芹之栄
それは僕の目からすれば上等な芹だった。根がしっかりついているし何より新鮮だ。ただ、それを僕の家に持ってきた少女は尻尾を生やしているし鼻の横には長い4本の髭が左右に伸びていたから、どう見ても若い狸が化けそこなったとしか思えなかった。
「昼間、野川で見ていたの?」僕は、芹を眺めながら訊いた。すると少女狸はうなずいてみせた。
野川は家から離れた所にある小さな河川だが、余り人の手が入っていないので今でも周囲には多くの草花が生えているし、実を成す木も多い。特に今頃の芹なんかは、柔らかいし香りもいい、だから僕は何時ものように錆びた自転車で目的の場所まで行くと川岸まで降りて食べる分だけの芹を摘んだ。その途端いきなり上の方から女性の怒鳴り声が聞こえた。
「何をしているんですか!」
「え?」僕はあっけにとられて、声の方を見た。すると僕が止めた自転車の横で腕になにやら腕章らしいものを付けた女性が僕に向かって指を刺していた。「直ぐに出ていってください。」こうも高飛車に言われるとなにか悪いことをしたのだろうと考えざるを得ないので僕は手にした芹を置いて上に上がった。「ここで芹を採ったら駄目ですか?」僕は女性に訊いた。
「そうですとも、野川の自然を荒らさないでください」と女性は腕章を僕に見せようとしたが、良く見えなかった。いや見る気さえなかった。
「そうですか」と引き下がって自転車にまたがるとすごすごと帰ってきたのだ。
その野川の芹が僕の手の中にあった。
「ありがとう、よかったら鍋でも食べるかい?」と少女に訊くと小さくうなずいてみせた。
「じゃああと2時間くらいしたらまたおいで」少女はまたうなずいて何処かに行ってしまった。
その時は丁度ご飯が炊き上がったところだったので、僕はそれをピンポン玉くらいの大きさにまるめると、網でじんわりと焼いた。だまこ餅とか、山餅とか言われる類のものだ。それから、ごぼうを削ぎ切りにして、葱を斜に切り、芹の根はきちんと洗って根も食べることが出来るようにした上で根と葉を切り分ける。ただ切っていると、唐突に昼の記憶がまた湧き出てきた。守るだって?芹はあの小川の岸沿いに延々と生えているし、年に何回かは除草作業のため一切合財岸に生えている草はすべて刈られてしまうというのにだ。希少な種を守る為にそういう活動なら分かる、しかし本来どこにでもある物だとどうなんだろう?むしろ食べたり、遊び道具とかにしてより身近な存在にすれば、雑草とか言わずに名前も覚えるし、より自然に親しみを覚えるのじゃないものかなとなにやら怒りさえも覚えだした。
そろそろ狸が来る頃を見計らって鍋にはスーパーで買った比内鳥スープを入れて煮立てて待った。しかし時間になっても狸は来ず、獣だけに時間にはルーズなのかなと思い、一時間だけ待ってから僕は鍋に鶏肉と野菜と豆腐と放り込んだ。だまこ餅は食べる直前に入れないと煮崩れるからそれは一番最後だ。
熱燗を飲み、狸はどうしたのかなと思いながら鍋を食った。そもそも量が多いので、僕のおなかは狸の置物のようにぱんぱんに膨らんだ。それでも未だ鍋には具が残っていた。二人分としても作り過ぎたみたいだ。
翌日、どんよりとした雲が覆う中、狸はどうしたのかなと自転車で野川に向かうと途中の県道の道端に狸の死骸がつぶれたまま放置されていた。それがあの少女狸かどうかは分からなかったが、僕は一旦家に戻って昨日の残りのだまこ餅を一個だけ狸の横に添えた。雪がちらちらと舞い降りはじめた。