花瓶
彼女は、言った。
夏も盛り、百日紅も血の様に真っ赤に染まりどこもかしこも暑さで満ちていたある夜の事。お月さんが、夕涼みで空を闊歩しているとどこからとなく泣き声が聞こえてきたのでなんだろうと、そっと降りてきて辺りを見回すと、粗末な花瓶に生けられた花がその花びらを散らしながらしくしく泣いていました。
「どうしたんだい」とお月さんが聞くと
「私達悲しくて悲しくて・・」と菊が応えました。
「誰も見てくれないから?」
「ううん、皆見てくれるけど、あの目よ」菊はため息を付きました
その花びらは萎れ、葉もくすんだ色になっていました。
「そうそう、あの哀れみをもった目」と百合が言いました。
嘗ては凛と背筋もしっかりしていた花は見る影もなく花びらはすべておち、めしべとおしべだけが残っている有様でした。
「本当は、もっと綺麗なものを愛でる目が欲しいのよねぇ。」リンドウがぺちゃんこになった花のまま言いました。
「私達の存在意義って、鑑賞される目で見てくれることなのに」グラジオラスは、地面まで届くほどにぐにゃりと萎れていました。
「それに、この暑さで水ももう無いから、枯れるしかないの」菊は、グラジオラスを見ながらいいました。
グラジオラスは、もうそろそろ完全に枯れようとしていましたが、菊も百合もリンドウも同様でした。
「まぁしょうがないよ」お月さんは、自分の明かりで枯れそうな花を照らしてあげました。
「これなら少しは見栄えがするかな」
「ちょっとしたスポットライトね」百合は、青色吐息で言いました。
「でも、今夜が私達も最後って感じよ」
「まぁ、最後ついでに路傍で迷っている彼も連れていってあげてね」お月さんは少し前ここで事故で死んでしまった霊を指しました。それは、道路の真ん中でうずくまったまま、自分の行く場所が無いことを嘆いていたのです。
「もともとは、彼の為に君達はここに供えられたのだし」
「そうね、分かっていても、なにかやりきれないのよねぇ、あーあ、今度はどこかの家の玄関でも飾ってみたいなぁ」菊が言いました。
「あんただけは、それは無理かもね」百合がぷっと笑いました。
「あーそろそろだわ」
花達の命は、ふわりと花瓶を離れてゆきました
そして各々の花はそっと泣き続ける霊に語り掛けました
「さぁ、あなたも一緒に」
やがて、路傍の霊はそっと立ち上がると
その花達に手を添えました。
「綺麗…」
「ありがとうね、あなただけね。最後にそう言ってくれるの…嬉しいわ」
「さぁ…こんどは、お互いに綺麗に長く咲きましょう」霊は花達に連れられてゆっくりと空の彼方に消えて行きました。
やがて雲が湧き上がり、雨が稲妻とともに降り始めやっと気温が下がりました。
「ふぅ、ちょっと一休みしようかね」
お月さんは、雲に隠れているのを良いことに冷たいビールをごくごくと飲んで一息つきました。