第十二話 優しいよ。甘かぁないが。
寝台が一つ。テーブルと椅子が一組。それだけのシンプル内装ながら手入れは行き届いているようで目立った汚れや傷みなども見受けられない。中々良い部屋だった。
出入り口の脇に一つ扉があり、ローザに言って開けさせてみると中には水洗トイレとユニットバスがあった。
…………。いや、おかしくね?
時代考証だとかなんとか、色々疑問やツッコミは尽きないが、ローザが平然と有って当然のような様子を見せているのでツッコめない。処変わればとも言うし、ここはそういう世界なのだと強引に納得することにする。……釈然としないが。
ギシッ、と。ローザが寝台に腰を降ろすのに合わせて俺もローザの束縛から脱出する。猫特有の軽やかさを無駄に発揮して無音着地。十点!
さて。まだまだローザにはこの世界について色々と教えて貰わねばならないのだが、それは一先ず置いておいて。ちょっと話しておかないことがある。
「さて。ローザよ、実はオマエに言っておかねばならないことがある」
そう切り出すと、脱力状態で気を休めていたっぽい様子から背筋を正すローザ。変なところで育ちの良さが表れているが、別にそんなに固くなる必要はないのだよ。
「そう身構えるな。ちょっとした警告のようなものだ。我輩の本来の姿は既に知り得ているように、あの真竜たる巨体だ。それを今は諸々の事情を考慮して、こんな愛くるしい姿になっているわけだが……。実はな、この姿だと我輩は本来のチカラの九割程が使えない」
俺の突然の告白に愕然としているっぽいローザ。うん、ごめんね。言おうかどうしようか迷ったけど、あの店主の話を聞いて言っておかないといけないと思ったのだ。加えて言うと、九割どころではないのだが……これは黙っていよう。メモリがメートル刻みの物差しでミリを測るようなそういう話だし。
本来の姿の時と同様のチカラを振るえるのならば、俺は凡そ万能と言っても過言ではないだろう。勿論何もかもを成した訳ではないから、真の意味で万能ではないかもしれないが、それでもこれ迄何かをしようとして、それに対して無理だとかそういうネガティブな思いを抱いたことはない。
そんな俺が常に傍に居ると言うことは、究極的に何か不足の事態が起きても問題が無いと言うことになる。
俺が殆ど万能であることをローザにはまだ語っていないが、それでも強大な存在が傍に居ると言う事実は油断やゆとりと言う精神的な隙を作ることになりかねない。それが意識的か無意識的かはともかく。
これから先何があるかわからない以上、そういう油断は最低限無くしておくべきだろう。
無論、俺は何が立ち塞がろうともローザを万全にサポートし守護する気でいるが、それが必ずしも叶う場面ばかりだと思い上がるのは、それこそ油断だ。
故に。これはローザに注意喚起を促すと共に、俺が再認識するための一種の儀式だ。
「あれだけの巨体をこのサイズに維持し続けるのは思っていたより難儀でな、チカラの大部分を変身の維持に喰われているのが現状だ。
とは言え、この状態でもオマエへの魔法経由点としては機能しているし、ギルドでの模擬戦のようにある程度の魔法行使は可能だ。だが、昨夜のモンスターを一掃したような火力は出ないし、肉体的な強度も見た目相応にしかない。今の我輩の状態で何もしなければ、オマエでも十分に我輩を倒せるだろう。と言えばどれだけ弱体化しているか想像が容易いかな?」
ローザに抱き枕にされている時に翼がポッキーしたり、抱き抱えられている状態から脱せられないのが良い証拠だ。
「とは言え、だ。それを理由にオマエとの契約を反古にする気はない。オマエを守護するというあれだ。だが、万全ではないのだと言うことだけは覚えておいてほしい。
つまり、何が言いたいかと言うとだ、なっ」
姿勢正しく俺の言葉を真剣に聞いているローザの膝へジャンプ。ボディープレスのような格好でダイブする。
「ーーひきゅぅ!」
「やっぱり筋肉痛か。
つまりだな。無理はするな。疲れたら疲れたと言え。無理なら無理と言え。これまではどうか知らんが、これからは身体が資本だ。オマエの望んだ自由とはそういうものだ」
可愛らしくも珍妙な悲鳴を上げて悶えるローザからさっと床に降り立つ。
おかしいと思っていたのだ。ギルドでの模擬戦。模擬戦とは言え、恐らくは初めてだろう戦闘行為とは言えあそこまで消耗するのは不自然だ。
何故なら、途中でダウンしたと言え。彼女は城から逃げ出し、半日程の間意識を保ち続け、その後一キロ程度とは言え碌に整備もされていない道を歩いくことが出来る程度のタフさはあったのだから。
けれどもし、それが彼女の平時のパフォーマンスでなければ? 様々なことが立て続けに重なり、脳内麻薬とかで興奮状態にあり疲労感に鈍くなっていただけであれば?
