「花瓶(または箒乗りの物語)その3」
「で、博士は今何処にいるの」冷えて固まった生地をテーブルの上で伸ばしながら、プリモンドはモーリィに訊いた。
「今は、人工島の下にある海底の実験室に居ます」モーリィは、両手で大きなカップを持ち、最後のココアを大事そうに飲み干した。
「そうなの、まだ元気にやっている?」
「もう元気すぎて」モーリィは、カップを持ってシンクの傍にくるとそれを自分で洗い始めた。
「あら、いいのよ」プリモンドは驚いた。
「ここに置いてくれれば洗うから」
「いいえ、何時も自分の事は自分でやりなさいって実験所の人から言われているんです。それに能力を使って洗っちゃう人もいるから、できるだけ人らしく振舞う訓練でもあるんです」
「偉いのねぇ」プリモンドは、そういう風にできればこんな辺地で隠れるようにしなくてもいいのにねと思った。
「じゃあ、ついでに型抜きを手伝ってね」プリモンドは、小さいガラスのコップを渡した。これで、こんな風に。とコップの口を生地に押し付けて丸く生地をくりぬいてみせた。
「はい」とモーリィは、同じようにひとつひとつまるい型に抜いては、横に置いた天板に乗せていった。
「さて、夕飯には何が食べたい?」と型を抜き終えて、天板をオーブンに入れるとプリモンドが訊いた。
「僕は好き嫌いがない・・・」と言おうとしてふと
「キャベツがちょっと…」と顔をしかめた。
「あらまぁ、家は何時もキャベツばかりなのにどうしましょ」
「あ、いえ」とモーリィは手を顔の前で振ってみせた。
「食べられないことはないです、ただ、実験棟で栽培しているキャベツって本当にマズくて、あれ、食い物じゃないです」とモーリィは、毎度のように出てきたキャベツの千切りを思い出して、しかめっつらをして言い訳をした。
「本当?」
「はい」
「じゃあ、うちのは本当に美味しいからね。甘いわよぉ」プリモンドの言葉にモーリィは首を傾げた
「甘い?キャベツ?」
*
「こら!そっちに行くな」とダイモンドの声が廊下で響いた。
「何かしらねぇ、掃除は終わったのかしら」とドアを開くと、プリモンドの足元をオオムカデがゆっくりと歩いてキッチンに入ってきた。
「わっ」プリモンドは目を白黒させたかと思うとその場で、へたりこんで気を失ってしまった。
「あーっ」モーリィも大声を出して、どこに逃げようと右往左往している間に、ムカデの触覚が彼の足首に触れた。
「え?」とモーリィは、雷に撃たれたようにその場に一瞬凍りつき、それからおそるおそるムカデの触覚を手で握った。ムカデはその途端動きまわるのを止めモーリィは細い触角を丁寧に握ったまま座りこんだ。
「そうなの」と彼は一人で声を出してなんども頷いた。その度ごとに、ムカデもふにゃあああと鳴いた。ダイモンドは、プリモンドを介抱しつつ、モーリィとムカデを交互に見つめた。
「ぼうず、どうした?」とダイモンドは、訊いた。
「この子、帰りたいって。でも帰れないらしい」
「子?」ダイモンドは聞き返した
「そう、まだ僕と同じ子どもだよ」
「そうかい、じゃあまだ大きくなるってことかぁ」ダイモンドは、ふうとため息をついた。
「まったく、どうなることやら」その息がプリモンドの髪にかかり、彼女はうめき声をあげて起き上がろうとした。
「どうやら姉さんは気が付いたけど、大丈夫かなあ」
「さぁ・・・」モーリィは、オオムカデの触覚を握ったままだった。
「でね、この子さ、逃げてきたんだって、なんでもうーーん宇宙の壁って何だろう?それをすりぬけてきたらしいけど、皆とはぐれたみたい」
「なんだ、私のせいじゃなかったか」ダイモンドは、姉の髪を何度が撫でながらいった。
チーンという音がして、プリモンドは目をパッチリと開けた。そして
「クッキー!!」と大声を出した。しかし、目に入ったのはムカデの触覚を掴んでいるモーリィ。
「わっ!!」と叫び様に立ち上がって杖!杖!と自分の体のあちこちを叩いた。
「落ち着いて!落ち着いて!」ダイモンドは、そっと姉の体を抱きしめた
「坊主は襲われているわけじゃない、ムカデと話しているんだ」
「何?」とダイモンドの顔を見下ろすプリモンド
「よくみて」とダイモンドが姉の目を見つめそれから少年の方を見た。
「大丈夫だよ」とモーリィは、笑みを見せて言った。ふにゃああとムカデが鳴いた。甘い香りが何時の間にかキッチンに漂っていた。
「お腹空いたってさ」とモーリィが言った。
「でも、ムカデのくせに野菜が欲しいって、変な奴」