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 虚しさは、時々僕を別な世界へと誘おうとする。今やることも、明日やることもなく、逢いたいと思う人にも事欠く、そんな思いはまるで鋭利な刃の様に心を切り刻んでしまう。この孤独の痛みに比べれば、命を失う痛みは軽いようにさえ感じる。特に夜の静けさは怖い。



 その剣は、美しかった。散らかった錬金術師の工房には、作務衣を着た彼と彼の一人だけの弟子が呆然として立っていた。錬金術師に手には一本の日本刀が握られておりそれが丁度窓から入ってきた月明かりに照らされてダマスカス刀の様な模様がくっきり柾目に浮きあがっていたのである。

「かくも、この様に美しいものができるとはなぁ」錬金術師は、ため息をついた。

「ついつい心が奪われそうですね。」弟子がうっとりとしてそれを見つめていた。

「しかし、これはあるべき者の所に無ければな」錬金術師はふんと鼻を鳴らすと、近くにあったはぎれで刀身をくるくると巻いた。

「鞘は、自分で作って貰うか」

「有るべき者とは、さぞお金もちの人なのでしょうね。」弟子もため息をついた。

「それが、全然違うわい。貧乏人もいいところだしこの刀の価値も分からない奴だよ。きちがいに刃物とは言わないが猫に小判、豚に真珠だな」

「そんな人に何で?」

「そいつが持つべき奴だからしょうがない」

「さて、行くか」と錬金術師は、外套を羽織ると工房から外に出た。町外れの雑木林の傍にある家屋の周りには風が舞っており、落ち葉が黒い影となって彼の頬を打った。くそ!と彼は、刀をくるんだ布を外套の中に隠すようにして持つと車庫に向かって歩いた。そもそも、なんで自分がこのような刀を作ろうと思い立ったのが今でも分からない。いまいましい好奇心を自分で呪った。風が激しく踊る。刀の誕生を祝っているのか、あるいは忌むべきものに対して吼えかけているのかのようだ。工房の戸口には弟子が彼の背中を見送っていた。ヘッドライトが闇を穿ち、今まで陰で蠢いていたもの達を雑木林に追いやった。「闇の住人もこの刀が気になるのか・・」彼がアクセルを踏むと舗装もされていない道をゆっくりと車が走りだした。そして、後を追うようにもう一台の車がライトを消したまま林の中からすべるようにして発進した。


 2台の車はやがて、光が満ち溢れる街中へと入って行った深夜なのに車の往来は未だ続き、歩道には客と探すストリートガールが派手な衣装で歩く男に声をかけたり止まった車のガラスをこんこんと叩いていたりしている。かとおもえば、若者達がビルの前でたむろして、肌寒い夜を騒ぎながら過ごそうとしていた。車は、街から街へ走り。そして一つの川沿いの道に止まった。


 錬金術師が僕のところに来たのは、闇夜に浮かぶ未熟なカラスウリを眺めていたときだった。

「あれ、今日は電話じゃないの?」と僕が言うと、彼はケッっと言って外套から長いものを放る様にして、投げてよこした。

それを両手で受け取るとずっしりと重い

「お前のいん鉄で作った刀だよ。」と彼は、そういって勝手に冷蔵庫を開けた。

「まったく緊張して運転してきたから喉が乾いた」と缶ビールを勝手に取り出した。プシューという音がする時には僕は、布を解いていて、いきなり刀身が現れるものだからびっくりしてしまった。

「これ、まずいですよ。法律に違反しますってばぁ」

「刃は潰してあるよ」と彼は、作務衣姿になっていた。

「それ、似合っていますよ」僕は思わず言った

「まぁな、それよりその模様を見てみろ」

「ええ、綺麗ですね。まるで虹のよう」天井の灯りの下で、まるで輝く油膜のようなものが綺麗な小波のように波っているようだった。

「これがあの、いん鉄?」

「そうだ、白熱するまで加熱して」と彼はビールをごくりと飲んだ。

「折り返し鍛錬をすること20回。それでこの模様になる。実際は、あれこれ資料をしらべてこの方法に行き当たったのだが、大正天皇に流星刀として献上された歴史もあるらしいな。」

