雪ー過去の話3
早朝に、彼とジネットはともに長老の家を出た。良い天気だった。彼は、小屋の中で食事をして。もっと多くの旅をしてみたいと言った。彼女は「ね、やっぱり止められないでしょ」ジネットは笑いながら言った。
「ううん、旅をして君を治す方法を見つけたい、そして何時か戻ってくるんだ」彼は、真顔で言った。
「ありがとう、でもそれまで生きているかしら?」彼女は、ふっと視線を床に落とした。
「未来を見つめ続けていれば、きっと生きていられるよ。僕の師匠が言っていた、諦めたものが一番最初に死ぬんだって」
「そうかもね…じゃあ、ゆびきりしよか?必ず戻ってくるって…」彼はいいよと返事をして小指を差し出した。指がふれたとたんまた、ぴりという感触がした。
外にでて、また野草を探しに行こうとするとき、彼はふと彼女に言った。「ねぇ今日は雪だるまを作らない?」
「ええ?…子供みたい」
「いいじゃん、こんな沢山雪があるのだもの、それにいつもいつも、薬草ばかりさがしていると師匠とジネットの顔がだぶってしまうよ」
「やだぁ、師匠っておじいさんなんでしょ?」
「そこまでじゃないけれど、いい歳こいているよ」
「もう、それって凄く不愉快。」ジネットは、膨れ面をしてから、雪球を作って思い切り彼にぶつけた。彼もすぐさま応戦した。雪球がしばらく二人の間を行き来して、二人は木立を盾にして駆け回った。やがて、ジネットは直ぐに疲れたのか、「もうだめぇ降参」と雪の上にへたりこんでしまった。
「じゃあ雪だるま」と彼は隣に座った。
「その前にちょっと栄養補給ぅ」とジネットは彼の顔を両手で持つとそのまま雪の中に倒して、「チュー」と言ってから唇を重ねた。彼は下敷きになりながら、手を彼女の背中に回した。長い間二人は重なったままだった。やっとジネットが離れると、「もう息が出来なくて死ぬかと思った」と彼は、雪の中にうずまったままいった。じっさい体を起こすと、一瞬めまいがしてしまい、また雪の中に落ちてしまった。
「私は、元気復活」ジネットは、すくっと立ち上がった。そして手をさし伸ばした。彼はそれを掴んですくっと立ち上がった。
「おー、若いだけに回復力があるね」ジネットは笑みをみせた。白い歯が光ったように見えた。
「じゃあ、作ろうか」と彼は、元気よく言った。二人は、また雪の中を行ったり来たりしながら、二つの雪球を作りあげた。豊富な雪のため大きくなりすぎた雪球の頭の部分は重すぎて、二人がかりでなくては胴体の上の乗せる事ができなかった。枝や囲炉裏に残った薪を使って、顔を作り、ボタンを付けて、バケツの帽子をのせると見事な、雪だるまになった。
「なんかこの姿どこかでみたなぁ」とジネットは腕組をして雪だるまを見つめた。
「きみのおじいさんかい?」いやいやと彼女は首をふって、しばらく黙ったまま考えていた挙句に大声を発した。
「そうだ、巡回牧師のブラウン神父だ、丸顔で、太鼓腹でさ、大きな眼といい、そしてこのバケツの帽子が、巡回神父の帽子にそっくりだよ」彼女はけらけら笑いこけた。その笑いが止まるのを待ってから、彼はジネットに腕を自分の腕に絡ませて、雪だるまの前に立たせた。「なになに?」という彼女に、彼は「静粛に」と声色を変えて言った。彼女はそこで背筋を伸ばしてみせた。「お二人さん、ご結婚は?」と彼は、偉そうな声を出した。「いいえ」とジネットは答えた。「でも、遠い未来に、もしまたその機会があればお願いするかもしれないわ、その時は宜しくね」「かしこまりました。では、私はまた次の村に行きますので、こんど来た時にお伺いを立てましょう」
「もうやだぁ!」彼女は、大笑いをした。「ねぇあんたブラウン神父しってんの?」
「知るわけないだろ?」彼は怪訝そうに笑いつづける、ジネットを見ていた
「うそぉ、もう話し方そっくり」彼女の笑いは止まりそうになかった。「ねえもう一回やって?」
「汝、死が二人を分かつまで…」彼は声色を変えて言い、またジネットがげらげら笑うのを見て、それから口を閉じた。
「ねぇ、どうしたの、続きは?」腹を抱えて笑っているジネットを彼は、正面から抱きしめた
「え、なになに…」彼女は息をきらせなからも思わぬ展開にとまどった
「きっと、迎えにくるから、そしたら一緒になろうよ」彼の声は鼻声になっていた。
「無理だよ、分かっている。私はこの地で生きる人間、貴方は旅に生きる人間だ」彼女は、彼の頭をそっとなでた。雪がふわり、ふわりと降りてきた。
「小屋に入ろう、雪だ」ジネットはそっと彼の体を離した
「すきなんだ…」彼は、声を詰まらせ名から言った。
「分かっているよ、でも止めたほうがいい」
*
小屋の中で、彼は膝を抱えたまま、うずくまっていた。ジネットは、土間に立ち蓄えていた作物を使って何かをこしらえていた。
