第十一話 余韻
戦闘の余熱を吐き出すように、肺から深く長い息を吐き出す。
得るものが多い戦いではあった。
少し己を省みる必要性が有ることも認めるに至った。
けれど、まぁ。それよりも。
か、身体がクッソ痛い……。
横腹から脚から、顔や鬣に隠れた首筋以外のそこかしこから、これでもかと血が流れている。黄金色だった体色が今や赤黒く汚れ見る影もない。
よく見ると右前肢とか肉が刮げている。ただでさえ武器の類いを通さない頑健さを強化していたにも関わらず、これだけのことを為す。
これが、この世界の最強クラスか。
思うことはあるが、とりあえず今は元の姿に戻って回復した方が良いだろうか……。
なんとなく、竜の姿になれば傷は完治すると思うんだが、その後にネメアーの獅子よりも弱い姿になるとヤバい気もする。
――傷を負ったという事実は如何ともし難い。
だが、竜の姿は巨体であり、またその肉体性能は隔絶的だ。ネメアーの獅子の肉体性能とは較べるまでもない。故に、その傷は竜の身体には掠り傷未満の瑕疵でしかない。
しかし、ネメアーの獅子よりも劣る性能の身体では傷は相応に加算されて現れる。その肉体が同様の攻撃を受けた場合の傷として。
根拠はない。ただ、そんな気がするという勘だ。今まで傷など受けたことがないのでどうなるかはわからない。
だが、竜に成ってから今まで勘に頼ってきた俺だ。魔法の扱い方なども勘のままに使ってきたのだ。そしてそれに裏切られたことがないのも事実なのである。
俺はこの直感を勘として処理してきたが、それが実は勘ではなかったら?
――アジ・ダハーカという竜がいる。ゾロアスター教に於ける最強の敵役だ。俺がリスペクトするドラゴンの上位に食い込む存在である。
彼のドラゴンは千の魔法を扱うとされるほどに博識だ。
俺は“竜とは”を考えるとき、俺の知る限り総ての竜を考える。勿論それぞれ別個に違うものとして考えているが、【竜】というカテゴリーで思考する際は一纏めだ。これは俺にとってどれか、ではなく、どれもが竜であるからだ。
もしもこの考えを下地に俺の竜としての存在が組まれているのなら、俺自信がしっかりと認識できていないだけでこの直感も単なる勘ではなく、俺の知らない、けれど俺に搭載された知識のサルベージによるものなのではないか?
そう考えれば色々なことに説明が付く気がする。
そんな風に思考の海に沈み込んでいく間際で、俺の意識は浮上することになった。
「――なんというか、すごいな」
イヴェールだ。
「マーナガルムは、と言うか上位の魔物は存在そのものが魔力と結び付きが強く、その肉体性能は他を容易に圧倒すると言う。私自身、本物の上位の魔物を見るのはこれが三度目だ。その中でもマーナガルムはまさしく最強と言うに相応しい存在だった。特に奴の身体が輝きだした時などその魔力の圧力に眩暈がしたほどだ」
イヴェールは興奮冷めやらぬという様に、まるで熱に浮かされるように、あるいは酔っぱらってでもいるかのように、口早感想を吐露し続けている。
「あの分身体は見ていたところでは構成魔力の密度を瞬時に変転することで接触の可否を図っていたのか……? いや、それならば説明が着かない場面が……」
と思ったら今度は口許に手を当ててぶつぶつと思考の海にダイブし始めた。
「おいこら。今さらしれっと出てきて、労いの一つもないのか」
「…………ん? ああ、そう言えば君も君だ。なんだあの巨体の怪物は!? あれが君の正体なのか! だとしたらどういうことだ! ベヘモスもそうだが、あのような存在を私は知らないぞ! ましてやあの巨体! あんなものがどうして存在できる!? 理不尽も大概にしておけ!」
なんかいきなりめっちゃ怒鳴られとるんじゃが。なんでや。
て言うか俺がこんなにボロッボロな原因の幾らかはお前にもあるんだからな?
そもそも最初の話ではお前が森の主に悟られない程に強力な陰行が可能だということだったではないか。
それがどうだ、蓋を開ければばっちり見つかっているではないか。
いやまぁ、確かに? 俺という存在の正体を問うことに夢中になっていた辺りは俺のせいなのかもしれないが…………ん? てことはなんだ、自業自得なのか? んなバカな。
直前にしていた自身の考察をあっさり翻すような己の阿呆さに頭を抱えずにおれない。これ本当にアジ・ダハーカ先輩の叡知宿ってる? と。
これ以上の思考はどんどんドツボに嵌まりそうな気がした俺は、思考を棄却するように、半ば八つ当たり気味に怒鳴り返す。
「ええい、五月蝿い! 傷に染みるから騒ぐな! それよりも、ローザはどうした?」
「む。ああ、そうだ。そうだった、私としたことが……。それがだな――」
「ディー様っ!」
何かを言いかけたイヴェールを押し退けて、ローザが喜色満面に駆け付け抱きついてきた――って、いっつぁああ! そこ傷がっ! 傷がぁっ!
「ふンっ、ぬぐっ! ロ、ローザよ、もう大丈夫なのか?」
痛みに喚くというダサさの極致めいた無様を晒さないように全力で痛みに耐えつつ、加えて余裕そうな声色まで繕って問いかける俺。奴の魔眼のせいでなんか酷いことになってたが、奴を倒したことで術が切れて正常に戻ったとかか?
いや、それも大事だが、だ。俺の血で汚れるのも厭わぬ程に抱きついてくるのは良いけども、君の抱きついてるそこ、マーナガルムに抉られた横っ腹でね? ちょっと離れようか。マジで痛い。本当に、マジで。
「はいっ! ご心配をお掛けしました。しかし、もう大丈夫ですわ! 嗚呼、しかし御身のお心を煩わせてしまったわたくしを、御身の前で醜態を晒したわたくしをお許しください」
んん? なにこのテンション? いやもうイヴェールっていう第三者が居る前でのその態度のことはいいよ。正体バレてるし。てかバラしたし。
それよりも普段の控え目で物静かなお前は何処に行った。恐怖とか命の危機とかを脱したことで、反動的に躁状態にでもなったか?
――……いや、いやまて。この状態、以前にもなかったか?
疑問に思い、血塗れの俺に抱き付いたせいで服が赤黒く汚れたローザを見る。
俺が見つめることに首を傾げる様に、どこか普段の彼女とは違う違和感を覚える。
「ローザ……。いや、違う……のか? む?」
口から漏れた疑念を言葉にする途中で、そっと俺の口に彼女の人差し指が添えられる。
「さすがですわ。けれどそのことは後程。今、あの娘は眠っております。今は記憶の整合中です。弱いあの娘には世界像を崩す魔法が不可欠。けれど、あの犬はあの娘のそれを暴いてしまった。あのままでは、あの娘の心が壊れてしまう。だから、もう少しお待ちください」
俺の耳にそんな自己完結した言葉を囁いた彼女は、そのままなに食わぬ仕種で俺から離れて後ろに下がっていく。
どうやら、一難去ってまた一難というやつらしい。
――ほら、こういう時こそ出番だぞ我が直感。
しかし、幾ら待てども直感が働くことはなく。
仕方なく彼女の言う通り、今は待つしかないようだ。
俺はため息を吐きながら、とりあえず目先の目的を果たすべくイヴェールに声をかけた。
お待たせしました。
この話の以降、やや物語は加速予定。(予定)
更新は一週間以内に。




