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鉄床

 厚い雲が無限に雪を落とす中、冷たい風を飲み込み一旦一息を付いて、灰色の空を見上げると男はまた足を進めました。

 男はかんじきで雪道を作りながら前を歩き、従者は一台の橇を紐で引きながらその後ろを付いて行きました。

「何をしている急げ」男は、ともすれば遅れがちになっている従者を振り向きました。

「すみません、師匠。」従者は若い男でした。フードが風が煽られ、毛糸の帽子は白い雪に覆われ眉毛からは氷柱が下がっていました。しかし、分厚い値段の張りそうなダウンジャケットを着て歩いてきたために、熱が中にこもってしまい暑さで従者は前のファスナーを大きく広げつつも「暑い…暑い…」と独りごとをこぼしていました。

 前を行く男は、従者の姿とは反対に、丈夫だが油が染みこませていある重いジャケットを羽織り、大きなパックを背中に背負っていました。男は細い目をさらに細くし、高い鷲鼻で冷たい空気を切るように進みました。



 男は後ろで足音が途絶えるたびに振り返りました。

「歩け!」と大声で怒鳴り、そして

「休むな、少しでもいいから進み続けろ」と雪に負けないように続けました。

そしてその都度、従者は、「すみません」と足元の雪を踏みました。

出来ればこんな場所にこんな季節に来たくはなかった。前を行く男は、思いました。自分だって、こんな時期には家の中で、いろいろな実験をしてのんびりと過ごしていたい。錬金術師と呼ばれるその男は、冷たい空気の中で舌打ちをしました。

 しかし、従者である弟子にあれこれ用を言いつける度に、それを放り出したりあるいは、逃げてしまったり、都合よく忘れる振りをしてしまうので、最後の機会とばかりに、ここを選んだのでした。

 もし逃げても追うまい、そしたら弟子をもう採ることはないだろうが、それはそれで仕方あるまい、俺の人を見る目がなかっただけのことだ。あるいは俺の教え方に問題があるのだろう、俺はどうやって若い者を指導したら良いのかもう分からない。錬金術師はそう思いながら、ぜいぜいと息をあげる弟子を見て思いました。


**


 二人が辿りついた廃村のほとんどの家は倒壊していました。

「ここに何があるのです?」弟子は、不満そうな声を上げました

「お前を鍛えるものさ」錬金術師は答えました。

「え!?」弟子は、橇を引く紐を雪の上に落としました。

「逃げるのか?」錬金術師は、振り向いてそして一歩だけ従者に近づきました。

「俺は追わない、去るなら今だぞ。」

「いえ」と弟子は腰を曲げると紐を雪の上から拾い上げました

「手が滑っただけです」


 二人は、家々の中でも頑丈そうなコンクリートの家の中に入りました。それでも風雪のせいであちこちにひびが入り、場所によっては、鉄筋がむき出しになっていました。それにもまして異様なのは、床が無く土間のように土の地面がむき出しになっており、中央には、大きなかまどのようなものが据えてあることでした。そしてその土の上にはゴミが散らばり、焚き火をした名残も残っていました。

「ここは?」弟子は訊きました

「鍛冶屋さ」錬金術師は答えました。

「正確にいえば、趣味で刀剣を作っていた老人の家だった。」彼は、手袋を脱ぎその手で中央にある竈のようなものを指しました。

「真ん中にあるのがタタラだがな、生憎と鉄を精錬するには、炉がもうダメになっている」

そして床に転がっている、一つの鉄の塊をつま先でぽんぽんと蹴りました。

「用があるのはこいつさ」


「なんですか?」弟子は、訊きました。

その声がわずかに震えているのは、隙間風があちこちから入ってきているのと、汗が一気に冷えてきたせいでした。

「鉄床だ。」錬金術師は、答えました。そしてがたがたを歯を鳴らし始めた弟子に笑いならが指示を出しました。

「今日は、そろそろ日が暮れそうだな、そのあたりの家から、木材を剥がして火を興すか」

弟子は、笑みをみせてそうしましょうと言いました。


***


 二人の男は、ちろちろと燃える焚き火の傍でカンズメの夕食を食べ、ウィスキーのお湯割りでさらに体を芯から温めていました。焚き火の脇には、すぐにでも寝られるように

二組のシュラフが置いてありました。

「師匠、こんな辺鄙な村の<かなとこ>にどんないわくがあると言うのですか?」

 弟子は訊きました。

「曰くがあるとすれば、この村がどこぞの落人が逃げ延びて作ったというくらいか、そして、尤もらしく、その時に復興を望んで持ち出した金がわずかだが、隠されているという程度だな、どこにでもある話しさ」錬金術師は、湯気を立てているホットウィスキーの入ったチタン製のカップを両手で覆うように持ちながらそれを口に運びました。

