~プロローグ~
吹き付ける風が頬をなぞっていく。
冷たいはずのその風は体をさあっと流れて行く。けれど、体が火照っているためかそれほど冷たく感じなかった。
この公園を何度歩いたのかわからない。ゆっくり歩く。土の感触がざくざくっと体を伝わってくる。
普段ならそんなことを感じることなんてない。今だけは特別なのだ。全身の感覚が研ぎ澄まされているのがわかる。
そしてこの手も。この手の先には彼女の手がつながっている。むにっと柔らかいその手が。
黒い髪。すこしウェーブがかかっているその髪はつややかだ。少しだけ髪を切った彼女はやはり活動的に見える。
公園ははるか頭上にある誘蛾灯がジジジと光り、その上を月がほんのりとした明かりで、公園を、彼女を照らしている。
その緩やかな光りのおかげで周りが見えている。そう、この雰囲気が普段と違うように見せてくれているのだ。そう思いたかった。
ほのかに薄暗いその中で、彼女の顔をふと、覗き込みたくなった。彼女の顔なんて何度も見ているのに、たまにはじめて見たような表情をたまにするのだ。
いや、そもそもきちんと彼女の顔を今までちゃんと見てきていたのだろうか。それすらも自信がない。
「どうしたの?」
そう言った彼女の顔はなんだかいたずらっ子のような表情をしている。八重歯が少し目立つ。
それがチャームポイントだ。そういえば、こういう表情で笑うんだったな。どうしてかわからないけれど、懐かしく思った。
「なんでもないよ」
そう言って、笑った。考えたって何もはじまらない。いや、何がはじまっていて、何が終わっているのかわからないんだ。
すでに、すべてが終わっていると言われても不思議ではないし、まだ、何も始まっていないと言われても納得できる。
だが、世界なんてそんなものだろう。知らないうちに何かがはじまり、そして知らないうちに勝手に終わっていく。
だからなんだって言うんだ。受け止めるってさっき決めただろう。全てを。また、風がさあっと吹いてくる。
うっすらとした月明かりの下に見える彼女を見てやはりかわいいと思った。
「いい笑顔したね」
そう言って彼女は手を離して少し前に走り出した。この手を離したらもう彼女を捕まえられないのではと不安になる。
たった少しの距離。
でも、その少しの距離が絶望的に遠く感じる。捕まえていたい。
いや、今まで捕まえていたことなんてなかったかも知れない。そう、わかっていた事なんて限られているのだから。
彼女について知っていることも。知っていたと思っていたことも。
「なんだよ、笑顔なんて何度も見ているだろう。幼馴染なんだから。それに」
恋人だろう。
そう言いそうになった。恋人と思っているのはこっちだけなのかも知れない。いや、さっき世界が壊れるような思いをしたばかりだ。色んなことに自信がない。彼女が言う。
「笑顔って、誰かに見てもらってはじめて笑顔なんだよ。
誰もいない世界で笑っていたってそれは笑顔なのか無表情なのか、そこに意味なんてないでしょう。
そう、笑顔は誰かに見てもらって初めて意味があるんだよ。そんなこともわからないの?」
意味不明だ。
だが、彼女の状況から考えるとそう言いたくなるのも間違いじゃないのかも知れない。
彼女は少し走り出す。追いかけなかったら、このまますっと消えてしまうかもと思ってしまう。
幻のような存在。それが彼女だ。追いかけると、噴水の前で彼女は空を見上げていた。彼女がこっちを向いてこう言ってきた。
「ねえ、もし途中で途切れた物語を手にしたらどうする?もやもやする?それとも作家を捜しに行く?
私なら、続きを書くわ。だって、それは私の望むように世界を変えられるのだから。
でも、世界なんて変わってくれない。だから私は変わるの。でも、私が変わることを世界が許してくれない。ものすごい勢いで私をどこかにつれていこうとする。
ねえ、お願い。私を戻れない所に連れて行って。世界の最果てまで。その最果てで更に一歩踏み出すの。
そこはもう誰もたどり着いていない世界。誰も踏み固めていない真っ新な雪の上みたなの。
でね、そこから一歩踏み出すの。その先はあの世かもしれないけれどね。でも、それでもいいの。ねえ、私を連れて行って。もしくは、あの時話していたあの世界に」
まっすぐにそう見つめられた。
その透き通る瞳にすとんと吸い込まれそうになって、彼女をどこかに連れて行ってあげたかった。
世界の最果て。
それはずっと前から話していたことでもある。でも、これから彼女に告げないといけないセリフがある。
それは、ある意味戻れない所に彼女をつれていくことにつながるのかもしれない。
この数日うすうすと気が付いていたのにずっと言えなかった言葉だ。
それに、本当に世界の最果てと言うものがあるのなら今この立っている場所がそうなのかもしれない。
そして、ここから踏み出さないといけない。
それはある意味ではこの世とは違う世界に連れて行く事かもしれない。彼女だけじゃなくすべてを。
でも、もう決めたんだ。だからこそ君に伝えよう。この上なく優しくて、そして残酷なこの言葉を。もう世界はこのままではいられないんだから。