それが解けた時に一気に襲いかかってくるだろう。
例えば、深い睡眠状態とか。
例えば、筋肉痛とか。
そういう何かしらのカタチで。
それでも彼女は何を思ってかそれを押し隠し、そうと悟らせないように無理をして、きっと痛む脚を庇いながら模擬戦に臨んだのだろう。
「とりあえず、オマエはもっと自分の身体を労りなさい。無理をするのは現状に慣れてからだ。それまでは我輩がきっちりサポートしてやるから、頼れ。それも契約の内だ」
「……」
「返事は?」
「……ご迷惑では、ありませんか?」
「迷惑だったらそう言う。おんぶにだっこな状態は流石に見逃せないからな。そう言う時はきちっと言うさ」
「……がんばります」
「違うぞ。頑張るなとは言わんが、今必要な言葉はそれではない」
「……えっと…………、ご迷惑をおかけします」
「ハァ。オマエさんは本当にお姫様なのか? お姫様ってのはもっとこう、ワガママだったり高飛車だったりするもんだろうに。オマエさんのその腰の低さは、まったく」
呆れる俺にローザは困ったような笑みを浮かべるだけだ。最初の時の印象とはエライ違いだな。こっちが素なのか?
「まぁ詮索はしないさ。とりあえず、今日はもう休め。それとも、夕飯を食うか? 下はあの通りだから、他を探すことになるだろうが……」
耳をすませば階下の騒音が聴こえてくる。
あんな様子では食事はできないだろう。そもそも当事者に店主が含まれる段階で誰が飯を作るのかと。
それはローザも理解しているからか、それとも色々あった疲労が故か。首を横に振った。
「いえ、もう横になります」
「そうか」
頷き、俺はテーブルに駆け登り窓から外を眺める。
既に夕日は姿を隠し、けれど街は店々の灯りで夜の暗さをはね除けている。
こんな光景は今まで何度と無く見たものだ。なのに何故だろうか。こうして見る街の様子は、俺が経験した幾生のそれとは違うように感じる。
何度も見た光景だ。
何度も観た景色だ。
けれど、初めて視る情景だ。
なんとなくおセンチな気分に浸りかけたところで。
ふと、背後から視線を感じる。
振り向けば、横になると言った筈のローザが座った体制のまま、俺のことをジッと見ていた。
ご丁寧に服はきちんと折り畳まれ寝台の脇に置かれている。寝巻きが無いから下着姿なのは仕方がないかもしれないが、こう、恥じらいとか……。いやまぁ俺は人間じゃない上に現在は愛玩動物代表の姿だから、そんなのに恥じらいもクソもないとは思うけれども。
「なんだ?」
「あの……えっと……、今日も、その……」
「……はぁ。頼れと言ったばかりだものなぁ」
何を言いたいか察してしまった俺は、仕方なくローザの方へと羽ばたいて行く。むしろ逝く。
ほっとしたような、うれしそうな、なんとも表現に困る表情を浮かべたローザは俺を優しく抱き締めながら、今度こそ横になる。
素肌に俺の毛が当たってくすぐったくはないのかね。
寝息が聞こえるようになるまで時間はかからなかった。
そして、俺の翼がまたポキポキ鳴り出すまでにも、そう時間を要さ無いのであった。




