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 それほど田舎って訳ではないけれど、この辺りには昔から狸が住み着いている。何処に巣が在るのか不明であるが、燃えるゴミの日の前夜に出されたゴミ袋を漁っている姿を僕も見かけたことがあった。また、落書きされたシャッターが連なっている商店街の中を駆け抜けているのも見たこともあった。何匹程この辺りに住んでいるのか、そして今、どの辺りに居るのかは分からない。

 そしてその当の狸なのかどうかは不明なのであるが、昔から狸囃しが新月の夜に聞こえると言う昔話が残っている。普通なら満月というところなのであるが。


 さて、聞いた話なのでどれほど昔かは分からないが、その頃のこの一帯は葦に覆われた原であったようだ。ただ、かろうじて一本道とそこから対岸に渡る一艘の渡しが往来していたので、小さな船宿があったとのことだ。その一軒に狸が良くやって来た。

 昔のことだから、その狸も人に化けていたのだそうだが、化け方が今一つ抜けていて尻尾を隠し忘れたり、手が毛むくじゃらだったりしたそうだ。そんなものだから、最初は早々に追い返していたものの、余りに間が抜けている上、妙に愛嬌もあるものだから、主人は客も居ない暇な晩に、それほど悪さもしないだろうと、一応用心に匕首を座布団の下にしのばせつつ、招き入れる事にした。

 すると、一応化ける事ができるようになるまでの年月は生きてきた獣だけに、昔の事は良く知っているし、廃れて歌う人の居ない唄まで三味に乗せて歌ったりするするものだから、主人は獣とは言え立派なものよと面白がって、この狸が訪ねて来る度に酒肴でもてなしたらしい。

 狸も狸でそもそもいい加減な性分で、やはり人を驚かせたりするのが狙いであったのだが、お酒で良い気分になるし、やれ歌え、やれ踊れなど、上手い上手いとおだてられてたものだから、化かすよりも、そうやって褒められることがとても嬉しかったらしい。そんなものだからとうとう、化かすことなど忘れてしまって、酒宴のひと時を伴に楽しんでいたとのことだ。

 その噂が、客の間から広がって、それが見たいと、遠路わざわざ来る酔狂な客まであったという。

 ただ、年月が更に経ると狸の不精は酷くなる一方でとうとう、服を着ただけで中身はそっくり狸のままという有様になった。それでも、面白がって酒宴を営んでいたが、或る夜に小便に起きた小僧が、その狸を指して「あれ、狸」とあからさまに正体を言うものだから、狸は恥ずかしさのせいなのか、早々に何処へと逃げて行ってしまったそうだ。

 それ以来、狸は来なくなったが、人と酒肴を交わらせた日々が懐かしいらしく、新月の夜になると広い葦原の何処かでかつての酒宴を思い出して唄っているのだそうだ。新月なのは姿を見られたく無いという事からなのだろう。更に年月を経る毎に歌詞も音階もずれていって今では、唄であろうとかろうじて分かる程度のものが月の無い闇夜に覆われた葦原の中から聞こえるとのことだ。その唄声の主を探しに藪の中に入ってゆくといつの間にかぽーんと飛ばされて河の中に落とされてしまうらしい。


 「もうカラオケやめたら?」と僕は新月で暇を持て余しているお月さんに言った。藪の中で近所迷惑にならないようにハンディカラオケを持って歌っているのであるが、音階どころかリズムさえ合っていないし、その上最近凝りだした洋楽は全然発音が違う有様だ。唯一の観客の僕はその声で頭痛さえ覚えた。

 「何を言うか、歌は心で歌うものだ!」お月さんは余計に熱のこもった声を張り上げた

 「だれか居るのかい?」と見回りの懐中電灯が近づくと、お月さんはちょっと近づいてきたその誰かさんをポーンと蹴り上げてしまった。

 「これからがサビなんだジャマするんじゃない」カラオケ最中のお月さんに近づくのだけは止めたほうが無難であるが、狸の正体を見たような気がした。

 ふと周りを見ると、好奇心に溢れた眼差しで、狸の観客が回りを囲っていた。せめて彼らが、この歌を真似ることだけはしませんように、と僕は願いつつお月さんの歌が終わるのを待った。


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