「でもなんで、作ろうと思ったの?大変だったでしょう?」

「さぁ、古代の鉄器の一部もこれで作られたという歴史もあるしなぁ、それがもし、出来ないってなると悔しいからなそれにちと試したいこともあったのさ」


そして、ドアを叩く音がした。

「宅急便です」と声が向こうでした。僕は、そそくさとドアに向かったが錬金術師が僕の手を掴んだ。「待て」

そして大きな声で「開いているぞぉ」と彼はドアに向かって叫んだ。

そして、ドアが開くと口の周りにタオルを巻いた見るからに物騒な武器を持った二人連れが立っていた。ひとつはただの匕首であるが、もうひとつは、ウージーと呼ばれるサブマシンガンだ。

「さて、そこの作務衣のオヤジさんには、訳は分かっていると思うが・・」一人がくぐもった声をだした

「これだろう」と彼は、僕が未だ持っている刀を見た。

それから僕に向かって、「その刀に名前を与えてあげなさい」と静かに言った。

「天叢雲」と僕は伝説の剣の名前を言った。なぜそんな名前が出てきたのは分からない、しかし出てきてしまったものはしょうが無い。手に何か微妙な振動が伝わった。窓から入ってきた月の明かりがその小波たつ模様に浮かんだ。

「それは、いい名かもしれない」彼は頷いた。

「さぁ、天叢雲を取りにきなさい」と錬金術師は二人の侵入者に言った。

「どうせ鑑賞以外には役にたたない剣だ」二人の物騒な男は、武器を構えながら近づいた

「その剣を置いて後ろに下がれ」一人が言った。

僕は、その綺麗な刀を横に薙ぐように払った。二人の男がびっくりしたように後ろに飛びのく。

「あまり刺激しないように」と錬金術師が静かに言った。僕は天叢雲を畳の上において一歩下がった。

そして二人の男は、用心しながらゆっくりと僕らに近づいた。二人の物騒な武器に比べると畳の上の剣がなんという程に優美なものか。

そして、まさに剣の傍に二人の男の足が並んだときに二人の歩調にあわせるようにそれは起きた。

丁度、僕が剣を振ったあたりで二人の体が吸い込まれるように、消えていったのだ。煙が換気扇から吸い出される様に


「ふぅ」と錬金術師は、腰を畳に落とした

「これほどのものとは思わなかった」

「これは?」僕は、畳の上の剣を見た

「天叢雲だろ・・」錬金術師は言った

「空間を切るとはなぁ」空間を切るって、現実的でない言葉に僕は耳を疑った。

「何が起きたの?」

「多宇宙のどこかの宇宙に行ってしまったのさ。お前がこの刀でこの宇宙に切れ目を入れてしまい、やつらはそこに自分から入ってしまったんだ」それは、かなり危ない刀ということじゃないか?

「どうするの?これ?」

「お前さんのだ。違うか?」

「え、でもこんなの嫌だよ」

「人は誰だって重荷を背負っているんだ。お前だけじゃない。」錬金術師は、剣をそっと持ち上げて僕の手においた

「その重荷から逃れようとしても、重荷の方から必ず寄ってくるものだ。特に、お前が名をつけた以上はな」

「でも」僕は、その物騒な物にたじろいだ

「大丈夫だ」と錬金術師は僕の肩を叩いた

「俺が付いているさ。」それから立ち上がった。

「とりあえず隠しておきます」僕は言った

「その前に鞘をどうにかしてくれ、簡単なものでいいから」彼は、ふらりふらりとドアに向かった。酔いではなく疲れから足元が決まらないみたいだった。玄関で出る時に、彼はふと言った

「多分、俺はお前に生きていて欲しいのさ、不相応に重いものを持ちすぎても、何も持つ物がない時でも死は内側から蝕んでくる。だから持ち物をおまえにやっただけだ」

「・・・」僕は頷くしかなかった。時折僕の心を苛むものを知っていてそう言ったのかあるいは、この重荷のためなのかは知らないが、「いいな」彼は言った。僕は、また頷いた。


明け方に帰りついた錬金術師は、誰もいない工房でがっくりと腰を下ろした。

「もう弟子はこりごりだ」



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