遠き星で君を待つ
オレは何も悪くない、悪いのは、義母さん。総じて、オレを拾って育ててしまったアンタら夫婦に非がある。
奇声を発し追ってくる義父から逃れる為、オレは走り続けた。今ここで殺されては、あの子に逢えない。死ねない。
オレは、ずっとあの子に逢うためだけに生きてきたのだから。
オレが住む絶望の惑星は“マクディ”という。大昔は、それこそ絵に描いたような楽園が広がっていたらしい。
一説によると、空は澄んだ水色で純白の雲が浮かび、眩しい太陽が光を地上に降り注ぐ。恵みの雨が降れば七色の虹が空に橋を作り、柔らかな風が吹いて大地から緑色した美しい芽が元気に伸びるという。美味い野菜や果物、魚に肉、喉ごし爽やかな水で腹が満たされる。
けれど、ある日を境に死の大地へ変貌した。神都の者達によって蹂躙され、支配されることとなった。
太古、神の末裔である一族が、この惑星の頂点に立っていたという。彼らは、支配ではなく、ただ世界の行く末を見守っていた。絶対的な存在に、誰もが敬った。それは、『命は平等であり、差別をしてはならない』と唄われた時代の話。
ところが、その神の末裔を神都の者が惨殺したところから、狂い始めたという。神殺しを行った男は、自らを神と名乗り、一部の者達だけ肥沃の大地神都に住まわせた。
それ以外の、オレのような“生きるに値しない”者達は死の大地で懸命に這いずっている。
高い塀に囲まれ、何人たりとも侵入出来ない要塞神都・レプレア。神と崇めよと強制し、世界を掌握しているのは神・ゴルゴン七世。
最強の軍隊を所持し、歯向かう者達を見つめては容赦なくそこへ核兵器を投げ込む“神”。歯向かう者は、出来損ないの人間だそうで。そもそも最新兵器と互角に渡り合える武器などなく、多くの者が屈服した。
また、裕福という言葉は神都に住まう者の特権だそうで、今もご丁寧に偵察部隊が空を飛び交う。不用意に畑を耕し、作物を作って豊かな暮らしをしようものならば射殺される。
オレ達は、人間と認められない、人間。
細々と、この地獄で生きるしかない。ここに、果たして生きる意味があるのだろうか。
それゆえ、生活が苦しく捨てられる赤子は多い。生きていても貧困に苛まれるだけだと、産み落として置き去りにされることもあれば、貴重な食料だと食べる村もあるというし、家畜の餌となる嬰児もいる。
オレも捨て子だったが、子供が出来なかった夫婦に運良く拾われて育てられた。この時代には珍しい善人に拾われ命を繋いだオレは、幸運を手にしたのだと思った。
けれど、何処かで歯車が狂った。偽りの家族は、音を立てて脆く崩壊したのだ。
オレが十ニになった時だろうか、父は村の皆と食料を手にする為に外出していた。友達と遊んで家に帰ると、腹を空かせたオレの為に母さんはすぐに水ばかりの粥を作ってくれた、それでも腹の足しになる、馳走だ。
夢中で食べていると、ねちっこい母さんの視線に気付いた。
母さんは小柄で、少しふっくらとしていたけれど素朴で可愛い感じの人だった。優しくてあったかい、飛び切り美人ではないけれど真面目だと評判だった。
名前を呼ばれ背後から抱き締められた。首筋に唇が触れて、全身に鳥肌が立ったところまでは覚ている。
その後のことは、よく思い出せない。
気づいたら義母さんと繋がっていて、恍惚の笑みを浮かべるその人の望むままに動いた。
初めての女は、育ての親。
紫銀の珍しい艶やかな髪に、濃紫の釣り上がり気味の瞳。自慢じゃないが、オレは器量が良い。常に年頃の女達の視線を感じていたけれど、まさか義母さんの雌を揺さぶっていたとは知らなかった。
それから、義父の目を盗んで幾度も繋がった。いつの頃からか、オレを息子ではなく男と見ていたという義母さん。甘えて強請り、何度も求める。すぐに果てる父より、若いオレを選ぶ快楽に貪欲な女。
ある日、ついに父に見つかった。そりゃ疑うだろう、日に日にオレに対する義母さんの態度が変わっていたのだから。必要以上にオレに構う、触れる、しなだれる。所構わず発情しているような瞳の妻に疑念を抱くのも当然だ。
