変態の心変わり
翌朝。
一緒に来たルームメイトのジェシカと教室の前で別れた後、俺は自分のクラスの教室に入った。
白く塗られた入口のドアを開けると、既にクラスメイトは九割ほど揃いつつあった。皆席近くの友人たちと談笑している。
俺も、教室の一番後ろの列に配置された自分の席へとまっすぐ向かった。
「おはようさん、セツヤ」
自分の席に到着すると、右手を挙げて朝の挨拶をしてくるエリックと……、
「おはよう、セツヤ」
美しく長い金髪と意思を秘めた碧い相貌が特徴的な少女――エレカがいた。
相変わらず、簡素なデザインの制服をこれでもかとくらいに着こなしている。
「おう……って、なんでお前がここにいるんだ?」
「なんだ、私がここにいては何か問題なのか?」
「いや、そういうわけじゃないが」
「私はさっきまでエリックと昨日の復習をしていただけだ」
エリックは昨日中、エレカに付き添われる形で魔術の指導を受けていた。
指導の結果、昨日行われた治癒魔術と水系魔術に関しては、初級のものだけなら何とか発動までこぎつけたようだった。
ちなみにエリックのように魔術の発動が上手くいかない生徒も当然一定数いて、その内の数名は発動まで成功しなかったらしい。それでもエリックが成功したところを見ると、エレカの人に教える手腕が覗える。
「あー、そういうことか……」
俺がちらりと目を向けると、エリックは抗議の声を上げた。
「人間誰にだって苦手なもんの一つや二つくらいあんだよ!
それにお前のその顔で言われるとさまになってるからなんか更にムカつく」
……理不尽な理由でムカつかれた。
するとエリックはこれ以上この話が続くことが嫌なのか、別の話題で空し始めた。
「コホン……それはそうとセツヤ、パーティメンバーの目星は付きそうなのか?」
「ん? まあ……少しは」
ちらりとエレカを見やる。その視線で俺の言いたいことを察したのか、エレカは口を開いた。
「そうか、まあ来るとは思っていたし、嬉しいのだが……」
エレカは申し訳なさそうに眉を垂れる。
え、まさかもう他の奴らに……? 嘘でしょ?
「つ、都合でも悪かったか?」
するとエレカの視線は、俺でもエリックでもない別のところ……エレカの席近くに固まる数人の女生徒集団へと向けられた。
視線の先にいる彼女たちの内の数人が甲高く耳に障る笑い声を上げながら談笑していて、その周囲にいる他の生徒たちは迷惑そうな顔で彼女たちを見ていた。
「もしかして、あいつらに誘われてるのか?」
俺の問いに、エレカは静かに頷いた。
……マジで? あの感じ悪い奴らとエレカが?
この堅物女があんな奴らとパーティを組むとは到底思えないのだが……。
「……何度も断りはしたんだが、どうしてもと言って聞かなくてな」
エレカは苦笑いしながらそう言ってみせた。
――でもその表情にはどこか諦めたような、自分の力だけではどうしようもできないんだと悟ったような、常に自信満々で胸を張るエレカには似合わない、確かな哀愁が見て取れた気がしたんだ。
俺はエレカのその顔を見て、この場でこれ以上追求することをやめてしまった。
「そうか……」
「だから、申し訳ないのだが……」
「い、いや! 気にしないでくれ。先客がいるなら仕方ないしな」
俺は平静を装って言った。
がしかし、内心では非常にまずいことになったと自覚してはいる。
教室の雰囲気からしても、もうこの教室内でパーティを組んでいなさそうな奴は見当たらないし、
そもそもエリックやケリスの言葉によれば、パーティというものは入学試験の際に一緒に組んだ者同士がそのまま……という話だ。
このままでは俺はボッチ確定なのである。
何とか二人、見つけ出さなくては。
「いざとなったら俺のとこに来てもいいんだぜ?
