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火打ち石

雪の斜面をバウムクーヘンのような雪まくりがころころっと転げて落ちてきました。

バイオリン弾きは、ジープを止めて眼下に広がる広大な雪景色を鳥瞰しました。幌は壊れているため冬でも野ざらし状態です。。ヒーターからは温風は出ていますが、それは周りの寒気に比べれば取るに足らないものでした。むしろ暖をとる救いとなっているのはオイルが芯まで染み込んだ綿のジャケットとその下に何枚も着込んだセータと懐炉だけでした。

 そのような有様だから、指から空気の冷たさが伝わってきます。ここまでの道は全て雪に埋もれ、彼はジープでラッセルを行うために後退と勢いを付けた前進を繰り返しつつ雪を押しのけて進んできたのでした。

 深い雪の場所では、凍える手に息を吐きかけながらスコップで道を作りました。そのうえ、左には一気に滑落しそうな崖があり、その境目は黄色いテープが巻かれた竹のポールが雪の上に顔を出しているだけなのです。それを見落とせば、彼は車とともに滑落し、きっと雪融けまで発見されることはないと思われました。


 彼は、しばらく景色を眺望したのちに車から飛び降りました。腰まで雪に埋もれましたが、彼は雪を両手でかきわけながら車の後ろに回り込み、荷台に放りこんであるスコップを手にとりました。そしてそのスコップで右側の斜面沿いに雪を掻き始めました。


 やがて出てきたのは、なんの変哲もない道祖神でした。小さい砂岩に男と女が手を取り合っている姿がかろうじて分かります。花鳥風月が移り変わる中に銭苔に覆われ、時に風雨削られたそれは、容姿はおぼろげに残っているだけでした。


 人は、何時もどこかに境界線を引きたがります。自分の周りに国の周りに、そしてこの世界と異世界の間に、道や川や橋の交わる場所は辻と呼ばれました。

 そして、この場所は正真正銘の辻ででした。異世界とこの世界の交わる場所。誰がそれに気づいたのか、ここには何もないのに道祖神が置かれたのです。

 ここで異型のもの達が出現したのを見た者でもいたのでしょうか、遠い昔から、この眺望を眺めて宇宙を渡る旅人はひと時の休憩をとっていたのでしょうか、移動機械に乗り、ひっそりと故郷の宇宙に想いを馳せていたのかも知れません。


 この特異点が使われなくなったのは、そこにつながる宇宙から訪ねる人が滅んだからだとも言われました。やがて宵闇が訪れる前に彼はジープの前にひと張りのテントを張りました。深夜ともなれば零下20度は軽く下回るので外に居ることはとても出来そうにありません。彼は、テントの前で雪を融かした湯を作り刻んだチョコレートそれに入れて飲みました。やがて青い月が頂上に登り、寒さがゆっくりと降り積もってきました。

厚い手袋をした手でさえ震えます。顔が冷たいというより痛みを感じます。もう少しと彼は心に言い聞かせました。それはきっとやってくる。

 月は更に輝きを増し、雪の上に木の陰を落としました。

 突然、それは、道祖神の周りから湧いてきました。雪のように、いやまるで雪そのものを羽にもったような白い蝶が1匹、1匹と湧いてきて回りを飛翔しはじめたのです。

「雪陰蝶・・」彼は、ぼんやりと小声でつぶやきました。そしてポケットから一対の火打ち石を取り出しました。蝶たちは、乱舞を続けては雪の中から湧いてきました。そして、彼の周りをぐるぐると回りだしました。それはまるで蝶たちが彼に何かをねだっているかのようにみえました。彼はカンカンと石と石を打ちならしました。そこから飛び出した火花を一匹の蝶がひょいと前肢で掴むとそのまま消えてしまいました。彼は、何度も石を打ち合わせ、火花を飛ばしました。その度に蝶は空気を振るわせ、音を一つ残してゆきます。たった一つの音、どの様な楽器にでさえだせないようなその音は、それだけでさえ音楽で、そしてどこか心の琴線に触れてそしてフェイドアウトしてゆきます。


 彼は何度も石を打ちつけました。そのたびに蝶は消えてゆきました。昔、たまたま出会った独りの老人は彼に託けだけをして去ってしまいました。冬のこの時期にこの場所に来て火打ち石を打ってくれと、


 蝶は、多元宇宙をまたいで飛ぶ。しかし追い払わないと蝶は増え、増え続けその惑星を永遠の冬に閉じ込めてしまうと老人は言い残したのです。

 蒼い月は沈黙したまま、道祖神を照らしていました。彼が鳴らす石の音が蝶の消える音とともに静寂の中を漂い、雪の中に染みこんでゆきました。


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