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風光る

 その年は冬が長かった。心の冬だろうってお月さんが大笑いをしていたが、実際の冬も長かった。雪は思い出したように不意に降り積もり、僕は布団に片思いをしている始末だった。

「いるかい?」と最近ひとりのお婆ちゃんが、たまに家に遊びに来るようになった。あえて、彼女と言える女性がいるとすれば、このお婆ちゃんだ。

 たまたま、川べりの土手でぬかるみに滑って転んで怪我をしたときに僕の持っていた応急バンを貼ってあげただけなのだが、家が近所なのか時々長い世間話をしに来るようになった。

 世間話といっても、彼女がするのは昔昔の話なのでとても会話には付いてゆけないから、ひたすら僕は相づちを打つだけなのであったが、別に忙しい身上ではないので、それで困るって程ではなかった。それにしても、不思議と同じ話をしない、毎回違った話がぽんぽんと出てくるのだ。一番の問題があるとすれば、やっぱりお年寄りなので朝の結構早い時間に遊びに来ることだ。


 こうして、丁度戦時中の話を聞いている時におばあちゃんと同じ掛け声をかけてバイオリン弾きが入ってきた。彼が持っているのは三絃だったそしてお婆ちゃんを何か物色する様に細目で万遍なく見つめた。

 当然そんなことされた方は気持ちいいものでないだろうと、バイオン弾きを注意しようとしたところでいきなり「一緒にどこかに行きません?」って誘った。なんだろうと、とりあえずここは話に合わせて「彼音楽が上手なのですよ」と僕がいうとおばあちゃんは、いいねぇって頷いた。僕が「何処に行くんだい?」と訊くと「うーん、ちょっとその辺までドライブしよ」え、と僕は一瞬引いた、彼の持っている車は音楽屋とは思えないほどにスパルタンな四輪駆動だ、世間ではジープというし多少の物知りはJ54とか言う。いや、それだけならいいのだけど本人が夏に幌を取り払ってしまってから「ジープはオープンに限る」と勝手に決めてしまい冬でもオープンなのだ。本当のところは幌が付けられないほどに破損したとのことらしい。なんとか、高速道路だけは思いとどまらせて一般道だけで辿りついたのは、多少残雪の残る近隣の山の入り口だった。


 ダウンを着ていても寒いのに、おばあちゃんは赤い半纏を着込んでいるだけで、にこにこして車を降りた。

「凛とした良い空気だねぇ」彼女は、大きく息をすってみせた。

バイオリン弾きは、三絃の音を、ド、ファ、ドにあわせた。南国の楽器が未だ冬のたたずまいをしている山の麓で響いた。彼は、どんな楽器も扱うのだろうか、そしてどうしてこんな処に来たのだろうと思っていると、僕は雪の合間に緑の小さな姿をみかけた。傍によれば蕗の塔がいくつも芽を出していた。

「知らなかったけど、春が来ていたんだね」と僕はお婆さんを呼んだ

「あれまぁ」おばあさんは、すっとんきょうな声をあげた。

「これはこれは、大変だ急がないと」

何が大変なのだろうと、おもって後ろをみるとお婆さんは居なくなっていた。

「え!」僕は周りを見回したがやっぱり何処にもいない。転んでどこかに落ちたのだろうかとうろうろすると。バイオリン弾きが僕の肩を掴んだ。

「行ったのだよ」

「何処へ?」

「冬のあるところにね」

風が吹いた、冷たい風だが。その風に木々の若い緑がゆれ、陽の光が小さな緑の上で輝いた。

「風が光った」バイオリン弾きがつぶやいた。僕は、蕗の塔を摘みつつ、バイオリン弾きの説明を聞いた。

「彼女は、雪ん子・・冬とともに移動する雪の精だよ」

「子じゃないよ、お婆さんだよ」僕は訂正させようとした。

「どちらでもいいよ、そういう存在ってことさ」バイオリン弾きは、糸を押さえて音を出した。

「あるいは、昔は子として存在していたのかもなぁ冬があまり寒くなくなってから、後を継ぐ精が自然から生まれなかったからかも知れない」

「で、なんで僕の所にきたのさ」

「彼女は、毎年河べりの土手で蕗の塔を探しては春が来るのを確かめてから北に移動していたのだけど何時になっても生えないから移動も出来なかったのさ。それで、心も寒そうな君の所が妙に居心地が良かったのかもね」

「ああ、あの土手は昨年の大雨で削られてその後は新しい土で埋め立てしたからねぇ。それにしても、心が寒いのは余計だ。蕗の塔の天ぷらはお預けだな」

「さて、家に帰らねば料理はできないわけだが」バイオリン弾きは、三絃をハードケースに入れてイグニッションキーを回した。

「どうする?」

「分かったよ・・抹茶塩にするから帰り際にお茶屋さんに寄ってよ」僕は、助手席に飛び乗った。

「ねぇ、お婆さんは何処に行ったのかなぁ?」ぼくは大声でバイオリン弾きにたずねた

「ここさ」ばあさんは後ろの席で小さくなっていた。

「わしも蕗の塔を食べてから行くよ」


 結局小さな部屋は、蕗の塔を食べる連中でごったかえした。

蕗の塔のてんぷらに抹茶塩を付けてお月さんが、この香りがいいねぇ、苦味も酒飲みにはたまらんと唸ってから。春が来ているのに何時までもうろついている、雪ん子ばあさんを見つけた話をした。それでもってバイオン弾きを僕の部屋によこしたってことらしい。

 おばあさんは、もう歳だからねぇと笑いながら蓮と長芋を摺って蒸したものに海老の入った葛餡をかけたものを口にしてあちちと言った。そりゃ、雪ん子にはこんな肴は熱いに決まっているので、お婆さんが溶けてしまわないかと気になった。

 蕗の塔の一部は、蕗味噌に仕上げてあげたので、これも酒飲みにはたまらない一品バイオリン弾きは、三絃を爪弾いた。

「この苦味はたまらない、酒、酒・・」三絃を持ったら泡盛だろうにねぇと思いつつ日本酒を注いだ。

「中華街で買ってきたけど、ちょっと珍しいでしょ」と僕は台所でザーサイの醤油漬けを切って出してみた。塩漬けとは違って、まさに葉物の青に輝く春だけのもの。

「美味しいねぇ」お月さんが、ぱくついた。

「やっぱり歯ごたえはザーサイだね」といいながら勝手知ったる人の家とやらで、押入れに入れてある紹興酒をひっぱりだしてきた。


 夜も深まってきたころにお婆さんは、さて・・と言って立ち上がった。つられて僕らも立ち上がった。僕らはお婆さんを先頭にして、河川敷に出た。おばあさんが転んだ土手だ。彼女は懐からしおれた蕗の塔を出して、そっとその上に置いた。

「お月さん、お願い・・」と彼女が言うとお月さんはするすると定位置に戻って、明かりを蕗の塔に向けた。バイオリン弾きは、三絃を弾いた。南国の曲が冬をそっと遠ざけた。

 彼女は静かに、蕗の塔の傍にしゃがんで両手をあわせた。僕は静かにこれから起きることを見守った。風が吹いた。かすかに暖かい風が吹いてきた。その風に身を削られるように、彼女の輪郭がぼやけ、そして一瞬にして桜が散るように彼女の体が風花となって流れて行った。月明かりに照らされた風花が闇の中に散りながら消えて行った。


 今度こそ行ってしまったね。ぼくは、バイオリン弾きに言った。彼は頷いた。しばらくして、彼女が植えた蕗の塔の周りにはもっと沢山の蕗の塔が生えていた。これで来年は春に気が付かないということは無いだろう


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