うちのギルメンはみんな俺みたいなノリのやつばっかりだからすぐ仲良くなれると思うし」
エリックのノリが他に三、四人か……昨日入れてくれ的なことを言ったけど、それを聞くとちょっと躊躇われるぞ。
まあせっかくのご好意だし、検討くらいはさせてもらおう。
「困ったら学院長の力も借りれるみたいだしな、慌てずに集めるさ」
俺がそう言うと、教室前方の入口がガラッと開けられた。
入ってきたのは、今日の午前の授業を担当する炎系魔術教官のレイト・アルステイン教官。
少しパーマが掛かった緑色の髪と大きな丸眼鏡が特徴的な、温厚そうな男性教官だ。
炎系魔術の炎といえば、熱く燃え盛るようなイメージがあるが、レイト教官はその真逆。とても炎系魔術を使うような人物には見えない。
さて、この教官はどんな授業をしてくれるのだろう。俺は、高校生三年生安城刹也として生きていた時には決して抱くことのなかった期待をして授業に臨んだのだった。
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授業が一通り終わり、放課後。
「お、終わったぁ~~……」
エリックが昨日と同じような格好で机に突っ伏していた。
そんなエリックの気持ちを表すかのように、生徒の全体的な空気も少し疲れ気味といったところだ。
「お疲れ」
俺は素直に労いの言葉をかける。
今日の授業は午前のレイト教官による炎系魔術と、午後のリンドウ教官による雷系魔術の二つで構成されていた。
確かに一日の授業の内半分は実技で結構集中力を使うが、俺はあの『解読キャンセル』によってあまり疲労していない。
しかしまだ教室に残っている他の生徒も見るに、魔術を発動するという行為は想像以上に集中力を欠如させてくるのだろう。
「早く身体を動かしてえよ~~」
上半身を机に突っ伏して、顔の下半分を腕で覆い隠しながら、くぐもった声で言うエリック。
「お前、考えるより身体動かすタイプだな」
「あたぼうよ! 男に生まれたからには考えるより先に動け、だ!」
そんなので毎日過ごしてたらいつ死ぬか分かったもんじゃないぞ。
俺が哀れみの目でエリックを見ていると、そのエリックは何かに気が付いたように突然顔を上げ、教室右前辺りを見やった。
釣られて俺も見ると、ちょうど数人の生徒が教室を出ていくところだった。
エリックより一拍遅れて見た俺は後ろ姿で二人ほど見えただけなので、制服からして教室を出ていったのは女生徒であるとは判断したものの、それが誰か定かではない。
そんな俺が視認した二人の内の一人、最近見たような気がする。
「どうした?」
「いや、エレカちゃんが朝言ってた奴らと一緒に教室出てったからさ……」
朝言ってた奴ら? ……ああ、エレカをパーティに誘ったっていう女生徒グループか。
てことは、見えたのはそのメンバーの誰かってことか。
「パーティメンバー同士で何か話でもあるんじゃないか?」
「いや、そういう雰囲気じゃなかったぞ」
まさか、と冗談のノリで言おうとしたが、エリックの表情はやたら真剣だった。
……何だ、何か良くないことでも起こるのか?
「気になるなら行ってみたらどうだ?」
「それもそうだな……よし、行くぞ!」
言うが早いか、エリックは勢いよくカバンを持って立ち上がると、そのまま走り出すかと思いきや、俺の腕を引っ掴んで教室の入口まで駆け出した。
「ちょっ俺もかよ!?」
「当たり前だろ、お前が一番エレカちゃんと親しいんだし」
いや、そもそもこれに興味があるのはお前だけでな……と言ったところでエリックの耳には全く届いておらず、そのまま引き摺られるような形で教室の外に飛び出した。
「あっ」
教室を出た先にある、左右手に伸びた廊下。
壁に沿う形で、術式が埋め込まれた電球が柱に埋め込まれて廊下を照らしている。
そんな廊下をまっすぐに進んだ先にある、二階へと続く階段。そしてそれを登るあの女性徒グループが見えた。その中には確かにエレカの姿も。
しかしその様子には異質なものを感じた。エレカを除いた五名の女生徒が、まるでエレカを取り囲むようにして階段を登っていくのだ。あれではまるで、警察に捕まって連行される犯人のようだ。
エレカの表情には険しい色が見える。……彼女たちは一体何をするつもりなのだろうか。
と、唐突に背後から野太い声が掛けられた。
「こんなところにいたか、エリック」
「げぇ、ゴーサス!」
「うおっ!」
振り向くと、目の前には身長二メートル近くはあるのではないかというくらいの大男が、まるで壁のように立っていた。
身体中ムキムキの筋肉質で、その木の幹のような腕で殴られたら軽く骨が折れそうだ。
ゴーサスと呼ばれた大男は、さらに一歩エリックに踏み込んだ。
「げ、とは何だ。リーダーが集合に遅れるとは、いい度胸だな?」
「うっわ、もう集合時間だったのか!
