第一話 覚醒は戦慄と共に
夢を見ていた。
ここに至る以前の夢だ。
もう、どれ程昔のことだったか覚えてはいないけれど、それでも、うん。忘れることはきっとないのだろうと確信している。そんな思い出。
ああ、しかし。俺はいったいどれくらいの間寝ていたのか。どうにも頭が重い。て言うか身体全体がバッキバキな気がするんじゃが。
グッと首を伸ばせば、固くなっていた筋がほぐれるような小気味の良い音と供に、バキバキガラガラと岩が崩れるような音が響く。
が、まぁそれくらいは割りとよくある。気にしない気にしない。
続いて四肢に力を込め、翼を大きく広げて二度三度と空気を空打つ。この時もやっぱり破砕音的なものが聞こえたが、うん、よくあるよくある。
なんたってあれだ。俺、竜だしね。めっちゃデカい竜であるからして、そりゃ周囲をろくすっぽ気にもせずにドラゴニックストレッチをすれば物も壊れる。加えて、記憶が確かなら、寝床に選んだのは良い感じの大山の中だ。野晒しで寝るよりかはほら、やっぱり屋根がある場所のが良いじゃない? 寝てる時に雨ざらしとか飛行生物の糞の爆撃に見舞われるのはさすがに、ねぇ?
そんなわけで飛び回って探しに探し抜いたこの巨体がすっぽり入る丁度良い山。そこの中腹辺りまでをこう、良い案配で爆砕して即席の洞窟を造り、やれやれどっこいしょと身を丸めたのが最後の記憶だ。
そんな場所で首伸ばしたり羽ばたいたりすれば、そりゃあ洞窟が崩れるもする。その結果空が見えても何も不思議は……ん?
いやまておかしい。さすがに完全崩落して空が見えるまでにはならんだろう。ていうかそんなことになってれば生き埋め間違いなしである。まぁ、その程度でどうこうはならないが、それにしたってこんな悠長にしていられないはずだ。
ふむ。と、首を巡らし周囲に意識を向ければ。
「何処だ?」
山じゃない。まずは一目瞭然な景色を見てそう思う。
周囲一体は完全な平地であり、その上には建造物が見える。石造りや木造のそれらを見て、いつのまに文明が――知的生命体が誕生したのかと愕然とすること暫し。
え、うそ。ちょっとまって。いや、だってほら。寝る前に存在した生命体って、精々が虫とかそういうのばっかりじゃなかった? いやそうだって。え、なんだこれ。地球の歴史を参考にするに、俺ってば何億年寝てたことになるの? いやいや、いくらダイナミックなドラゴンボディになったからって、そんな駑級のダイナミックスリープかまさんでも。
て言うかあかん。これ完全にあかんやつや。
一気に血の気が引く。
この世界に竜として転生するにあたり、世界を程好く運営するように言われていたのを思い出す。例えば空を飛ぶことで世界の空気とマナを撹拌したり、地を歩くことで大地を踏み固め、そういった出来立てほやほやの世界をきちんと運営しないといけなかったのである。
いまだにどういうことかよくわかってないが、それでも寝過ごして良いことでないのは流石に理解できる。
やっべぇどうしよう、と思い悩むものの。即座に一旦それは棚上げしておく。
過ぎた事を悩むのはあとだ。今は現状把握が第一。知的生命体が生まれたとしてどんなタイプなのか。どこまでの文明を築いているのか。確認することは山盛りである。
と、あれこれ考えていると足元から何やらか細い音が聞こえた。
虫にしてはしっかりとした音であり、動物にしてはやけにしっかりと意味を伴う感じのする音だ。
なんぞと下を向けば、
「あのー、もしもーし! 聞こえませんかー? けほっけほっ。……うーん、これだけ大声で呼び掛けても無反応ということは、完全に聞こえていないっぽい? あ、それとも人語がわからないとか? うー、どうすれば……」
小さい人間がぴょんこぴょんこ跳ねながら何かを言っていた。と思えば、咳き込み、ややをして頭を抱えだした。
どうやらこちらへと何やらアプローチを図っている様子。ここで無下にするのもちょっとだけ可哀想だ。そう思い、姿勢を低くし心持ち顔を近づけてみる。流石に鼻先程度の大きさしかない人間の声を聞くには少しでも近づかないと聞き取れない。
「すまない、無視していたわけではないのだ」
ちょっと意識して威厳がある風な声色と喋り方をしてみる。ほら、やっぱ恐れられるべきドラゴンとしてはそれに相応しい物言いとかあるじゃない。様式的に。
と、話しかけてから気づく。あれ、言葉って通じるのかしら?
