月の浜
波が静かに寄せてはまた引いてゆく、お月さんは小さくて不規則な自然の波動に光の模様を描いて遊んでいる。
僕は、三本しか糸のない楽器をゆったりと爪弾いて移ろい行く時の中に身を委ねていた。これは、個人的な葬送曲だ。つい先日、流れ星になって落ちてしまった友人が好きだった曲、僕は音痴なので歌ってはやれないが、せめてこの空気中のどこかに彼女の燃え尽きた体の一部の分子がただよっていれば、この曲にあわせて踊るかもしれない。
そして、彼女ためにささやかに酒を飲む。
「一緒に飲んでいい?」といきなり隣に独りの黒ずくめの女が座った
「決して美味しい酒ではなくてもいいなら・・」
僕は、どんよりとした気分で答えた。その時初めてどこかで感情が凍り付いていた事に気が付いた
「有難う、でも貴方の安酒じゃあねぇ」女は、黒いマントを羽織っていた。そのなかに手をいれ、一本の壜を取り出した
「酒はやっぱり、大吟醸ですわな」女はかかと笑ってみせた
「懐に入れてたから、ちとぬる燗だけど、これはこれで美味いのだな」
彼女は、またマントの下に手を入れて大きなぐいのみを二つ取り出して一つを僕に差し出して「飲むだろ?」と訊いた
僕の返事を待たず、それは僕の手に収まりつづいて香りの良い酒がとくとくと注がれた
僕が、それに口をつけると、彼女は「おい」と怒った声をだした。
「レディに手酌をさせる気か」
自分から一升瓶を持参するレディか・僕は、手に持ったぐいのみを地面に下ろして差し出された一升瓶を両手で持って彼女の茶碗にいれた。
「そいじゃ、乾杯・・」
二人で、芳醇な香りのする酒を飲んだ
「あいつがね」彼女は、空を指さした。そこにはお月さんがあくびをして留まっていた。
「あんたが、落ち込んでいるから慰めてくれって言うのさ」
「そう」僕は、うなずいた。「友人ががね、流れ星になってしまったんだ。」
「ああ、今朝のニュースで流れていたね」
そうだ、遥か宇宙の深淵へと目指ざす大型宇宙船が爆発したのだその中に、かつての僕の彼女もいた。
僕は、うなじにのこされた使いものにならないニューロンインタフェースのコネクタを指でなぞった。これで電脳空間にアクセスを試みそしてあの巨大宇宙船に乗り込んだ結果がこれだ。
今朝、あちこちで流星が降り注いだ。地球はデブリに囲まれ地球と宇宙ステーションの間の往復でさえ危険なありさまになった。恋人も居た彼女が何で、その恋人を残してまで宇宙へ行こうとしたかは知らない。いや、嘘だ。言葉では聞かされたが、その本質は僕にはまだ理解できないでいた。死んだ男のためになぜ故郷を捨ててまで行けなければならなかったのか・・・
僕には死という事実だけが目の前に残された。
「一杯のんだら、ちょっと花でも手向けに行こうかね」女は、ぽつりと言った。
「そうだね、ああ、それもいいかも知れない」僕は、何も考えず何時かはそうしたいと思って答えた。
「なぁに、ちょっとひと飛びさ」女は、茶碗の中身をごくごく飲みながら、自分でうなづいていた。星が一つ流れていった。あるいは、重力井戸からにやっと捕まった魂か
「肴は無いのかい?」ふと彼女が尋ねた
「乾きものとか?」僕は、剣先するめを一枚出して、渡した。
「渋いねぇ。」彼女は、それを引き裂きながらくちゃくちゃと噛みつつまた一杯やった
「あんたの安酒の壜はあるかい?」
僕は、まだ半分残っている四合壜を渡した。
「ま、これでもいいかぁ」というと彼女は、
僕の酒を地面に飲ませてしまった。
「なにを!」
「いいじゃん、いいじゃん。気にするなって」と彼女は、ふらりと立ち上がって、尻についた砂を払った。
「さて、一杯やったし、行きますかぁ」彼女は、長い箒を片手に持って僕にもう一方の手を差し出した何気なくその手を掴むと、酒のせいか妙に熱かった。僕の手は彼女の手に引かれ、そのまますくっと立ち上がることになった。
「行くって。何処に?」
「花を手向けにだよ」彼女は、ひょいと箒にまたがった・
「なにこれ?」僕は、その箒を指でつついた
「なぁに、心配御無用、あとは仕上げをご覧あれ。ほれあんたも、跨がるんだよ」
僕は、まるで子供の電車ごっこの輪に入った気分で彼女の言うとおりにした。
なにか、電気的なうなる音がした。ふわりと箒が浮かびあがり
僕の股間を持ち上げた。恐怖の雄たけびをあげている間にどんどん、体は持ち上げられて行った
しかし、妙に風は感じられない箒を握る手は汗をかいて、必死で箒の柄にしがみついた
「あんた、バランスが悪いからさぁ、しがみつくなら私にしがみついてくれないかな」
僕は、両手でそっと彼女の腰にしがみついた。
