるということがあることを初めて知った。
ぱーんという音がした後に無音になるように、どこかで音がするのかもしれないけれど、耳に音が届かない感じだ。
そう、まるでプールの中で音を聴いているみたいだ。
いや、実際音はずっと鳴っているのだろう。がやがやという音が、誰かが小声で話している音が、机や椅子が動く音。鼻をすする音。
だが、まるで世界から一人だけどこか知らない場所に放り出されたみたい、いや、薄い膜が体の周りにまとわりついて外界から強制的に遮断されたみたいに感じたのだ。
もう、この世界に僕の居場所がないのだと言われたみたいに。
そう、この言葉が僕のすべてを、音を、光りを一瞬で奪ったんだ。
「昨日、事故で新田あかりが死んだ」
新田あかり。
彼女は僕の幼馴染だ。彼女を含め子供の時は4人でよく遊んでいた。僕はその言葉を聞いて世界が終わったと思った。
実際に世界は終わっていない。僕が何を思おうとも世界は変わらずに動いている。
それはわかっている。
こんなことを思うのは彼女の「新田あかり」が死んだということがすべてだ。
それもわかっている。
けれど、僕の世界は、その言葉で僕の積み上げてきたこの人生を音も立てずに崩すに十分なんだ。
いや、世界が壊れたのではない。僕だけがその世界の動きの外に放り出されたのだ。
そして、世界はそんな僕をまったく気にせずに動き出していく。
一人の人間が世界の流れ乗り切れなくなっても何の影響もない。そう、新田あかりが死んだ事も関係なく世界は進む。
僕は教室の中でクラスメイトの言葉を耳にして茫然とすることしかできなかったのだ。
僕とあかりは付き合っていた。
といっても、交換日記をして、放課後に駄菓子屋に寄ったりマックによったりするくらいだ。ピュアな付き合いだ。
あかりは黒いふわっとした髪をして、少しとろんとした瞳をした女の子だ。いつもかわいらしい服装を着ている。
彼女が僕を選んでくれて、僕も彼女を選んだ。二人ぼっちなのかもしれない。それでも僕はいいと思った。
この世界は僕とあかりだけが特別なのだ。例え何があったとしても壊れることはない世界。
そう信じていた。
僕は色々あって、学校にあまりなじめていない。
一番はこの目の下にある傷のせいだ。
薄くなったといってもまだまだ目立つ。この傷と目つきの悪さのせいで怖がられているのだ。
それに、もう一つ。入学式の時にちょっとした不運があった。
この傷と目つきの悪さ。そしてちょっと背が高いことから僕は周囲から、いや、ある特定の人種から目立つらしい。
目に付くらしい。
悪目立ちするらしい。
そのため入学式早々僕は変な連中に声をかけられた。だが、無視をした。この手とつるむことはしない。
今までこの手の中心に「アイツ」がいたからだ。
だが、高校になってその束縛、いや、呪縛から解き放されたと思っていた。
「アイツ」は確かに幼馴染の一人だ。
いや、だったが正解だ。
この怪我も「アイツ」のせいなのだ。わかっている。僕は恨んでいるんだ。
この傷がなかったら、あの出来事がなかったら僕はこんなにも世界から隔離をされなかったはずだ。
まるで、僕だけが違う世界に閉じ込められているような、どうしようもない近いのに遠い距離を感じなくてもすんだはずだ。
でも、それを大きな声で言うことができない。そう、この傷の事は触れられない。
あの時、誰もがそう決めたんだ。皆でそう決めたんだ。いつの間にか決まっていたんだ。それがわかっているから僕はただ、下を向いて歯を食いしばるだけだ。
誰も僕のつらさをわかってくれない。そしてわかってもらうための努力も声をあげることもできない。
高校になって元凶の「アイツ」と別れられて少しは落ち着くと思っていた。だが、違った。
いないと思っていた「アイツ」が居たのだ。そして、気が付いたらまたやってしまったんだ。
不良で周りから怖がられている「アイツ」、そう加地愁斗とケンカをしてしまったのだ。
しかも、この高校に来ているなんて思ってもみなかった。だからびっくりしたのだ。この高校はこの近郊では学力が高い方だ。
だから「アイツ」がいないと思っていた。不意打ちだった。そしてケンカになった。
ケンカと言っても殴ったり蹴ったりじゃない。
愁斗は金髪だ。
そして背も同じくらい高い。そんな愁斗とまず口ケンカをする。おかげで僕も「アイツ」と同じ不良だと思われたのだ。
ただ、僕はイヤだったのだ。愁斗の横にはいつも彼女が「新田ひなた」がいることが。
ひなたはそう、あかりと双子だ。一卵性双生児だ。黙っていればまったく見分けがつかない。
でも、ひなたはいつも元気いっぱいではしゃぎまわっている。そして、あかりは静かでおしとやかだ。
学校にいると制服だから一瞬見分けがつかない時もある。けれど、雰囲気が、空気が違うのだ。
そして、ひなたは愁斗とつきあっている。
いつからだろう。この二人が付き合ったのは。昔はそう4人で一緒だったのに。
きっかけはこの怪我だったのかもしれない。そう、怪我をして入院をして、自宅で安静が続いた。
しばらくして公園に行くとそこにはひなたと愁斗が二人仲良く話していた。
そう、入院した時も、自宅療養していた時も見舞いに、遊びにきてくれたのはあかりだけだった。その間にあの二人は仲良くなっていたのだ。
あかりは知り合った当時から読書が好きだった。
家の外で遊ぶより家の中で遊ぶのが好きな子だった。だから、僕と一緒に家の中にいても退屈もせず、いつも本を読んでいた。
