反物
在る梅雨の晴れ間の深夜、お昼にちょっと切ない事があって、その思いを引きづったままぼんやりと夕方から川辺で落ち込んでいた。漆黒の川面には家々やビルの窓の明かりが点々と映っていた。そこへ上から、白い反物がだらんと垂れ下がって僕の視界に入ってきた。そよ風にゆらりゆらりとたなびく以外に動きはなく、ただ、ぶら下がっているだけで、何事も起きそうにないのだが、深夜にそんなものが有るだけで不気味である事には違いない。しかし、それでも驚きもしなければ、恐怖に駆られる気にもなれ無い程に僕の心は悲しみに凍り付いていた。もし反物の先っぽが輪になっていたら、首を入れてしまったかもしれない。
そんなものだから僕の目はまるで僕の意思とは関係なさそうにその反物を見つめていた。ぼんやりと、霧の中の景色を見るように、雨の中の雨粒を見るようにだ。きっと反物は僕の目を誘っていたのだろうと思う。見てごらん、さぁこっちこっちと。こんなものに興味を示さなくても冷えた心は癒されることなんかないし、紛らわせることもできそうにもないのに。目だけは、それに好奇心を搔き立てられていたようだ。
その先は何処にあるのだろうと、その反物を目で追いながら空に向かって目線を移動させていくと、その先端は星空の中に吸い込まれでもしているかの様に、ずっと天高くまで続いていた。その遥か先端を見ようと頑張っていると七色に光る綺麗な一個の流れ星が、すーっと夜空を過ぎって行くのを目にした。願い事を忘れた束の間、いつの間にか反物は消えていた。
「ああ、あれね」僕の報告を聞きながらお月さんは、うんうん頷いた。
「土星がふんどしを洗って干していたのさ」するとあの輪っかはふんどしかい?と思いつつも部屋干しにしたままの洗濯物が目についた。
「なるほどね、この時期干す暇が無いからね」
「でも、綺麗な物を見れてよかっただろ?」お月さんは、小さくウィンクしてみせた。
綺麗な流れ星よりは、お流れ星になった恋に戻ってきて欲しいのが本音だけど。僕は小さく頷いてあげた。もし、そんな不思議なのがぶら下がっているのを見かけたら怖がらずにそっと空を仰いでみるといい、地面に涙を染み込ませているよりは、きっといい気分転換になるかもしれない。