水道
梅雨の時期だというのに、空に雲ひとつ無く、太陽がどっしりと空にしがみついている日々が幾日となく続いていた。
こんな有様なので、お月さんは、日々仕事をこなし空の上であちぃあちぃと悲鳴を連発しては、光の長い手を伸ばして、僕が飲もうとしていた麦茶をかっぱらって行くのも度々あった。
果たしてダムの貯水量も減り続けたので当然給水制限も起きてしまい、蛇口をひねっても出てくる水はちょろちょろって有様だ。
その日も、汗だくの態で買い物から帰り、顔でも洗おうかなとコックをひねって出て来たのは。ぐわぅぐわぅごぼっごぼっごぼっという情け無い音ばかり。
「最悪だ」僕は乾ききったシンクを見下ろしながら、ため息を付いた。じめじめするのは嫌だけど慣れ親しんだ季節らしくないのは、もっと嫌だ。しかも、汗を水で流すことさえ出来ないなんて。ごぼっごごごごごぼっ、と成り続ける水道の栓を締め様とした時に、突然その音が途絶えて一筋の水が出てきた。安堵の声を上げる暇もなくしかしそれは水の様でありながら、そうでは無いことが直ぐに分かった。
なんとその水はシンクの中で透明なゼリーのように半透明な固形状の細長い姿に変わったのだから。
こりゃまた、奇妙なものが出てきたなと思って見ていると、それはやがて、透明な蛇の形になった。その蛇は、赤い目で僕を見つつも、特に驚くような素振りをみせもせず、大きな口をあくびをする様に開けて、そして閉じる時に
「ふぅ」とため息を付いた。それから、小声で僕に言った。
「いきなりこんな処から出てきて、迷惑だと思うが、迷惑ついでに、近くの窓を開けてくれないかね?」
丁度、暑くて空気を入れ替えたかったので、僕は早々に窓を開けた。
「いやいや、すまんのぉ、こんな事初めてでな、では失礼する」
蛇は、頭を上にしてゆっくりと浮かびあがり、そして台所の窓から外に出て行った。小さい透明な蛇を目で追ってゆくと、雲ひとつない空にあがっていった。そして上昇する度にその体は膨れあがり、最後にはまるで竜のように見えた。梅雨前線がやっと現れたのはその晩のことだった。
しとしと雨が降り続き、やっと暇になったというお月さんにその話をすると、ポンとひざを打ち鳴らしてみせた。
「雨を呼ぶ龍が河で行方不明になったと聞いたのだけど、なるほど取水口に吸い込まれて働けなかったのか。この時期は一服できるはずなのに暑さで、バテるとこだったよ」
と僕の最後のビールを掠め取った。それも心地よくきんきんに冷え切った一杯。
せめて夜だけは、晴れにしてくれないものだろうか、と僕はあの竜に祈りたくなった。