第十三話 彼女たちの物語。薔薇の真実・破
ロザリンドと名乗る彼女は酷薄な微笑みを張り付けたまま、謡うように語りだした。
その王国の人々には先をも知れぬ幽暗な諦念が立ち込めていた。
それは紅王と呼び恐れられる王の圧政が故。
彼の王は己が玉座に座るためだけに、王家に連なる血筋の全てを滅ぼした。
そうして玉座に紅王が着いて以降、国は急速に腐敗していった。
日々重くなる税、貴族の機嫌一つで手折られる命……。
――国を訪れた吟遊詩人が吟った一節。
「絞られる赤が王をより鮮やかに染め、我らの灯火は埃よりも軽く舞う」
そんな国に、けれど転機が訪れた。
在位二十年目にしてお生まれになった御子が、その十五年後、成人を迎えるや否や王を弑逆。
瞬く間に玉座を我が物にした王子は、自らの名をサンドリヨンと変え民へと言葉を投げた。
「これからは私は数多くの灰を被ることになるだろう。父を殺したこと、今日まで臣民を苦しませてしまったこと……。今日まで犯してきた罪と、これから犯す罪。私は多くの灰を被る。これは私の誓いだ。これから先、どのような困難が待ち受けているかはわからない。それでも、先頭に立ち、その役割を追うべきは国王だ。私はその全てから逃げることなく遂行すると誓おう!」
悪しき習慣と化していたものが改められていった。
税が見直され、人々は飢えや寒さに震えることはなくなった。
先王を迎合していた貴族は粛清され、人々は己の灯火が摘まれる恐怖から解放された。
国は驚くべき早さで良くなっていった。立ち込めていた暗雲は、気付けば吹き飛んでいた。俯いていた人々は顔を空を仰ぎ見ることの素晴らしさを思い出した。
そうしてまた幾ばくかの時が過ぎる。
王には三人の御子が居た。
一人は王と后の血を色濃く継いだ勇ましき剣の王子。
一人は幼い時分より才覚を示した賢しき陽向の王子。
一人は后の美貌をも越える美しさと声で諸人を癒す月光の姫。
そこに、新たにもう一人。女児が生まれようとして居た。
それは王と后の愛の証だった。結晶であった。
世継ぎは既に第二王子と決まっていたが、それでも、それは確かに愛されるために、望まれて生まれてきた。
……その、筈だった。
生まれた女児の髪は赤く、また他の三人の子とは異なり莫大な魔力を有していた。
その魔力は取り上げた助産師を狂乱へと堕とし、祝福されるべき誕生は血に染まった。
それは、その場に居合わせた全ての者に紅王の再誕を思わせた。
赤い髪。赤い誕生。そして彼の王を彷彿とさせる人の身に余る魔力。
恐れた王と后は居合わせた全ての者に箝口令を敷いた。
四人目の御子が人々の前に姿を表す数は極端に少なかった。
それでも、歳を重ねる毎に磨きのかかる美貌は人々に強烈に焼き付いた。
いつしか、四人目の子は薔薇姫と呼ばれるようになっていた。
まるで、その赤が鮮血ではなく、薔薇の如くあって欲しいと願うように。
王は姫に数多くの有名な術師を教師として付けた。
王は考えたのだ。幼い時分よりしっかりと己の力について理解し制御できれば、先王のようにはならないと。
けれど、結果は芳しくなかった。
ある術師は言う「姫君には才能がお在りにならない」。
ある術師は言う「姫君の潜在能力は高すぎて、自分如きでは」
言い方は異なれど教師として接した全ての者が匙を投げた。
そうして時間だけが流れていった。
せめて己の力について誤ることがないようにと、王は薔薇姫に厳しく接した。
驕ることがないように。
傲ることがないように。
それはきっと王なりの愛だったのかもしれない。
けれど、幼い薔薇姫にそれが理解できる筈がなかった。
薔薇姫は勉強を続けるだけの毎日と、厳しく躾られるだけの毎日に、次第に心を軋ませた。
そして――
薔薇姫がその身に宿る莫大な魔力を最初に使ったのは十歳の誕生日の日。
その時なにがあったのか、どうしてそうなったのか。
ともあれ薔薇姫は二つの魔法を使った。
それは寂しさから自分を守る魔法。
心を許せる“誰か”が居なかった彼女は己の内に共有者にして守護者を生み、己の感じる世界から“辛いこと”を取り除き歪んだ世界像を映すように。
「それが、お前か」
「はい。ローゼリカの望みから生まれた、彼女と常に共に在り、決して裏切らず、全てを共有できる者。それが私です」
頷いたロザリンドの表情には終始変化がない。