「大事なのはここが、辺鄙である事、そして使える鉄床があることだけさ」

「なにか作るのですか?」

「たいしたものじゃない」と彼は、じっとウィスキーを見て答えました

「夜は冷えるぞ、早く寝袋に入ることだ」

「でもまだ、7時ですよ」

「なら寝る時間だ。寒すぎて起きていてもやることはないぞ」


**


  翌日の朝は、どんよりと灰色の雲に覆われていましたが、雪はすっかり止んでいました。雪の重みで開けるのが困難な状態の引き戸を2人がかりでようやく開くと、軒先から雪が落ちてきました。

 「先ずは道を作らないとな」

錬金術師は、玄関の脇から錆びたスコップを2本持ち出して一本を弟子に渡しました。

 寒い地方でしたが雪は水分が多く、スコップにすくわれた雪はとても重いものでした

2人は無言で、玄関前の雪をかき、それから家の裏手まで道を一本作りました。

 そこには石炭が小山のように積まれていました。


**


 トテカン、トテカンと熱せられた一つの塊を弟子は大きな槌を振り上げて叩き、錬金術師は、やっとこでその塊の端を支えて小さい槌でそれを打ちました。

 外は、寒い雪の世界が広がっているというのに、2人の額には汗がにじみ、そして

あごを伝ってその汗が地面に落ちました。

 「よし」と錬金術師が言うと、弟子は大きな槌の柄に寄りかかり大きく息を継ぎました。

 塊は、石炭が赤く燃える炉の中に入れられました。

 「一体何を作るのです」弟子は、倒れそうになりながらも、必死に立ったまま問いました。

 「お前の心だ」錬金術師の顔は炎で赤く染まっていました。

 「ひょっとして、賢者の石とか?」弟子は、顔に笑みを見せて訊きました

 「そんなもの、あるものか」錬金術師は、ぶっきらぼうに答えました

 「じゃあ何です?」

 「訊いてどうする?」

 「だって、僕はあなたの弟子ですよ。教えてくれたっていいじゃないですか、あなたの知っている沢山の知識を」

 「知識が欲しいなら幾らでも教えてやる。しかし、今はその前に知恵とかを知る必要があるんでな」錬金術師は赤く染まった塊を炎の中から取り出しました。

 「さあ始めるぞ」 

弟子は、くそ!と一声毒気づくと槌を振り下ろしました。

 「怒りに任せるな、体力は温存しろこれから三日三晩寝る時間もないぞ」

 「なんですって!」弟子がひるむまもなく、彼の師匠は自分の金槌で塊を叩きました。何度も何度も、呆然としている弟子の腕が休んでいても、錬金術師は塊を打ち続けました

 返事を返さぬまま、作業を続けるこの男の頭の上にこの重い槌で打ち付けたらどうなるだろうかと、弟子はふと考えました。そして、ゆっくりと振り上げると思い切り赤い鋼の塊にそれを打ち付けました。


**


ふたりともよれよれになっていました。締めきった扉の向こうが夜なのか昼なのかさえ

分かりません、分かっているのは眠いということ、そして疲れたということだけです

 暑さのため、2人は上半身は裸になり足元に置いた塩を舐め、バケツに汲み置いた

水を交互に飲みました。強い疲労は弟子から考える力を奪い去りました。まるで一つの機械になったかのように彼は、槌を振り上げ、そして塊に打ち付けました。しかし、形が整ってきたころから、ようやく師匠が目指すものが見えてきて、彼はようやく自分の思考を取り戻しつつありました。

 金槌でたたかれ、鉄床に押し付けられたそれは鏃のような正四面体へと形を整えつつありました。

「はぁはぁ、この面白い形ですね」ふらふらになりながらも弟子は、言いました

「無駄口をたたくな」

錬金術師の返事は叱責するだけでした。

「いいかげん教えてください、これは何ですか?」

「後で教える。お前はこれを自分を鍛えるものと思ってぶったたけ」

「え・・自分を鍛えるって」

「今は、こうして叩くことに意味がある」ダメだ、弟子はそう思いました。この人についていっても叩かれてつぶされるだけだ。これが出来れば、きっと師匠は寝る。相当深い眠りに付くだろう、そうしたら逃げてしまえばいい。


**


 錬金術師が目を覚ますと、たった一人でした。ここまできてこの有様か、彼は長い間の作業で痛くなった腕を回し、そして腰をぽんぽんと叩きました。火が絶えた土間は冷えきっており息が白く固まって部屋の上に上がってゆきました。

