変態の休日
主人公は休めない。
休日とは、とても素晴らしいものである。
何時に起きようが誰に咎められることもなく、世間一般的にまずいこと以外は何をしていようが個人の自由。
ある者は王都内へ友人たちと出かけ、またある者は自宅で趣味に耽る。
その過ごし方は人それぞれで、さらにその行動は決して自分以外が軸になってはいけないと思うのだ。
思うのだが……。
「……それで、俺を休みの日に呼び出して何させる気だ?」
俺はいま、学院長室に来ていた。
目の前では、豪勢な椅子に座ったケリスが愉しげな目で見てくる。
そんな中俺は絶賛ふてくされ中だった。
……貴重な休日を消費してまで、何故俺だけこの学院長に呼び出されなくてはならんのだ。
「そんな顔をする割には素直に来てくださるのですね。
ふふ、安心してください。ここに呼んだのは何もあなただけではありませんよ」
すると、聞き覚えのある声が小さく聞こえた。
入口のドアの向こうからだ。
この声は……。
「し、失礼します」
大きなドアを両手でゆっくりと開けながら入ってきたのは、俺のルームメイト、ジェシカ・レミアウスだった。
学院長室には初めて来るのか、いつも以上にそわそわしている様子だ。
「あれ、ジェシカじゃないか」
「あ、あれ? セツヤくん、どうしてここに?」
ジェシカは俺の顔を見て驚きながら言った。
そりゃ、俺の台詞でもあるんだが。
それにしても、ケリスが彼女を呼んだってのか?
ますます意図が分からなくなってきた。
すると見知った顔を見てほっとしたのか、ジェシカの胸を撫で下ろす仕草が見えた。
だが俺と同じく、未だここに呼ばれたことに対する困惑が抜けていないようだ。
そして、
「私があなたたちをここに呼んだのは、お願いしたいことがあるからです」
困惑する俺たちを交互に見ながら、ケリスは話を始めた。
▼
▼
▼
「まったく、こんなもんを押し付けてくるとはな……」
「ま、まぁまぁ」
三十分後、俺とジェシカは学院を抜け、ダウナートの街中へと駆り出していた。
ケリスが俺たちにしてきたお願いとは、簡潔に言ってしまえば市街へのおつかいである。
しかし問題は、その量がとてつもなく多いということだった。
「学院長、すごく忙しいみたいだから仕方ないよ」
ケリスは俺たちに、「仕事で忙しい私の代わりに、今日回収するべきものを回収してきてください」と言ってきたのである。
確かにケリスの机の上には大量の書類が山のように積まれていて、そこに管理職の闇を見た気がした。
そんなものを見せられて俺は断るに断れなくて……現在に至るというわけだ。
「まあ、それはそうなんだが……」
しかし、この提案をしてくれたケリスに俺は感謝しなくてはならない。
何故なら、
(まさか、こういう形とはいえ同い年の女の子とデートできる日が来るとはな)
俺が生涯で本気で好きになった女性は義姉の瀬名ただ一人だ。
知り合いなどで「可愛い」と感じる女性はいままでにも何人かいたが、俺は元々そこまで積極的な性格じゃないため、それらの女性をデートに誘ったことなど一度も無ければ、されたこともない。
勿論瀬名とは何度も二人で出かけたことはあるが、それでも年の差というのは埋められない。
つまるところ俺は、現時点では一度も同い年の女の子とデートをしたことがないというわけだ。
よって、図らずもこんな場を提供してくれたであろう俺の第一警戒対象となっているケリスに対しても、さすがに多少の感謝をしなくてはならない。
「よし、とりあえずちゃっちゃと終わらせちまうか。まずは……」
心の中で感謝の意を述べた俺は、ケリスに渡されたおつかいの紙メモを開いた。
するとそこにはびっしりと、おつかい先の情報と丁寧にタイムスケジュールまでが箇条書きで記されていた。
どうやらこの通りに動けということらしい。
……デートついでにおつかいをこなせばいいと考えていた俺が馬鹿だった。
つーかどんだけ量あるんだよこれ。今日中に終わらなくても知らんぞ。
「あ、あはは……」
横のジェシカもこれには苦笑いである。
「はあ……受けちまった以上やるしかないか」
俺はメモを、ケリスに対する怒りとともにポケットに突っ込み、市街へと歩き出した。
▼
▼
▼
時刻は蒼かった空を茜色に染める夕方。
外で元気よく遊んでいた子供たちは帰宅し、一家の食事を任されている者は夕飯の買い出しにやって来る。
そんな中、俺とジェシカは商店街近くにある小さな公園のベンチで一休みしていた。
「やっと、終わった……」
件数にして、約五十件。時間にして、約六時間。
……結果、散々な一日だったと思う。
ケリスのタイムスケジュールに無駄はなかったが、とにかく時間が掛かった。
何といっても数が多い。一つ一つ見れば小さいものが大半だが、塵も積もればなんとやら。結果的に途中で袋をもらわなければいけない量にまで肥大していた。
回収したのは、何やらよくわからない四角い箱や丸い球体等。そのほとんどが鍛冶屋や、見るからに怪しい店主がやっている路地裏の小さな店で回収したものだ。
まったく、あの女はこれを一人で回収しようとしていたのか。
「ふふ、お疲れ様」
俺の横に座ったジェシカは、持っていた二つの紙コップの片方を差し出してきた。
それをありがたく受け取る。
「悪いな、本来なら俺が買ってやるべきなんだが」
「いいのいいの。
セツヤ君は今日一日その荷物持って動き回ってたんだから、これくらいさせて」
言って、ジェシカは手に持ったドリンクに口をつけると、「おいしい」と一言呟いた。
それを見て俺も一口いただく。
口の中に広がる酸味と甘味。それらがほどよくマッチして、一日中動いて疲れきった身体と喉を潤した。
これは、アップルジュースによく似た味だ。
「美味いな」
「あそこの露店屋さんで買ってきたの。
前に並んでた人たちが皆買って行ってたからこれにしたんだけど、すごいおいしいね」
ジェシカが指差す露店には、筋肉ムキムキでタンクトップの男が、清々しい笑顔で機械を巧みに操っている。
……人は見かけによらない。
「ふう、それにしても……ジェシカも一日歩き回って疲れただろ」
「えっ? ううん、そんなことないよ」
俺が問うと、ジェシカは手と首を交互に振り否定した。
「歩き回ってたのは俺と同じだろ、疲れてないのか?」
「う、うん!