やがて、熱いスープの入った。ボウルが彼の前に差し出された、彼は首を横に振った。「食べなさい、今晩はこれが必要よ…」とジネットは囁くように言った。「今晩?」「ええ、また吹雪そう。嵐になるみたいだから泊まって行きなさい、でももう服の塊で寝るのはうんざりだから、同衾することになるわ」
それの意味するところを考え彼は、思わずどきりとした。「飲んで、体力をつけなさい、今夜は寒いわよ」彼はボウルを受け取り、それを口にした。色々なものが入った粥だった。「美味しい」と叫び、思わず彼は空きっ腹にそれをかきんで空になったボウルを差し出した。「まぁ、ゆっくり食べないと口の中に焼けどをするわよ」
「大丈夫、師匠が作る料理なんて熱湯みたいなスープだから馴れている」彼に元にはまた、ボウルが手渡された。風の音が聞えた。
「ほら、今夜は荒れるわ」ジネットは、上を見上げて言った。
「薪も足しておかないと」と一旦外に出て、縄で結わえた薪を一束持って入ってきた。彼女の白い髪や肩に雪が沢山積もってきて土間に置いて縄を解こうをしていたしかし、手がかじかんで思うように解けない様子だった。彼は立ち上がって、彼女に降り積もった雪を払うと、
「後はやるから暖まってて」と言った。「ありがとう」とジネットは、言ってその場を彼に譲った。彼はたちまち縄を解くと薪を数本持ってきて、囲炉裏にやぐらのように立てかけた。「こうすると、燃えるのが早いんだって」たちまち上がった炎の灯りが二人の顔を赤く染めた 「ねぇ、私を見て気持ち悪くないの?」彼女は唐突に言った
「なんで?」
「人と違う肌の色だし、眼も白いし」
「僕の故郷でも、ジネット・・・さんみたいな肌の人が多かったし、いままで沢山の人を見てきたらからきっと気にならないだと思う」
「さんは要らないわよ。あの村じゃ、気味悪がって誰も私の傍に来たがらないわ、自分から寄り付いてきたのは貴方が初めてよ。それに好き、なんて初めて言われた。本当いうと凄く嬉しかった。私のどこかいいの?」
「綺麗だし、博識だし、いいたいことはっきり言ってくれるところかな?」
「まったく、どこか綺麗なんだか…」
「僕の好みなんだ、きっと」
「ありがとう…じゃあ、大人への一歩を教えてあげようか、といっても私も初めてなんだけどね」彼女は、そっと彼の手を握った、相変わらずの電気のような感触。そしてそっと彼女は立ち上がり、それにつられて彼も立ち上がって、そっと彼女を抱きしめた。めくるめくような二人の時間が過ぎ、その時間の経過と共に、彼は貧血の様な感触を覚え、そして意識が遠のいて行った。
彼が眼をあけると、外で怒鳴り声が聞えた。彼は一人で寝ていた。戸口があけられて、明かりがぱっと部屋を照らした。「この馬鹿者めが!」懐かしくも嫌いな声だった。「師匠?」と立ち上がろうとすると、力が抜けてしまって。へたりこんでしまった。「なんという抜け作だ。さっさと服を着ろ」
「また、どこかに行くのですか?」彼はぼんやりと聞いた。「当たり前だ!」と師匠は怒鳴った。
「いやだ」彼は小声で言った。「僕はここに居る、ここでジネットと暮らしたい」
「あんた…」ジネットが横からでてくると彼の両肩をもってゆすった。「ごめん、こんなにしてしまって、でもどうしても欲しかったの。でも、昨日約束したでしょ?私を治す方法を見つけてくれるって、指きりしたでしょ?」
「やだ…ここに居たい。」彼の虚ろな声は、だんだんはっきりをしてきた。「ジネット居たいんだ!」その瞬間彼女の平手が彼の頬を撃った。
「私は、そんな貴方と一緒に居たくはない、お腹が空いていて欲しかっただけなの」
「そんな…、そんな…」
「でも約束を守って戻ってきてくれたら、そのときは一緒に居てあげるから」彼女は、そっと彼の頭を抱えるように抱いた。
「行くぞ」師匠は、無愛想な声で彼に命令した「服を着ろ」
「はい」彼は、床に散らばった、服を拾いあげて身に着けようとしたが、足が萎えてしまったようでおぼつかず、ジネットがそれを手伝った。
ようやく服を着ても、歩くのはやっとだった。
「もう少し休ませないと」ジネットは、倒れ掛かった彼の体を支えて言った。
「ちっ、こんなんで体力を使いきりおって、これでも飲め」と腰に下げた薬入れから丸薬を取り出して彼に差し出した。
「はい」と彼は手を伸ばして受け取るとそれを口に運んだ。
「水を…」と彼女は、土間から水を汲んで戻ってくると顔をしかめている彼の口に器を当てた。それを飲み下すとたちまち、彼の足に力が蘇った。
「相変わらず、酷い味だ。」と彼は、呻いた。
「ふん、この薬の御代はお前の小遣いから引いておくからな」
「そんな、師匠…」
