野蒜
半纏を羽織り、ガラス窓を通して外を見れば灰色の重そうな雲が流れて行くのが見えた。北風に煽られ、裸になった梢が、ゆらゆらと揺れている。落ち葉やビニール袋が空に向かって駆け上がって遠くへ飛んで行く、そして朔姿のお月さんは、コタツで手酌の燗をコップで飲っていた。
しかし最近の寒さで出不精になっていたため、これと言った肴もなく、お月さんも僕も味噌を舐めて飲んでいる始末だった。
「なにか季節のものでも欲しいなぁ」お月さんは、文句を言った。
「外は風が強くて寒いよ」僕は、外の風景があまりにも荒れていそうなので、買い物でさえ行きたくなかった。「これでも十分だろ?」
「でも、味噌ばかりじゃねぇ」お月さんは、不満そうだった。
「まぁ、確かに。悪酔いしそうだけどさ、我慢も大事だよ」
「記憶に間違いがなければね」とお月さんが両手で熱燗の入ったコップを覆いながら言った。
「土手を下流に少し歩いた所に野蒜があったと思うけど」
「やたら上に居る割には、そんなものばかり良く見えるものだね。」
「まぁ暇だしね、それにちょいと…」
「なに?」
「それより、採りに行かないの?」それは、僕に行けということなのかと言うと
「他に誰が行くの?」と真顔で返事をされてしまった。
「はいはい」と重い腰をあげ、半纏を脱いで代わりにダウンジャケットを羽織り、片手に小さいスコップとレジ袋を持って外にでた。
*
外に出た瞬間に顔が冷たくなった。手袋の無い手も一気にかじかんでしまう。河の土手道は、盛り土で出来ているので温暖な季節なら、一面緑で覆い尽くされてしまうのであるが、今はどの草もロゼッタとなって冬を耐えていたり、霜枯れをしている草で覆われているので往時の勢いは何処にも感じられない。
土手の遊歩道を歩く人影が無いのは、いかに今日の気温が寒いということを示している。いつもなら重装備で犬を散歩させる人にも出会ったりするものだけど、皆寒さに閉じこもっているようだ。
枯れた木の枝では、数羽の鳥達がじっと留まっており、時折カラスが風に流されるように飛んでいった。電線が風に震え甲高い音をかき鳴らしていた。
お月さん指定の場所の地面の上では、細い緑の串の塊が弱弱しく空に伸びようとしているかのようだった。それが土手沿いに群落を作っていた。野蒜である。
その野蒜の根元にざっくりとスコップを入れて土を穿ると、その野蒜の小さく白い球根がころころと現れてきた。米粒みたいな大きさのやらパチンコ玉みたいのまでのいろいろな大きさのがある。
僕の背中を誰かが見て通り過ぎていった。わかる人には、なんで僕がこんなところで
雑草みたいのを掘っているのか分かるだろうけど、分からない人には、ただの怪しい変な人かもしれない。野蒜を少しだけ採取すると僕は、それをレジ袋に入れて意気揚々と自宅に引き上げた。
道の途中でロゼッタになったすかんぽが生えていたので赤い葉を数枚ちぎってこれもレジ袋に入れた。また、外に出てしまったついでに卵とか缶詰を買い肴の足しにすることにした。
*
部屋に戻ると採った野蒜のうち少しだけをベランダにあるプランターの仲間にいれた、そこでは水仙の球根が芽を出しつつあった。それを、見ていたお月さんが「育つといいね」と物思い気に言った。
野蒜の葉は、出汁醤油とみりん、砂糖で味付けをして卵で閉じ、球根は定石通りに汚れをとって少し湯がいてから酢味噌で和えた。
「この辛味がなんとも美味いよね」僕は、熱燗を飲みながら酢味噌和えの球根をたべた。お月さんも、黙々と卵とじと球根を口に入れては酒を飲んでいた。
「また、明日も少し採ってこようかな」と僕が言うとお月さんは、一旦だまってから
「明日は無いだろうな」と答えた。
「何で?」
「知らないのかい?明日からあそこは遊歩道の整備で刈られるのだよ、地元のくせに以外と知らないものだね、近くに工事の案内が立っていたぜ」
「そんな勿体ない」僕が窓をあけると冷たい風が入ってきた。その中で数本の野蒜の葉は小さく揺れていた。それが育ってくれたらどんなに嬉しいだろう。
「真っ白な球根は、俺の明かりの色が移りこんだものなのさ、それを俺が見逃すないだろ」
お月さんは、しみじみと野蒜の球根を食べて、酒をぐいと流し込んだ。
「季節を食べるってのは、意外と贅沢な物になったもんだ」