だから、出掛けるフリをしてオレ達を監視していた。
義父が出て行くと、我慢できないとすぐにオレを押し倒した義母さん。乱暴に唇を重ね、無我夢中でオレの衣服を脱がし始める。名前を呼びながら身体中に指と舌を這わせ、「愛している」と言い続けた。
オレの上に跨り、繋がろうとしていた義母さんの顔が一気に歪み、何処かへ飛んでいった。血が飛散し、オレに降りかかる。
何事かと思えば、後方に血走った瞳の父が立っていた。大きな斧を手にして、妻の首を切断したのだ。
唖然とその光景を見ていた。
脆い壁が倒れるように横に倒れていく義母さんに悲鳴を上げることなく、オレはすかさず身を翻す。近くにあった眺めのシャツを羽織り、斧を構えていた義父から逃れる為駆け出した。
そういう経緯で、逃げている。
オレは何も悪くない。
求めてきたのは義母さんで、オレは一度たりとも欲した事はなかった。確かに快楽は得た、オレを悦ばせる為か、自身の満足の為か何でもしてくれた。
そもそも、愛した女に逃げられるなんて男失格だろう。……と、父に苦言したかったが、それどころではない。義父さんの怒りの矛先は、オレに向いている。
元凶の義母さんをその手で殺しただろう? オレは被害者だ。
「待つのだ、トランシス!」
唸っていた義父さんが、ようやく人間の言葉を発した。けれど、それが最期の言葉となった。
空が光った、オレは躊躇せず全力で前方に飛んで転がる。
後方で爆音が鳴り響き、吹き飛ばされそうな風と砂埃の中、必死で蹲った。辺りが静かになるまで、動かなかった。口の中がジャリジャリするので数回唾を吐き出し、舌を動かす。チクリとして、硝子の破片でもあったのか血の味が滲んだ。
やがて静寂が訪れると、顔を持ち上げて様子を窺った。神経を研ぎ澄ませ周囲に誰もいないことを確認し、大きな溜息を吐く。
身体中の砂を払いながら、起き上がった。
「夫婦でお揃いだよ、よかったね」
目の前に、頭が吹き飛んだらしい義父さんの遺体が転がっていた。運悪く攻撃も兼ねた偵察部隊に見つかり、撃たれたらしい。
オレはやはり、運が良いのだ。
暫し茫然としていたら、周囲が闇に包まれた。
父の衣服を剥ぎ取ると、残り僅かなライターでそれを燃やし、灯りとして家に帰る。
家では、義母さんの遺体が転がっていた。疲れていたけれど、ここにあっては眠れない。だからそれを背負って義父の遺体の場所まで戻り、隣に寝かせた。
そして、二人の遺体に火をつけた。燃えていく二人を見ながら、着ていたものをその中に放り込む。辺りは暗闇だし、全裸で肌寒いが血で穢れた服など不要だ。
帰宅し、貴重な水で身体を拭いた。血の香りは、取れただろうか。
十五歳で、オレは一人きりになった。
両親は二人揃って神都のものに殺されたという話になり、『仲睦まじい夫婦だったからよかったのかもねぇ』などと噂された。真相を知ったら、あのババア達はどう思うんだろう。
一人でも、特に生活は変わらない。寧ろ気楽になった、発情した義母さんに付き合うことに疲れていたから。
オレが求めるのは、義母さんではない。
夢に出てくる緑の髪の、とびきり可愛らしい女の子。ふわりと微笑み、無邪気に駆け寄ってくる愛すべき存在。
夢というのは欲望の表れだと、以前義父が教えてくれた。
オレは、その夢の彼女を待っている。
彼女を愛している。今は夢の中の存在だけれど、間違いなく彼女は存在する。
そのうち、オレに逢いに来ることを知っている。
彼女は、絶対に来る。友達に話すと笑われるけど、確信がある。
「オレはここだよ、早くおいで」
もうすぐ、オレは十七歳らしい。
灰色の空を見上げて、彼女を捕まえるために手を伸ばす。
愛する女を抱き締める日を夢見て。
そうして、今回は間違えない。必ず最期まで、オレのものでいさせてやるんだ。
お読み戴きありがとうございました、そろそろ本編DESTINY第4章に登場するキャラでした。