「荷物を持て、行くぞ」師匠はより厳しい声を張り上げた。彼は、荷物を背負い、何度も何度もジネットを見ながら家を出た。
*
「あの娘は魚鱗草だ」村に向かう途中で、師匠は言った。
「そうですね、とても白くて儚げでした。」彼は、うすらぼんやりと昨晩の行為のことを思い出した
「そういう意味じゃない」師匠は、諭すようにゆっくりと言った
「ここの人々は、我々の遠い先輩が行った治療で、あんな体になったのは聞いただろ」
「ええ、聞きました。」
「でも、稀に葉緑素を持たない個体が発現することもある。それが彼女だが、一般的に女性にしかそういう固体がでないようだ。葉緑素を持たないためにその固体は、必要な栄養を他に頼る必要があるんだ。彼女らは、皮膚を接触させることで、栄養のみ吸い上げることが出来る。皮膚や髪から非常に細い管を伸ばして、それを相手の体内に差し込んでちゅうちゅう吸うわけだ。一部の腐生植物が菌に頼るよう彼女もまた栄養を他者に頼っている生き物なんだよ。この村では、村人が交代で栄養を吸わせたりしていたが、光合成の弱い冬となると、そうともいかんから、ああして腹が減らないように閉じこめていたのさ、ところが運良くお前さんがやってきたんで、いる間でも十分の吸わせえてしまえと村長は思ったんだろうな」
「じゃあ、僕は餌だったのですか?」
「まぁ、そんなところだ。命拾いをしたこと、男になったことだけが収穫だな、全くあのアバズレが」
「でも、綺麗な人でしたよ。」彼は、答えた。
「じゃあ戻るか?」
「いえ、今は、でもいつか約束を果たさないと…」彼は、心の中で彼女の名を何度も呼んだ。そういつか絶対戻ってきてみせる。
*
それから、十何年も経た或る年、彼はその地を踏んだ。彼女に逢うためではない、別の用事があったに過ぎなかったからだ。同じように白い雪の舞う季節だった。彼があの小屋に向かう橋の傍を通りかかると山の方から、白い顔をした女性がやってきた、彼は思わず足を止めた。その女性はジネットに良く似ていた。しかし、眼は真っ黒だった。うっかり見つめていると、女性は「なにか?」と聞いてきた。いえ、昔貴方に良く似た女性に逢ったことがありまして。と彼が言うと。「それは母かも知れません」と女性は言った「良く似ていると言われましたから」「なるほど、お嬢さんですか、お母さんに似て綺麗ですよ」
「いえ」と女性は、目を地面に落とした。「母と同じく、私は突然変異ですから」
「そんなことは」彼は、肌の色の異なる人がここではどんな辛い思いをしているか、思い出した
「私の世界では、女性はみな貴方のように白い人ばかりですよ」
「まぁ、私もそんなところに行ってみたいわ」
「でも、食事は大丈夫なの?」
「私、父の遺伝が入っているせいか、この世界のものは何でも食べる事ができるんです。それで、定住する必要もないし、それにお母さんが言うには私には放浪者の血が入り込んでいるから、きっと同じ場所にいられないって」
「お父さんは放浪者?名前は?」彼はどきりとして聞いた。まさかそんなことが、
「さぁ、教えてくれなかったから、でも、こうして歩きまわれる自由をくれた父には感謝しているんです」
「で、お母さんは?」
「昨年亡くなりまして、今日はお墓参りにきたんです。」
「え・・・」彼は思わず息を呑んだ
「あれ、ひょっとしておじさんが私のお父さん?」
「いや、違うと思うがね」と彼は、平静を装って答えた。「ただ昔君のお母さんに会った事があっただけだ」
「そうですよね、母さんはお父さんはきっと戻ってこないっていってたし」
「お墓は、この先にあるのかい?」
「そう、川沿いに歩いてゆくと小屋があるから、その裏にあります」
「じゃあ、一寸寄って見ることにしよう」と彼は、言った
「ちょっと距離があるから迷わないでね」女性は言った。
「大丈夫さ…」彼は山道に向かった(昔は何度も歩いた道だ)
「じゃあおじさん、気をつけてね」と女性は手を上にあげてひらひらさせた。
「貴方も、良い旅を…」
雪の中のせせらぎ沿いに懐かしい道を歩き、小屋の前に立つと、きっと生まれた子供の為だろうか
小屋というより立派な一軒の家になっていた。彼は、家を回り込み、裏にある一つの小さな石の墓の前でしゃがんだ、
「来たよ」と彼は言った。
「君に約束は果たせなったけれど、どうやら娘さんには、思いが届いたみたいだ」
あの娘は、何処に行くのだろう、こんな錬金術師なんかにならなければいいがと彼は願わずにいられなかった。
*
窓の外には、雪が降り続く。私は別の世界に庵を構えてしまい、あの娘はきっとあの世界でまだ放浪しているかもしれないな、さびしい夜だ。何杯かめのウィスキーを飲み干して、彼はふとそう思った。