「大丈夫、大丈夫、最新の反重力装置に、シールド付きだから、落ちたりしないからさぁ」
という、彼女の懐から、ウイスキーのポケット壜が落ちて行ったが、彼女は特に気をかけていない様に見えた
「何時、反重力装置とか、シールドが完成したんだい?」
「ん?さぁね。相当昔じゃない?こんな箒があるくらいだ」
彼女は、箒のスピードを上げた
「さぁ、いくぜ!最高速だ!」
「あのさ、悪いけど。酒飲んで、空を飛んでいいの?」
「箒で飛ぶ事に関しては、特に法規には定められていないからね」
星も雲も後ろに飛び去る勢いだった
真っ暗な闇の中を僕らはすっとんで行った
「この辺だったかな」
と彼女は箒をホバリングさせながら、きょろきょろした
周りには、青白い光が時々現れては霧散するように消えていった
「死んだ彼女をイメージしてくれないかなぁ」と彼女は僕に振り返っていった
「さて御立会い、と彼女は空になってしまった四合瓶を取り出すとそれを持ったまま前に突き出して何かを唱えた。
すると、周りにあった青白い光がすーっと、現れてはその壜の中に吸い込まれて行き、壜自体がぼんやりとした明かりに輝きだした
「何を集めているんだい?」僕は後ろから聞いた
「残留思念・・霊とも言うかな?」彼女は、何かを考えているようだった。
壜はどんどん明かりを増し、ちょっとした本なら読めそうな具合だ
「君の彼女の思念が薄いなぁ」彼女は、首をかしげていた。「もう相当散ってしまったかな」
それでも、怪しい燐光は銀河の様な渦を巻きその中央から竜巻の様に壜の中に吸い込まれていったやがて、吸い込まれるものがなくなるとそっとその上に椿の花を手折ったものを差し入れた。
「やぁ、気分はどうだい」と彼女がその花に向かって話しかけた
「誰?」とかすかな声がした
「貴女に逢いたがっている奴がいるんでね」と彼女は言った。「時間はあまりないと思うが・・」
「もうどうでもいいの、あの光の中に帰して」椿の花は静かに答えた。
「さぁ、あんたの彼女だ。」黒服の女は僕をせっついた
「何か話してあおげ」
「ごめん」と僕は言った。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったんだ」
「生きてたのね」花は言った
「うん、宇宙に助けられた。」
「宇宙か今、私も感じる。ねぇ、どうしてあんな
事になったの?」
・・・・
僕は、あれこれ語った。ちょっとしたところからの情報で彼女の乗った宇宙船にテロリストがいること。そのテロリストを探すために依頼を受けたて船内のコンピュータにジャックインしたこと。
実際は既にそのテロリストの名前に釣られて多くの犯罪者達が、乗客に紛れ込んだことを知った。しかし、それら全てが茶番で、それは宇宙船という名のトラップだったこと、 多額の金をかけてつくられた、沢山の犯罪者と無実の市民を乗せたハリボテの宇宙船は見事に爆破された。
僕は、単に宇宙船に進入した人々を検出するだけの存在だった。獲物がどれだけ掛かったのかを数えていたんだ。
僕は、かろうじてネットから強制的に脱出したがその際にニューロンインタフェースがおしゃかになったことを話した。最初に派手に壊してこれで2度目だ。
・・・・
「ふっ」花は笑った。
「本当は、私もあのテロリストの名前に引き寄せられて行ったのよ、前の前の彼だったの」
「そうだったの」僕は、頷いた
「でも」彼女の声が言った
「未来を奪った貴方のことは絶対許さない」
「・・・」
「光が見える」彼女の声がした。「不思議ね、こんな私でもお迎えがくるんだ」
壜の中の光は消えた。黒服の女は、椿の花をそっと抜いてふわりと手を離した。花は重力に引かれて静かに地面に向かった。
「冬でも力強く、あの木は栄養を吸いとり葉を青々とさせて生き抜くのだよね。この残留思念でさえ吸い上げてしまう。あんたは、まるで倒れそうな木だね。」女は、僕の顔を見ながら言った
「・・・」
「まあ、いいか。しっかり気を持ちな。間違ってもへんな気を起こすなよ」
「・・・」
箒は、またしても凄まじいスピードで空中を駆け出した。彼女は、元の浜に戻ると、何も話さない僕の隣で、残った大吟醸を飲み干した。星が、切れそうな輝きでまたたいていた。
朝のバスで家に帰り眠い目をこすりながら、朝ご飯のためにベーコンを切っていたらその一本のナイフに冷たい魅力を感じた。
自由な電脳の世界を失い心より愛していた女性を永遠に失い大きな力に弄ばれて、多くのデブリを宇宙に放った。食べること、そして寝ること、それ以外に今、何が今残っているのだろう。いっそどれほど死んだ方が楽なんだろう。