……悪い、遅れたことは謝る。でもいま外せない用事があってさ」
「どうせいつもの無駄に高い好奇心でいらんことに首を突っ込むつもりだろう。ダメに決まっている」
ゴーサスの厳つい顔が一層険しいものになり、エリックを強く睨みつけた。
エリックはそんなゴーサスを前にして、両手を合わせながら頼み込んでいる。遅れたことに対して全然反省の色が見られない。
その態度に、ゴーサスは再び険しい表情になった。
顔中にシワが走る。
……なんつーか、シワが多すぎて、顔がもう岩だな。ロックって感じ。
「そこを何とか!」
「ダメだと言っているだろう!」
そう言えばさっきゴーサスはエリックのことをリーダーと呼んでいたが、このゴーサスのほうがよっぽどリーダーっぽい。
つーかさっきエリック、俺のパーティメンバー俺みたいな奴ばかりだからさー、とか言ってなかったか? 早速お前とは真逆みたいな奴来ちゃったけど。
「ど、どうしても……?」
「ダ!・メ!・だ!」
何か、否定するたびにゴーサスの顔がエリックに近づいてる気がする。もうほとんど鼻と鼻くっついちゃってるよ、近すぎだよね、それ。
「く、くそぅ……」
そしてとうとうゴーサスの言葉に屈したのか、エリックが俺に向けて「あとは頼んだぜ」と言わんばかりにサムズアップしてきた。いやいや、後を頼まれても……。
諦めた様子のエリックを見たゴーサスは短く溜め息を吐き、エリックの襟首をがしっと掴んだ。
溜め息を吐いてから襟首を掴むまで無駄に綺麗だった。エリックのこの行動は日常茶飯事なんだな。ゴーサス大変そう。
「ふぅ……ようやく折れたか。さ、行くぞ。皆待ってる」
「分かった、行く行く! 行くから! この手を離して、痛いって!」
「離さんぞ。お前という奴は昔から放っておくとどこに行くか分かったもんじゃない」
「いや痛いって! 歩けるから! 自分で歩けるからぁ! 逃げないからぁ!!」
襟首をふん掴みながら運ぶゴーサス。彼の乱暴な運び方に、引き摺られながらも抗議を入れ続けるエリック。ご愁傷様だが、時間を守らない奴はどんな団体行動においても許されないものである。
こうしてエリックは、ゴーサスに引き摺られる形で階段とは逆方向の廊下の奥へと消えていった。
「さて」
と、俺はエリックを見送った後、エレカたちが階段を上がっていった方を見た。
確かここの二階には……行ったことはないが、実験室のような部屋が多数用意されていたはずだ。
「……あんな顔見せられたら、嫌な予感がして仕方ないだろうが」
最初俺はこのことについて何の興味もなかったのに、エレカのあの顔を見たら、何故だか様子を見に行かなければならない気持ちに駆られた。
顔見知りが変なグループに絡まれているから助けたいという正義感? それとも、ただ単に彼女たちが何をするつもりなのか気になるという好奇心? いずれかは分からないが、それでも俺の中に彼女たちを追いたいという感情が芽生えているのは確かだった。
そして俺は彼女たちを追いかけるため、階段へと向かった。