「仕方ない、仕上げでもするか」彼は、作業場にぽつんと置き去りにされた一つの正四面体を手に取りました。

「いい形だ。」

彼は、しばらくそれを眺めていました。遠くで雷鳴が聞こえました。

「さてと、何時までもこうしてばかりも居られないな。年を経るとどうもだんだん独りが寂しくなってくる」

彼は、パックの中から一つのルーターを取り出して非常に細いドリルをそれに取り付けました。スイッチを入れるとそれは甲高い音をたててました。正四面体の一つの面にドリルの先端を当てるとそれは、まるで金属とは思えないほどに、静かにすっと中に入り込み、見えないような小さい穴が穿かれました。彼は目を凝らしてそれを見つめると、ドリルの先端を自分の親指の先端に当てました。血が小さな半球を描いてぽっこりとそこに盛り上がりました。

血の付いたドリルを回転させずにそっと小さい穴に差込みそのままドリルの歯をルーターから外し、薄い刃物のようなもので、ドリルの正四面体の面から飛び出したを部分を切り落としました。

「こいつも切れ味が落ちてきたな」彼は、ナイフを鞘に収めながら独りごとのようにナイフに言いました。

最後の仕上げか、パテを練り上げ彼はドリルの埋め込まれた場所にそれを押し込むようにそれを塗りました。再び雷鳴が鳴りました。

「さあ行くか…」


**


 引き戸をあけると、そこには弟子が半べそを書きながら立っていた。

「すみません・・・すみません」

弟子は何度もその言葉を連ねました。錬金術師は、暫くその場でたたずむしかありませんでした。2人の間を寒い風が吹き渡りました。

「付いてくるつもりなのか?」

弟子は頷いた。腰から下は真っ白に雪に覆われていました。きっとこの山中をめぐり歩きそして、何処にも辿りつけなかったのでしょう

「なら手伝え」

錬金術師は、彼を中に招き入れるとぽんぽんと鉄床を蹴りました。

「これを持って還る」

「なんですって!!」

「もうこの家も潰れる。しかし鉄床だけでももってゆきたい」

「でも、どうやって…?」

「橇があるだろ」



 2人がかりでやっと持ち上がる程の重いものは橇に据えられました。

橇の前のロープを弟子が引き、後ろのロープは錬金術師が下り坂で落ちないようにしっかり支えました。

 ここに来てそして還る間に僅かな日々しかなかったのにかかわらず、雪はいつの間に

道を覆い2人は再び道を作らざるを得ませんでした。

小さな広場のような場所に出ると、「ここはため池の上だな」と錬金術師は言いました。

 小さなコンロを使って、錬金術師は雪からお湯を沸かしました。ひとつの密閉容器から紅茶をもう一つの容器からはスパイスを混ぜたものを取り出しました。

「本当はミルクがあれば良いのだがな」

と言って二つを調合したものを沸かした湯に放り込んでから、

2つのチタンのシェラカップに注ぎました。

「甘い香りがする」と弟子は、その香りを嗅ぎました。

「温まるぞ」といって錬金術師は、一口飲みました。

それから、作った正四面体の金属の塊を取り出して

掌に乗せてそっと弟子の前に差し出しました

「お前のだ」

「これは?」訊いても無駄だろうと思いつつも弟子はそれでも訊いてみました。

「中にナノマシーンが入っている。俺の体の中にある奴と同じものだ。それを肌身離さずもっていろ。そのうちお前の免疫システムから逃れる方法をナノマシーンが覚えたら、勝手のお前の中に入りこむ」

「なのましーん?」と弟子は復唱してそれを受け取りました。

「しかしな」と錬金術師は弟子が持っている。正四面体を見ながら彼は言葉を続けました。

「本当に教えるべきことは、お前に人として強い心を持つことだった。そうする為に

俺はお前を槌で打ち、人として鍛えようとした。しかし、俺は鉄床には成れなかった

打っても打ってもお前に逃げ場を与えてしまった。まるで土の上に熱した鋼をおいて槌を振り下ろすようなものだった。だから、ここに来た。」錬金術師は、雪で覆われた

世界を見回しました

「この雪にお前の鉄床になってもらう為にね」錬金術師は、傷やタコに覆われた手を弟子の前に広げてみせました。

「俺の師は強かったよ、師匠は金槌であり鉄床でもあった。それゆえに今の俺がある」

紅茶の最後の一口を飲み干すと、錬金術師は立ち上がりました

「行こう。しかし、お前の修行はまだ始まったばかりだ。ということだけは言っておく。」

「はい」と弟子は返事をすると、雪でカップを洗い、荷物を片付けると橇を引きはじめました。遠くでは雷鳴が響いているようでした。椿の赤い花が行く手に花を咲かせていました。


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