変態と仲間たちが教えている間の話
「……五分ほど、遅かったわね」
「ごめんなさい、ベアトリクス教官」
普段からあまり人の来ない第一学舎一階の医務室に、足を運ぶ少女の姿がひとつあった。
橙に近い明るめの茶髪をサイドで赤いリボンによってまとめた小柄な少女。
制服は一年生のものだ。その制服は一年生が入学してからもう半年ほど経つというのに汚れ一つなく、まるで昨日貰ったかのような新品同然だった。
そんな女子生徒が入ってきたことに対し、医務室の担当教官であるベアトリクス教官は驚きもせず接する。
「まだ薬、飲んでないわよね?」
「はい」
少女の顔は暗い。髪の色だけがやけに明るく見えるのは、彼女の普段の表情と今の表情がよほど違うからだろう。
ベアトリクス教官は、彼女の"事情"を知っている。
「血流促進剤と筋力飽和剤、それに聴力安定剤と視力安定剤……どうして貴女は、そこまでして彼の傍にいたいの?」
薬品が並べられてある棚からいくつかの錠剤を取り出すと、そこでベアトリクス教官は溜息を吐いた。
「ラントは……私がいないと、危なっかしいんです。昔からずっと、故郷でもいつも無茶ばっかりして……その度にいろんな人から注意されて。だから私が、傍にいてあげなくちゃいけないんです」
「でも、それは貴女の……」
そこまで言って、ベアトリクス教官は言葉を飲み込んだ。ラント・アルグリスという少年が、目の前の少女ミル・レイムルートという少女のために今までを過ごしてきたことは、彼女本人が一番分かっている。
「……これ、今日の分ね」
「ありがとうございます」
差し出されたいくつもの薬を、ミルはゆっくりと体内に入れ始める。
ミル・レイムルートはまだ九歳という若さだ。そんないたいけな少女が、こうして沢山の薬を飲んでいる姿を見るのは、いくら病人の世話に慣れたベアトリクス教官とは言え辛い。
何故、こんな少女がこんな残酷な運命を辿らなくてはならないのか。
ベアトリクス教官は、彼女が来るたびに、毎回いたたまれない気持ちになる。
「……ベアトリクス教官。私の身体、良くなりますか」
薬を飲んだあと、ミルがそんな事を聞いてきた。
ミルの身体を蝕んでいるのは、『ダグクレスト病』と呼ばれる、先天性の病だった。
全身を巡る血流の流れが時が止まるように急速に悪くなったり、手や足、時には臓器を動かす筋肉にまで力が入らなくなったり、あるいは目や耳が突如として見聞きできなくなっていく病気である。
様々な症状がいつどのタイミングで発症するかわからず、その発症パターンすらも、この病が見つかってから数十年、解明されていない。
病自体に掛かる条件も判明しておらず、ただ一つ言えるのは、この病気に掛かるのは"生まれつき"であるということだけ。
出生時に『ダグクレスト病』でないと診断されれば、一生掛かることはない。しかし、一度そうであると診断されてしまえば、それはもう、生まれながらにして死を宣告されているようなものだった。
そして現存する数々の病の中でも、最も解明が難しいと予測される"不治の病"だった。
「……」
ベアトリクス教官は言葉を口にすることができなかった。まがりなりにも医者の端くれである以上、患者に嘘を言うことはできない。
何か確証を得なければ、そんな重たいことを口にすることは、医者の尊厳にも関わるし、何より完治を願う患者に対しての冒涜となる。
「ごめん……なさい」
ミルの首がかくんと落ちた。彼女も分かっているのだ。自分がどれだけ重い病気に掛かっているのか。
だから、我を忘れて暴れたりもしないし、ベアトリクス教官に当たったりもしない。自暴自棄にもならない。
残り、少なく生きられる時間を、全てラントのために費やそうと考えているのだ。
完治しなくたっていい。ラントの傍にいられるなら、ミルはそれでいいと考えていた。
「……もし、私が貴女の立場なら、故郷から出ようだなんて、到底決意できないわ」
ベアトリクス教官はゆっくりと喋り始めた。
「私だったら――いえ、普通の人なら、ダグクレスト病に掛かった時点で人生の全てを諦めると思うわ。努力なんてしてもムダ。どうせ死んでしまうんだから……そう思いつめながらね」
少女の想いの強さを、ベアトリクス教官は感じていた。並外れた少年に対する恋慕が、何か別の感情となって、ミルを動かしている。
ベアトリクス教官は、目の前の小さな少女の可能性を、信じてみたいと強く願った。
ミルならば、もしかすると、あるいは、ひょっとして。
様々な感情が渦巻く中、ベアトリクス教官は言う。
「でも、貴女なら、きっと。病気になんて、負けないと思うわ」
医者の端くれは、この時初めて、医者としての尊厳を捨ててみせた。




