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無題

「こんにちわ」と言って誰かが突然僕の部屋のドアを叩いた。何だろうと思って見れば、極々普通の青い私服を着た特に特徴のなさそうな若い男だった。

「いま、火星の土地を売っているのですが、一つどうでしょうか?」彼は、一枚の紙を僕に差し出した。

「火星ですか?」僕はあっけにとられて言葉を失ってしまった。印刷は、決して出来の良いとはいえないインクジェットプリンタで印刷したみたいで、プリンタヘッドの跡がしっかり残っていたしあちこち擦れもある。どう見たって怪しいパンフレットだ。

「ちょっと不動産には興味が無くって」数年に一回くらいこの部屋に間違ってやって来るマンション屋に対する常套句を使ってみた。しかし、男はいえいえ、と自分の顔の前で手を横に振ってみせた。「実は、火星でのテラフォーミング計画が密かに練られている最中なのですが、何しろ資金不足なものですから、テラフォーミング後の土地の権利と引き換えに援助金を募っているのです。」

そんな話聞いたことない。それに密かにだって、あちこちで勧誘に回ったのでは全然密かにじゃないぞ。僕はお金が無いと言ってドアのノブに手をやった。当たり前だ。

「お願いします、あちこちに居る火星人が故郷に帰れるかどうかの瀬戸際なんです。」

「ええええぇ?」この男は絶対おかしい!あるいは一発非合法な薬品を決めているのかも、僕の頭の中で警察に電話をすべきか、救急に来てもらうか考えた。

「僕も、実は火星人なんです」彼は、真剣に言い寄ってきた。「一万円でいいんです。お願いします。」頭を下げた。

「ない」と僕は冷たくあしらうことにした。一万円でどれほど貴重なカップ麺が食えると思うと当然払えない。

「信じてないでしょ」彼は、声を荒げた。しまった逆切れされるかも・・という不安が鎌首をもたげた。

「ほら、これがその企画書なんです」と僕に1センチほどの紙の束を鞄から取り出してみせた。

表紙には「火星におけるテラフォーミング計画」と日本語で書いてある。どの国がやるつもりなんだろう。少なくても日本がやるような企画じゃないぞ、この国でそんな予算が付くようなプロジェクトが一国でできる訳がないし、あればもっと知れ渡るに決まっている。

「そして、この惑星には沢山の火星人達が居るのですよ」

「火星人って、人間そっくりなの?」

「いえ、全然似ても似つかないですよ」

「だって・・」目の前に居る彼はだれがみても人間だ。ホモサピエンスだ。目も鼻も口も耳もある。

「あなたに恐怖心を抱かせないために光学的に編集をしているのです」

「はぁ・・」

「私達火星人の体も服も通常は、電磁場の紫外部の波長を反射します。そのため見えない存在なのです」

「でも、当たったりすれば分かるでしょ?」

「私達の存在は、きわめて希薄なのです。空気か幽霊みたいなものと思ってください。そもそも触るといっても、本当にあなたは、物に触ったことがあるのですか?」

「ほら・・」と僕はドアのノブを握ってみせた。

「いいえ、考えてみてごらんなさい。」彼は紙束をひっくりかえして背表紙にまるを書いてさらにそれを囲むまるを書いてみせた。

「原子ってこんな風に書いたりしますよね。真ん中のまるが原子核で周りに電子が雲の様に存在している。そしてその電子は決して原子核に落ち込むこともない・・すると、こうしてあなたが握っているようなつもりでも、実際はドアのノブとあなたの手のを構成する原子の周りを飛ぶ電子が、まさに近接している状態に過ぎないのです。さらに言えば、電子同士は反発するから決して触れ合うこともないのです。あなたは握っているように錯覚しているのです」

「???」なんか言っている事がおかしい、でも反論できるほどの知識はない。

「現実と思っているのは、あなたがそう勝手に認識しているだけなのです。」僕は自分の両手をまじまじと見つめた。まずい引き込まれそう。

「さらに言えば、私の服の色はどうです?」

「ああ、青いですね」

「青だって!どうしてそう思うのです?」彼は両肩をあげた

「だって、青ですよ」それを青を言わずしてどうしたものか

「この服は、あなた方が青いという波長の電磁場をより多く反射しているに過ぎません。

陽子に色はあるのでしょうか?電子に色があるのでしょうか?中性子はどうでしょう?

そしてバリオンは?アップ・ボトム・ストレンジ・チャーム、トップのクオークは?色なんか付いていないのじゃない?色なんか所詮は電磁場の波長じゃないですか・・」

「いや・・」

「あなた方、人間はそういう不完全な情報を元にしてしか対象を認識できないのです。見えない火星人だって、本当は沢山いるんです」

「いや、しかしねぇ」

「そもそも、この光子だってあなたの目に当たる直前までは、波動として移動したんですよコペンハーゲン解釈なら貴方が見ることによって波動関数を収縮させたのかも知れないし、エバレットの解釈のように、見たその時に見なかった貴方が居る宇宙も出来たのかもしれない・・でもどっちに転んでも光のもつ量子性のために、目によって光が観測されるまでの間の光は不確定な存在なんですよね、見えているのではなくて、見えているつもりなだけ・・触っているんじゃなくて触っている気がするだけなんですよ。だから、見えない火星人って居てもおかしくは無いのですよ・・だって、あなた方が認識できないだけなのですから」

僕の頭の中でなにかが混乱を始めたそのとき

「これ・・何をしている?」

いつの間にか、日が暮れてお月さんが彼の背後に立っていた

「あ・・」男は、お月さんを見るなりどこかに駆けていってしまった。

「なんだあいつ、近くに来ておきながら挨拶もなしかよ」お月さんはむっとしたようだった。

「何?知り合い?」僕の脳みそは真っ白になったままだった。何も考えられそうにない。支離滅裂な難しい話をされて脳内のシナプスが全部ぶち切れた感じがした。

「ああ、火星が近くに来たから遊びにきたみたいだな」

そういや、火星が近日点にあるとか聞いた記憶があった。

「はぁ?本当にそうなの?」

僕の頭の中で、見るもの聞くもの触るものが全て虚構に思えてきた。

「あるいは、ひょっとしたら皆だれかの夢の産物かもしれないしな」

お月さんはそういう僕の言葉を捕らえて言った。どこかで不思議の国のアリスでも読んだのだろうか?

でもね・・とお月さんは言った。

「見たかもしれないし、聞いたかもしれない、触ったかもしれない・・でも、そういった情報を得て何かを感じとるのは真実だよ。」

お月さんは、ごそごそっと冷蔵庫から僕のCHIMAYの赤いラベルを見つけ出していた。潰れかけの酒屋さんの放出品で安く買ったやつだ。いつもビール風の炭酸性アルコール飲料ばかり飲んでいるから、たまにはと清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったやつだ。よもやここで見つかるなんて。

「これも真実だな、良い物にありつけた」

クリーミィな泡がグラスの中で立った。僕は、それを飲んで美味いと言った

「そう、そういう自分の感想が一番大事なのさ、」


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