ろうそく
彼女は火打ち石をたたいて火花を火口に当てると、そこからわずかに灯った火から蝋燭に移しました。灯された蝋燭の明かりは、無造作に置かれた家具や道具の影をゆらめきながら床に落としました。そして灯りを避け、床に落ちた影に隠れるように逃げる異形のもの達が居ました。
小さい小指程度の鬼の様なものです。それらは、その不気味な姿に反して悪さをするものではなく、埃がもの陰で膨れ上がるように、人の意識の淀みが固まったものに過ぎませんでした。むしろ、こうしてこの部屋に閉じ込められた私の方が悪意の塊かもしれない。と彼女は考えました。
私の心は復讐の炎に焼き尽くされて、優しさの一つも残されていない。今外に出されれば生きている物は全て焼き尽くしてしまいそうだ。そう思うほどに怒りだけが心の奥底で燃え上がっていました。
故郷から遠く離れ、山奥の山間部に暮らす村人達に紛れて暮らすためには、村人らが自ら手を下したがらないことを彼女は生業としなくてなりませんでした。望まれない子の堕胎をし、口減らしのため老人を山に捨てたまに、若い男の慰みをもしました。
近年ようやくその村に、観光という名の光が当たろうとしていました。光は決して闇を弱めてくれない、むしろ闇がある事を知っているものには、今まで以上に汚く、後ろめたいものがより酷く見えることになりました。そうすれば当然闇は葬られる運命にあります。
彼女こそが彼らの闇でした。ただでさえ仲間ではないものを葬り去るのに、良心を咎めることさえ彼らにはありませんでしたから。
何か、細長い棒は無いだろうか?力を集中するには、細い棒状のものが必要でした。逃げるにも、戦うにもそれが無ければ彼らに捕まって殺されるだけだ。
蔵の重い扉が開きました。手に明るいランタンを持った老人が入ってきました。蝋燭の暗い明かりになれた目に眩しい明かりでした。
しかしその明かりに目が慣れると、広い蔵の全容が手に取るように見えました。老人の周りには、鎌を持った男達が控えておりそれはまさに力による脅威がこれから始まることを暗に示していました。
「そこの椅子に座って」老人は、顎で奥にある机と椅子を示しました。
武器を持った男達が鎌を振りかざしてじりじりと迫ります。
彼女が座ると、若い男が机にペンとノートの切れ端を置きました。白い封筒もその側に置かれました。
「色々をあると困るからあんたの字で書いて欲しくてね」老人は言いました。
「何を?」彼女は、白い便箋を見つめました
「遺書だよ」老人は、すまなそうに答えました。「あんたに居ては困る事が多いのでね」
「私が何をした?」彼女は、言葉を震わせました。
「これから村が発展するかどうかの瀬戸際なんだ」老人の声はゆっくりとしかし力強いものでした。
「出て行けばいいだろう?」彼女は、ペンを握りました。十分な長さは無いがこれなら力を集中できるかもしれない。
「ここでの事は誰にも話さない」
「そういう問題じゃないんだ。あなたは所詮私達の仲間じゃない」
「貴方達は、私の友人ではないしね」彼女はペン先に力を込め呪文を唱えました。異端の力を此所で使ったとて、この瀬戸際では今更秘密もへったくれもありません。
ろうそくの炎が消え、激しい冷気が男達を襲いました。逃げ出す男達に蔵の中から異形のもの達がしがみつきますく。闇に巣食うものたちは死に際の命が好物なので、これぞとばかりに残り少ない命を残飯漁りのように奪ってゆきました
彼女の発した冷気は谷全体を覆いました。外に出ていた者は、その場で凍てついて
倒れ、家の中に居たものも必死で羽織れるものを羽織りましたが、冷気はそれすら凍らせました。布団の中で震えながら死を迎える鼓動が大人も子供のもゆっくりと止まりました。そして、ひとつの村が死に絶えました。
ため息をひとつ尽き、彼女は蔵から出ると氷付いた者達に目も向けずに、ひっそりと死んだ家々をめぐり、金目のものと着るものを盗みました。また、流浪の旅が始まるのか・・一軒の家で死体と一夜を過ごしてから、早朝に村を出ようとしました。
その彼女の前に一人の蛙顔の男が現れました。
「こんにちわ」男は外套を羽織り、毛糸の帽子を被っていました。
彼女は、そっとペンを服のポケットに入れたままの手に握りしめました。
「おっと、魔法はなしでお願いします」男は、帽子を脱ぎ、外套の内ポケットから一つの機械を出してみせました。
「あんたは・・」彼女は、ペンをじっと握って男に向けました。
「はい、この地域の管理者をしております」蛙顔は、再び機械を元にもどした。
「まぁ、しかし村を丸ごととは凄いですな」
「通報するのか?」
「いえいえ、この際ですから。村をまるごとひとつ私達の管理下に置こうかなと思いまして駆けつけてきたのですよ。なかなか素晴らしい物件です」
「管理下?」
「そう、他の宇宙からきた旅人でも、一応戸籍とかないと不便ですからね。村まるごとの戸籍が手に入ったようなものです」
「私を監視していたのか?」
「さぁ・・どうでしょう?」蛙顔は、にっこり笑うと彼女が来た方向に向かって歩きました。そしてすれ違いさまに立ち止まると、紙の名刺を取り出して差し出した。
「あなたも、なにか身分が欲しいときは私のお店に来てくださいな」
「ふん」と彼女は名刺を受け取ると鼻でわらって村から出る道を歩き始めました。
魔女に、身分なんてあるものかい。何時でも何処でも異端だ。
それは、彼女が若い頃の事でした。結局放浪の末蛙顔の男から戸籍を貰って家を借りる羽目になったのも既に昔の事。
茶香炉から漏れる蝋燭の明かりは弱い。しかし、暗い部屋では美しく輝き続けます。そして、不安定だった過去を彼女に思い出させました。自分は異端である事に誇りと美しさを感じている。そう思う自分が感じられる。箒乗りは暗い部屋で揺らめく灯りを眺めていました。