椰子の木
座礁した船に乗っていたのは女性一人だけでした。壊れたと言ってもバラバラなのではなくて船底に大きな穴が開いたままの状態でなんとか浜に打ち上げられたといった格好でした。
小さな無人島には、椰子の木が生い茂り彼女はしばし食べる事には困らなさそうかなと考えました。女性はスレンダーなスタイルにボロボロの服を身にまとい、そして赤くて長い縮れた髪が傾き始めた太陽の熱で焼けているように見えました。
「まったく、どうしてこうなるかなぁ」彼女は、腰に両手をあてて航行不可能になってしまった船をまるでしかりつけるように見ていました。
「完璧にここまで航海できたのに」
あと、3日もすれば目的地まで辿りつける予定でした。少なくても、星や月や磁石そして正しい筈の海図を元にして進路を決め、そして昨日にはうねりの上でぼんやりと浮かんでみえる、目的地らしい姿も見たのです。それが・・こんな島なんて知るかい・・
海図にだって載っていないし。
「さて、どうする?」
彼女は、椰子の実を振り返ってみた。他にはシュロなどが生えていました。
「カリブならどこかに、海賊が酒でも隠しているような島でもあるようなものだけど、流石にこんな太平洋のど真ん中じゃねぇ・・・先ずは船の残骸から使えそうなものでも出そうかね」
とぶつぶつと言いながら船の中から濡れた荷物を漁り始めました。
ナイフ、鍋、磁石、沢山のロープ、湿った干し肉、湿ったパン、濡れた乾燥野菜、湿った毛布。
結局は船の中のもの全部丘に上げて彼女は呆れ顔をしました。
「まぁなんだかんだと、積んだもんだ。船もいざをなれば薪にもなるだろうし。」
少しずつ陽は沈みかけていました。彼女は椰子の木に登って今宵の食事にしようとしたが、とても容易に登れるものではありません
結局、陽が暮れ諦めた時に、なぜかボトンという音とともに実が一つ落ちてきました。何かが月の前を過ぎって飛んで行ったようです。
しかし、彼女はその飛ぶものよりは、空腹の先とばかりに歓声を上げて実を掴みとると鉈を持ち出して、思い切りそれを振り上げました。
椰子の実を食べながら彼女はゆっくりと星を眺めました。どこの島かは知らないけど、まるでここが世界の中心のように思えました。椰子は、その中心でまっすぐに立って大きな葉で世界中の声を聞いているのかもしれない、実がこんなに甘いのも秘密の味なのかもねぇ、でもさ。辛党の私にはちと甘すぎるねぇ空腹には、ありがたいけどさ
熱帯の無人島は蒸し暑い、そして、何もありません。星を見るのにも飽き、考える事も飽きてくるし、船から取りだした荷物の中に一本のスピリッツもありません。それもそのはずで、当の本人が航海の最初で飲み干したのだから仕方ありません。もう少し積んで置くべきだった彼女はため息をつきました。
この耐えられない空虚な時間
この耐え難い退屈
明日には島の探検をするとしてこの長い夜はどうするんだ?
素面で寝るしかないじゃないか
翌朝、彼女は船の残骸の中から一本の長い棒を探すと、シュロの周りの繊維を鉈でこそぎ落とし、ロープでそれを棒に縛りつけて一本の箒に仕上げました。
「おー、やっぱりこれ無しではダメだねぇ、たまには、航海ってやつをやって、魔法使いの島って奴を探してみようと思ったけど、酒が無いのじゃ話にならん、・それにやっぱり私には箒が一番だしな」
彼女は、箒に跨るとなにやら呪文を唱えました。
そしてふわりと箒は浮かびあがると、太陽が昇り始めた水平線の彼方に向かって飛び去ってしまいました。
その直ぐ後で、恰幅の良い男がパンツ一丁でぜいぜいと息を切らしながらやってきました。その前を大きなオオコウモリがバサバサという音をだるそうに立てて飛んでいました。
「全く、何時も惰眠をとっているから」コウモリは、はるか上空を飛び去る箒乗りの姿を見ながら言いました。
「しかし、あいつも何でああもせっかちなんだ」
「まぁ、都会ものはそういうものだろうて」太った男は、ぜいぜいと息を荒げて残骸になった船の前でとまりました。
「そのわりには人間の乗り物かい・・まったく最近の魔法使いは何を考えているの
やら」
「まぁ、そのうちまた誰か遊びに来るさ」
コウモリは、男の上でくるくる回りながら言いました。
「今度は、何処に行くんだい?」コウモリは男に訊きました。
「さて、風のふくまま、気のむくまま」太った男が、指を一本たてるとその上に
風見鶏が現れました。
「まったく魔法使いだけが辿りつく島もこうも場所が決まらないんじゃねぇ、こっちも
忙しいったらありゃしない」
やがて風が吹き出して風見鳥が回りだしやがてふらふらと風上を指しました。
その風見鶏の周りをコウモリが回わると、まるで蜃気楼が消えてゆくように島の姿が消えてしまいました。
後には、船の残骸だけが残されて波間にぷかぷかと浮いているだけでした。