ともすれば人形のようだと形容したくなるが、それは全くの見当違いだろう。
笑みとは、本来は威嚇なのだと言う話を耳にしたことがある。その真偽の程はわからないが、もしそうならば、彼女は俺すらも警戒しているのだと理解できる。
ロザリンドは彼女が言うようにローゼリカの為にだけ在るのだろう。故にこそ、ロザリンドはローゼリカ以外の全てを信用などしていない。
口数と表情から察するに、最初の出逢い。あの時のローザはローゼリカではなくロザリンドなのだろう。彼女にとっての俺は帝国より強大で、けれど無知な怪物。あの場で阿ったのはそうすることで危険を僅かでも減らし、ローゼリカを守るため。
「……世界像を歪める、とは具体的にどういうことだ?」
「簡単に申し上げるのならば、自分自身にかけた強力な催眠です。ローザリカは“辛いこと”を取り除けば悲しくなくなると考えたのです」
「それは……」
「そうです。楽しいと感じれるようになる。そう思えれば、考えることが出来ればまだ幸いでした。ですが、当時の彼女にそんな考えは……いいえ。概念は在りません。彼女の中にあるのは、辛いか悲しいかだけ。辛いから悲しいと考えた彼女は、だから辛くなければ大丈夫だと思ってしまった。
そうして、彼女の見る、感じる世界の全てからは彼女が感じる“辛いこと”が欠落しました。
けれどそれは酷い欺瞞です。辛いという感情が閉めていた場所に空白が生まれれば、今度はそこに諦念という新たな色が台頭するだけ。
唯一幸いだったのは、軋んでいたローゼリカの心はそれで奇跡的に砕けることはなかったということだけ」
……それは本当に幸いだったのか。何もかもを諦めることが?
バカな。そう言って否定してやりたいが、あらゆる艱難辛苦を乗り越えてしまった俺にそれを言う資格はないだろう。それは、出来る者の傲慢だ。他者を慮ることの出来ない愚行だ。
肯定も否定もせず沈黙を返す俺に、ロザリンドは何も言わない。ただ、続きを語るのみ。
「それでもどうしようもないことがありました。
それが、帝国兵に追い詰められたあの時。御身に救ってもらった場面です」
あー、あの時か。起き抜けだったからな……。正直救ってもらったとか言われても実感がまるでない。て言うか何をしたんだ俺。
と、そこで一つ引っ掛かることが。
「話を遮ってすまんな。莫大な魔力を有しているのなら、それでどうにかできなかったのか?」
「……出来ません。ローゼリカの魔力は大きすぎる上に異質過ぎて、既存の方法では扱えないのです。それこそ、内側に向けて使うのが精々……。あるいは、異なる法則によるものであれば……」
そう言って彼女は俺を見つめる。
どうやらその異なる法則とやらが、俺を起こし喚び出したものに該当するようだ。
「辛い日々の中、次いで諦念の日々。それでもそこには恐怖は無かった。だからローゼリカは初めて感じた強烈な死の予感に恐怖して、御身を喚び出すことができたのでしょう」
その後は知っての通りです。と言葉を締める。
うーむ。正直まるでこの先の展望が見えんな。
とりあえず気になったことを訊いてみるか。
「大体わかった。それで、お前とローゼリカは二重人格――完全に別の意識なのか?」
「別であり、同一である。と言えるでしょう。今のようにローゼリカの意識が自閉している状況では私が表に出ますが、普段は二人一緒です。主導権をローゼリカに、私はそれを見守るだけ。時折、あの娘が私に判断を問うこともあります」
なんだそれは? 二重人格や多重人格の話は耳にしたことがるが、それらとは大分違うらしい。本当に別人が自分の意識上に居るということか? 特殊ケース過ぎてさっぱりだな。
今はまだ実態を暴いてどうこうする気などは特になく、本当に気になっただけの問いなのでそういうものとして一先ずは置いておく。
本題に入る前のジャブみたいなもんだしな。
「なるほどな。それで、なんでローゼリカは今引っ込んでるんだ?」
「ああ、申し訳在りません。その事を説明し忘れていました」
特に慌てるでもなく、たおやかな仕種でそう宣う。
「幻日――太陽と謳われるだけのことはあるということでしょか。あの大狼の魔眼は真実を暴く効果があったようです。まさしく白日の下に晒すという言葉のままに。それによって、ローゼリカが諦念で塗り固め、目を逸らし続けた全てを正しくあの娘に再認識させたのです」
遅れて申し訳ないです。




