表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/154

秋刀魚の味

 夏の恋が秋に終焉を迎えるのは

 別に珍しいことじゃない

 涙が流れるのは秋刀魚の煙のせいだし

 毎日秋刀魚を食べているのは

 夏の間に貴女に貢ぎすぎたからじゃない


 太陽がすっかり沈んだ夕暮れの河原にひとつの七輪を置いて、のんびりと炭を熾しているとの河川敷の遊歩道を犬を連れた人々が珍しそうに僕を見て通り過ぎて行った。湿気った炭は、時折爆ぜて小さい火の粉をパチンと言う音と共に宙に舞い上げた。「腹減ったなぁ」と僕は独り言を言いながら、団扇で風を七輪に送り続けた。準備が遅れたというか、近所のスーパーで安い秋刀魚がタイムサービスで更に安くなるのを狙っていたので、こんな時間になってしまったのだ。

 やがて火の威勢良くなった処で僕は、塩をふっておいた秋刀魚を金網に置いた。湿った秋刀魚がじゅうと言う音を立てた。そこで更に団扇で風を送って火勢を上げると、やがてぼっ!!ぼっ!!と脂が燃えて炎となって立ち上がった。そして当然の様に、香ばしい香りとむせ返るような煙が立ち昇った。これこそ秋刀魚の醍醐味。安いと言っても今年の秋刀魚はまるまると太っていて、当然脂も乗っている。あがる煙の量も半端なものじゃない、僕は時折変わる風向きにまともに煙を浴びせられては涙を流した。そして涙を、袖で拭き終わってから顔を上げると煙の向こうにお月さんが立っていた。

 「畜生!!なんだ今日は、やたら煙くてしょうがねぇと思ったらお前かい」とべらんめぇ調で腕組みをしながら僕を見下ろしていた。

 「まぁ、家だけじゃないだろうねぇ」と言って立ち上がって当たりを見回せば、秋の夜空の中をうっすらとした煙があちこちから漂っているようだった。そしてまた、しゃがんで団扇を動かした。すると煙がまともにお月さんにかかったものだから、「この野郎」と言いながらお月さんは脇に飛びのいた。まぁまぁ不可抗力だってばと言うと、怒るお月さんはそれでも許してくれそうに無いので「まぁ、まぁ、僕の部屋で一杯やっていなよ、後で秋刀魚も肴にするからさ」と食べ物で懐柔した。すると、「秋刀魚は要らないが、ビールは欲しいな」とお月さんは、ニコニコして僕のアパートの方に歩いて行った。勝手知ったる他人の家というがこいつにはビールを隠しおおせる場所がないから放っておけば勝手に飲んでいるだろう。しかしビールとは言え、本当は酒税法の安いやつだけど。


 この秋刀魚が焼けると、既に3枚に下ろしておいた別の刺身用の秋刀魚をクーラーボックスから出して、トーチで皮の方にさーっと焼き目を入れた。これまた、脂でパチパチっと小さな火の子が立つのがなんとも可愛い。僕は秋刀魚のタタキとか勝手に呼んでいるが、これが脂っこい秋刀魚の刺身にだけに、脂が丁度よい塩梅に溶けてくれるのでトロみたいになるのだ。


 お月さんは、もう2缶もビールを飲んでいた。冷蔵庫にあった豆腐が冷奴になって勝手に食べられていた。しかも茗荷までちゃんと切って乗せているのがなんとも憎たらしい。熱いうちが一番美味い秋刀魚を長皿に盛りつけその脇には、大根おろしを軽く絞ってから山形にして置いた。そして、叩きは刺身の様にきちんと切って盛り付けて、上からざっと生姜醤油をかけた。

「煙くなってまで、そんなもの食べたいのかねー」お月さんは、焼きさんまに箸を伸ばして身がするりと骨から剥がれるのに驚いた。おやおやこれは具合がいいな。

「脂が乗っているからねぇ身離れもいいのさ」そして、口に入れてビールを飲んだ。何も言わずに、また一切れ秋刀魚を箸でつまんだ。そしてまた、飲んだ。

「ふむふむ、、まぁ不味くは無いじゃないか」と秋刀魚の肝をつまんでそれを口にして「おぅ苦いなぁ、でも美味しいぞ」とまたビールを飲んだ。

「こうなってくると、冷酒も欲しいね」お月さんは、じっと僕の顔を物ほしそうに見つめた。

「冷蔵庫は満杯、でも懐はからっぽでさ」僕は、首を振った。

「だから、残念なことに冷酒はないよ」ビールを飲みながら、秋刀魚はすっかり二人の腹に収まってしまい、秋刀魚の骨までしゃぶりながらお月さんは、名残を惜しんだ。

「ふむ、もう終わりかぁ」お月さんは、腕を組んだ。「もっと、食べたいな」

「もう家には無いよ」食べる物なら冷蔵庫にまだたくさんあるけど、秋刀魚は余分に買っていない。

「分かっているけど、美味しかったなあ。」お月さんは、まだ名残り惜しそうだった。そして骨と頭だけになった秋刀魚をしみじみと眺めながらつぶやいた。

「そういや海を照らせばこの魚は結構見るよなぁ」お月さんは、何か考えてから腰をあげた。

「ふむ、そうすれば焼けるかな」と小さくつぶやいて、ご馳走さまと言ってからそうっと秋風の通る窓から出て行った。

 唐突に静かになった僕の部屋を、秋の満月が静かに照らした。僕はお月さんに見えるようにクーラーボックスから冷酒を取り出してガラスのグラスに注いだ。どこかから「嘘つき!」という言葉が聞こえたが、無視してぐいっとそれを飲んだ。不意に忘れるつもりでいた名前と涙が出そうになって、それを酒でぐいと押し戻した。今日の夜長は、酔わないと寝れないみたいだったのさ。それをお月さんに飲まれたら辛い夜になってしまう。


 暫くして、月で噴火の様な現象が見られる現象が続いた。ニュース映像では月のどこかからか煙の様な物が靡いていたようであるが、いや、まさかねと思いながら、僕はまた食卓を占領している秋刀魚とニュースの映像を交互にみていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