そんな疑問は杞憂だったようで、突然反応があったことにビックリした様子でこちらを見る。あー、やっぱ咆哮にしか聞こえないのかな。と思うもすぐに違うとわかった。驚愕も一瞬、すぐに喜色満面に言葉を紡ぐ。
「まぁ! ちゃんと意思疏通ができるのですね! 色々悩んでしまいましたけれど、問題無いようでなによりですわ。こほん。えっと、先ほどは助けて頂きありがとうございました。危うく帝国兵に捕まる所でしたが、御身のお陰で王家の血を絶やすことも、虜囚の辱しめを受けることも免れました」
そう言って感謝を表してくるのだが、こちらとしてはなんのことやら。帝国だとか王家だとかも勿論、助けたって何よ? まったく覚えがないんじゃが。
とは言えここでキョトンとするようでは恐るべき威厳ある竜とは言えない。かと言ってなんのことかと訊ねるというのも間の抜けた話だ。
そう考えた俺は黙って先を促すようにじっと彼女を見つめるに留める。
今となっては朧気な記憶の断片だが、こう、威圧感のある目で黙って見つめられると、別に怒られているわけでもないのに何か話さなければならないような気にさせられていたように思う。
「わたくしの名はローザ。もはやご覧の通りに国も滅びた今、ただのローザです。わたくしが召喚したとは言え、救って頂いた事実には酬いねばならないでしょう。しかし、わたくしには差し出せるものがこの身以外にありません。とは言え、命を救って頂いたお礼に命を差し出すというのもまたおかしな話。ですので、ご提案があるのです」
うぅむ。なんとも舌の回る娘だなぁ。
ご覧の通り、と言われた街並みを先ほどとは違い、心持ちちゃんと見てみる。
砕けた石畳。焼け崩れた家々。無意識にシャットアウトしていたのか、血の臭いもする。戦争でもあったのかな?
意識を再び小さな人間――ローザと名乗った少女へと向ける。
ん? て言うかこの娘、今なんか召喚とか言ってなかったか?
「わたくしは御身のように強大で神々しい存在を寡聞にして存じ上げません。ですが、その威容から察するにさぞ高位の存在であるとお見受けします。そのようなお方をわたくしが如き卑小の身が畏れ多くもお呼びしてしまった事実、そしてそれに応えていただき我が身を救って頂いた御恩。それらを返す意味でも、わたくしを御身のお側に仕えさせて頂きたいのです」
えらく遠回しで冗長な言いようだなぁ。えーと、つまりまとめると差し出せる対価が無いから、従者にしろと。
少女を見る。名前の通りに薔薇のように美しく長い髪。くりっとした大きな薄氷色の瞳。白磁の、という形容詞の見本めいた白い肌。目鼻立ちも整っており、確かにこんな美少女を従えるというのは男の征服欲を満たすことだろう。
けどなぁ、俺、竜だし。ついでに言うと雄か雌かもわからんし。いやまぁ意識的には今も昔もずっと俺のまま、つまりは男/雄のつもりだが。それを考慮しても、そもそも俺には元から異性に対する欲が無いんだよなぁ。だからといって同性は勘弁だが。
何と言うか、子供の頃に竜――ドラゴンという存在に魅了されてからというもの、ずぅっと憧れ続けての現在なのだ。ただそれだけを目標に、ただそれだけを考えて、ただそれだけを想い続けた俺は、だからなのか、思えばここまでの永い旅路でも一度とて伴侶を求めなかった。まぁ、だから余計に道程が遠くなったというのは置いといて。
そんな俺に、いや、そんな俺だからこそ、余計に「どうしろと?」っていう思いが強い。