「今日は何の本を読んでいるの?」
小学3年生の僕はまだ読書というものがあまりわかっていなかった。ただ、目の下にある傷が少しだけ目も傷つけてしまっていることから長いこと眼帯をしていた。
だから、なかなか距離感がつかめないのだ。だから今でも人との距離感がつかめずにいるのかもしれない。
いいわけだ。
わかっている。
でも、何かにいいわけをしたくなるんだ。思いをどこにも誰にもぶつけることも伝えることもできないのだから。
目のこともあり、テレビゲームは禁止だった。
そして両親が僕に進めたのは本だった。古い小説。でも、あかりも同じ本を持っているということだった。
だから一緒に読むことにした。ただ、あかりの方が読むのが早い。それにも関わらず、同じ本を読み返す。
「今は星の王子様を読んでいるわ」
「それ、昨日も読んでいなかった?」
「うん、もう一度読みたかったから」
あかりは一歩一歩ゆっくり前に進みたがる。
そして、進んだとしてもまた振り返って同じ道を確かめる。そうやってゆっくり咀嚼をして物事を飲み込んでいく。
僕もその考えにいつの間にか染まっていた。急がず、ゆっくり進む。傷が治っても片目の視力だけが落ちた。だから、左目だけコンタクトをしている。
「子供の怪我ですから、気を使わないでください」
母親がそう言っていた。だが、気にしていないわけじゃない。
見栄だ。
母親にあるのは見栄と周りからの評価だけだ。物わかりのある奥さんというのが母親のステータスなのだ。
だが、それは他人が居る時だけ。他人が居なくなった途端人がかわる。
「なんであんたはこんな手がかかるのかしら。もう、あの子と遊んじゃダメだからね。
本当治療費だってばかにならないんだから。
あんたは男の子だから傷があっても気にならないでしょう。
そんなキレイに治すための治療費はうちにはないからね」
そう言われた。親と言うのは理不尽だ。
だから目の怪我が治って眼帯が取れてもなかなか公園に遊びに行かせてもらえなかった。
だからわからなかったんだ。
世界が毎日ゆっくり動いていることに。
そして、その動きに気が付かず、取り残されているということに。
気が付くとひなたと愁斗、僕とあかりという二人に別れていた。
お互いに周りにいる友達も変わって行った。
愁斗とひなたは外で遊び、僕は傷のせいか少し教室で壁を感じた。
「なんだか怖い顔」
「あの目つきヤバくない」
「あれ、サツジンハンだよ。近づいたら俺らも傷つけられるぞ」
「どこかの戦場帰りだって。危険よね」
意味のわからない事を言われていた。いつも聞こえている。
だが、何も言えなかった。
この傷は愁斗がつけたはずなのに、あの場にいた誰もが「あのこと」に何も言わないのだ。
そんな僕の横にはいつもあかりが居てくれた。
クラスからどれだけ何を言われてもあかりは「えへへ」と笑ってすべてを聞き流していた。
「あかり、怖くないの?」
「何が?政ちゃんは怖くないよ。いい人だもの」
そう言って小学校、中学校と一緒に過ごしてきた。
そして、高校受験。この地区は学校がそこまで多くない。遠くまで通わせてもらえないため僕は必然的に家から近い高校を受験した。
その高校はこの地区でも学力は高い方だ。
だからあかりと毎日勉強をした。問題を解く時もあかりは同じ問題を2回する。
「だって、前回解けたのはたまたまかもしれないじゃない。だから2回するの。それに間違えた問題をやり直すのは重要だよ。
それに、正解した問題だって、たまたまだったかもしれない。だから2回するの。
それに、2回やって、次も同じ問題を間違えるってことは理解していないことだもん」
ゆっくりかもしれない。でも、このゆっくりが心地よかった。
おかげで僕とあかりは同じ高校に入学できた。
「やったね」
お互いに喜び合った。でも、不思議だったのだ。
学力の高いはずのこの高校にひなたと愁斗も入学したのだ。
愁斗によりそっているひなた。その様子を見ると胸が居たくなる。なぜかはわからないがダメなんだ。
君はそんなとこにいちゃいけないんだと言いたくなる。
気が付いたら違う言葉を言っていた。
「どうしてお前がここに居るんだよ」
「はあ?いちゃ悪いかよ」
そう、入学式でのやり取りはこうだ。
ひなたがこの高校にいるのはわかる。あかりが勉強を教えていると言っていたからだ。
外見は似ているが中身が違う二人。
ひなたの行動は派手だが、髪を染めたりはしない。不思議とあかりとひなたは同じ髪型でいる。
だから二人は遠くから見ると見分けがつかない。本当に双子なのだとわかる。
「だって、私たちは同じがいいから」
ふいにあかりに聞いたらこう返ってきた。
確かに僕もあかりにそっくりで、でも、全然違うひなたのことは気になっていた。顔が似ている、いや、同じに見えるからなのかもしれない。
ふいに見るとあかりなのかひなたなのかわからない時がある。
ただ、動きを見ていると二人の違いがわかるんだ。だからということじゃない。あかりが交通事故で死んだからじゃない。
僕は気が付いたら新田ひなたという、似ているけれどあかりとは違う彼女を追いかけてしまっていたのだ。
そう、それはどうしようもない出来事だったのかもしれない。
けれど、もっと僕を縛り付けるものがこれから出てきたんだ。そう、僕はまだ何も知らなかったんだ。知らな過ぎたんだ。




