僕と狐と婚約者
僕が小さい頃遊びに行っていた神社には、いつも僕と同じくらいの歳の女の子がひとりいた。
夜遅くに行っても、しばらくの間行かなくても、僕がそこへ行くと、彼女は例外なく、石でできた狐の像の前に裸足で立っていた。鳥居を少し進んだところ、左右にひとつずつある狐の像のうち、右の像。
僕と目が合うと、彼女は必ずこう言った。
「おーはーよ」
僕も必ずそれに応えた。
「おーはーよ」
初めて出会った時、彼女は僕に満面の笑みで自分のことを教えてくれた。
「信じてくれないかもしれないけどー、私はきつねなのー。うふふ。それとね、きつねらしくないかもしれないけど…チョコレートが好き!」
僕は彼女の言うことは受け入れたが、信じてはいなかった。子供ながらに、「人間の姿をした狐」なんかいるはずがないと考えていたからだ。けれどやはりスカートからだらんと垂れる尻尾はそれなりに気になった。
僕はこっそり家からチョコレートを持ち出しては、彼女に渡していた。彼女は普段、神社に供えられたお稲荷さんしか食べていないという。
「へぇ〜。でもそういうのって、勝手に食べちゃダメなんじゃないの?」
「いいんだよ、だってここにあるもの全部私のものだもん!おいなりさんも、とりいも、お賽銭も」
僕は、ここが彼女の家なのだろう、彼女の家族はきっと境内に住んでいるのだろうと信じてやまなかった。
「そうなんだ。いいなあ、僕の家にもお賽銭来ないかなあ」
僕がそうぼやくと、彼女はにやにやしながら僕から受け取ったチョコレートをかじった。
「うふふ、いいでしょ。…ねえねえ、私と一緒にここに住もうよ。最近、片方のきつねが逃げ出しちゃってね。新しいきつねを探してるの」
「うーん……、僕はきつねより、仮面ライダーになりたい!」
僕は笑顔で叫んだ。…本心だった。
それ以来、神社で彼女の姿を見ることはなくなった。
この出来事を、大人になった今、ふと思い出した。
僕は、…狐にならずに済んだんだな。
正面のイスに座っている婚約者が、冬限定だというチョコレートドリンクを飲みながら不思議そうな顔をしてこちらの顔を見ている。
彼女に狐の尻尾が生えていることを、僕はまだ知らない。