だって、セツヤ君が私のことを考えて動いてくれてたし……」
とここまで言ったところで、ジェシカの頬はまるでリンゴのように赤らんだ。
……そんなリアクションされるとこっちまで恥ずかしくなってくるんだが。
「そ、それよりあっちに美味しそうなアイスクリーム屋さんがあったの思い出した! 私、行ってくるね!」
「え? ちょっと、おい!」
ドリンクをぐいっと飲み干したジェシカは、すごい勢いでベンチから立ち上がり走り出した。
俺は引き止めようと声を上げたが、ジェシカはそれが耳に入っていないようで、あっという間に走り去っていってしまった。
「……今日一番、デートっぽいことしてるかもな」
「――何だ、セツヤじゃないか」
俺が感慨に浸っていると、背後から急に声を掛けられた。
驚きながら振り向くと、そこにいたのは私服姿のエレカだった。
「あれ、こんなところで珍しいな、エレカ」
「それはこっちの台詞だ。何故お前がこんなところに?」
「学院長の頼みごとでちょっとな。そういうお前は?」
「夕飯の買い出しだ」
言って、買い物袋を俺に見せつけてきた。
袋にはいまにもはちきれそうなくらいの食材が押し込まれている。
……てかそれを片手で三つも持つなよ。十八歳の女子の力じゃねーだろ。
「お前、料理当番なのか」
「まあな。ルームメイト二人で交代にやっている」
胸を張って言うエレカ。
へえ、こいつ意外と家庭的なところもあるんだな。
料理を嗜む者として、いつか食べてみたいと思わなくもない。
「実は俺も料理するんだ。
とは言っても、ルームメイトの子も料理できるから交代制だけど」
「そうか、お前も……って、ちょっと待て、お前いま、"ルームメイトの子"って言ったか?」
「言ったけど…………あ」
やばい、と思った次の瞬間にはもう遅かった。
エレカの顔がみるみるうちに厳しくなっていく。
……こいつ、風紀的なことにうるさそうだもんなぁ。
そして、夕方の公園中に響く大声でこう言った。
「男であるはずのお前が何故女生徒と同じ部屋で暮らしている!?
どう考えてもおかしいだろう!」
「うわ、待て待て、落ち着けって! これには深い事情が……」
エレカはいまにも飛びついてきそうな勢いで俺に迫って来る。
すると、俺の視界の端に救世主の姿が映った。
「ちょ、ちょうど良かったジェシカ!
こいつに事情を説明してやってくれ!」
「……」
しかしジェシカはエレカをずっと見つめたままその視線を動かそうとしない。
それから歩いて俺の下にやって来ると、さっきとは随分違うトーンで言った。
「……この人は?」
「こいつは俺のパーティメンバーで、エレカって言うんだ。
ってそれよりこいつに事情を……」
俺がエレカに半分のしかかられながらも必死に説明すると、エレカは俺からすっと退き、ジェシカに直った。
「お前がセツヤのルームメイトか?
何故セツヤと同じ部屋に住んでいるのか説明してもらおうか」
言われたジェシカはエレカをまっすぐ見上げ、それから口を開いた。
「……セツヤ君は学院長に言われて私のルームメイトになったんです。私は学院長にその相談をされて合意しました。
セツヤ君は何も悪くありません」
そう言うジェシカは、まるでいつものジェシカでないようだった。
ときに初対面であるはずのエレカに対し、一切怯えることなく、それでいてまっすぐに視線を送り続けている。
「……そうか、学院長の許可も得ているのか。
それは済まなかった。この件は忘れてくれ」
そう言って、エレカは置いた買い物袋を再び持ち上げた。
……何か随分あっさりと引き下がったな。エレカはもっとこういうことに厳しいはずなんだが。
「邪魔したな、セツヤ。
では明日以降同じパーティメンバーとして改めてよろしく頼むぞ」
「お、おう……」
言うなりエレカはさっと踵を返した。
ジェシカはその背すらじっと見つめ、エレカの姿が見えなくなるまで見つめ続けていた。
そして見えなくなると、拳を固く握り締めて、俺に宣言するように言った。
「私、負けないから! 見ててねセツヤ君!」
「……?」
状況をいまいち把握していない俺をよそに、ジェシカは何度も「負けない」と呟いていた。