そもそも、ローザを人間の平均身長と仮定した場合、その大きさは俺の目玉と同等かどうかというような大きさだ。そんな小さなものが俺の回りをうろちょろするのは、正直に言って人間が蟻に気を使う程にしんどいことになるのは目に見えている。
だからってつっぱねるのも躊躇われる。立ち振舞いを見るに、ローザは高貴な身分なのだろう。先の発言を鑑みるに王族。そんな者を放り出すのは、知った今となっては寝覚めが悪い。どう考えたってロクな事にならない。
加えて、対価を求めないというのも不味い気がする。これに味をしめて事ある毎に便利屋のように扱われたら堪らない。あと、俺が想う竜的にもそんな安売りみたいなことは赦されない。
じゃあどうするかって言うと、良案があるわけでもなく。
仕方ない。話を伸ばして考えるか。
とりあえず、
「ーー我を召喚したいう話だが、どうやったのだ?」
「それは……」
先ほどまでの舌鋒の滑らかさはどこへやら、ローザは初めて言い淀んだ。言い難いことなのだろうか。
急かして焦らせたり怖がらせたりするのは良くないだろう。と言うかシンキングタイムを稼ぐための話題振りだ。時間がかかるのは歓迎だったり。
そんな風に胸裡でせこいことを考えること暫し。考えが纏まったのか、ローザは再び口を開いた。
「実は、わからないのです」
「わからない?」
「はい。帝国兵に追い詰められたわたくしは、ただ願っただけなのです。『死にたくない』と。強く、強く。どうしようもなくて、それでも諦めることだけはしたくなくて、それでも願い、想うことだけしか出来なくて……。そうして気が付けば巨大な魔方陣が現れ、目を刺すような極光を放ったのち、目を開ければ御身がおられました」
「ほう……」
語るローザの様子はそれまでの何処か芝居がかった気丈さと言うか雰囲気はなく、感情の乗った切実さが垣間見えた。
それもそうだろう。よくよく見れば、恐らくローザは齢十を幾つか数えた程度だ。そんな少女が武器を手にした屈強な兵隊に囲まれれば恐怖も感じるだろう。プライドか意地か知らないが、今の今まで気丈に振る舞えたことが既におかしいのだ。それも、俺のような巨大な竜を前にしてとなればなおさらに。
――とまぁそんなことは一先ず脇に置いてだな。
うん。わからん。わからんが、この世界で魔法が認知されているのは理解した。でなければ魔方陣なんて単語そうそう出ないだろうし、マナの存在事態は把握していたし。
けど、それだけだな。
て言うか足らん。シンキングタイムが足りない。ええい、これだけデカいのだから相応に脳ミソをデカいだろうに。なんで良案の一つも思い付かんのだ!
「貴様の死にたくないという願いは叶ったわけだ。それで? それが叶った今、貴様には他に願いはないのか?」
「ほか、ですか?」
「うむ。貴様はこの国の王族なのだろう? なれば復讐なりなんなり、今の状況へと追いやられた怨みを抱くものではないのか?」
「ありえません」
即答?
「この国が帝国に敗れ蹂躙されたのは遺憾ではありますが、帝国は元より敵国。隙を見せたこの国の落ち度でしょう。わたくしは政には関われませんでしたが、それでも、前王はともかく、父は、王は愚かではなかった。それでも貴族は私腹を肥やし、民は疲弊していた。その結果、民は帝国を招き入れ、この結果を望んだ。なればそれは王家の落ち度で、民の選択です。わたくし個人が帝国に復讐を望み、仮にそれが叶ってこの有り様を帝国民に強いるのは違う。
それに――」
そこで言葉を区切り、こちらを見つめるローザの瞳に思わず広角が上がるのに気づいた。
「わたくし、これで晴れて自由ですもの」
嗚呼。成る程。これはーー